ワシの部屋・ブログ

真面目・不真面目、時の運。

今日の鳥取

2004年05月31日 13時16分34秒 | 不真面目
一日の入場1000人突破 原田泰治展
http://www.nnn.co.jp/news/news0531.html#05317
(日本海新聞)

原田泰治とは童謡をモチーフにした絵を描く画家です。
鳥取では、その展覧会の模様がトップ記事になります。
で、この日、ついに一日の入場者が1000人を突破しました!
え? 少ない? そんなことはありません。
鳥取の人口は2000人ですので、約半分が来たことになります。歴史に残る快挙というやつです。

さらに記事は、
「会場では童謡を口ずさみながら作品を楽しむ光景があちこちで見られた」
とも書いております。
絵を見ながら鼻歌・・・しかもあちこちで・・・
イイ・・・鳥取、イイ!

本日のワシニュース

2004年05月30日 17時21分29秒 | 不真面目
◆本日の気になるニュースを取り上げて見ました。


「麻生総務相、曽我さん夫巡り脱走訴追免除を批判」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/special/abductees/TKY200405290298.html

北朝鮮で曽我おばちゃんを口説きガキ2人をはらませた、敵前逃亡するくらいの肝っ玉しかない割にはやることはやってる絶倫のジェイキンスじいさん、
「日本に行くなら、アメリカに無罪にしてくれるようたのんじょくれ」とぬけぬけと言っていることに対し、年金未納の麻生おじさんが「そりゃおかしいぜ、俺未納だけど棚に上げて文句は言うよ、言っちゃうよ!」、と政府の対応を激しく批判したというニュースです。
いわく、「感情論としてはわかるが、それを受け入れれば、敵前逃亡兵が全部、日本に来る。国際社会では通用しない」とのことだそうです。
そんなこと言うまでもないことで、そこらへんに転がっている一般アメリカ人と同じくらいの社会価値しかない北のジジイ一人来日させるかさせないかでごちゃごちゃ騒いでいることの方が異常で、ほかにやることたくさんあるだろも、と思わずにはいられません。
大体、小泉政権は、先にイラクの3馬鹿を正しく見捨て、個人の保護のために超法規的措置などとらんぞ、と世界にうまくアピールしたばかりです。それが、たかだかしょぼくれた犯罪者一人を来日させるためだけの目的で、「アメリカという国家を支えて基盤となっている「法」をちょっとまげて、敵前逃亡した犯罪者を許してやってくれないか」と言う方がおかしいというものです。
がちゃがちゃとうるさい周りの騒音なんて無視し、もうちょっとまともな方向で話を進めてもらいたいものです。
というかジェイキンス、大人なんだから人にたよらず自分で詫びいれようね。



「卒業式の君が代、音量調査」(共同通信)
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=JOM&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2004053001000682

福岡県久留米市教育委員会が、小中学校で今春に行われた卒業式と入学式の際に、君が代を歌う声の大きさを調べていた、というニュースです。
はじめこれを見たとき「なんじゃ? こりゃ?」とよくわかりませんでしたが、どうやら国だか県だかの指導で、君が代をきちんと歌わせていない=歌声の小さい学校に「ちゃんとガキどもにうたわせんかね、え? 地方の分校に飛ばされたいのか? げへへ」と教師たちを脅すためにやってる調査みたいです。
ああ、やっぱり日本の教育界ってゴミだなあ、と教育大出身者の僕などは改めてがっかりしてしまうのですが、そもそもなんで君が代を歌わせたがっているのでしょうか?
一つに、子ども達に「国家」を意思気付ける、という理由があげられるでしょう。

「国」の意識を高めるため、というのはあらゆる国家でやられていることで、歴史教育にしろ何にしろ、うまい具合に子どもに享受させ、「我は国家なり、国家は我なり」という意識をつけさせることは、意味の無いこととは思いません。
グローバリゼーションは、あらゆる意味で確固たる基盤(例えば出身国)の元、はじめて対等に立ちあえるものです、それは国家で見た「家族」と同じ、世界規模での最小のパーソナルだからです、逆にいえばそれをないがしろにしてはこれからの世界規模の社会では生きていけません(誰もが華僑の勝利をしっています)。

ただし、「君が代を無理やり歌わせる」なんていうのは愚の骨頂、戦前の無意味な国体教育以下です。
この記事を読んで、「我が国」をほこりに思う子どもはいるのでしょうか? おれ、あほっぽい国にうまれたなあ、と思うのが関の山です。
東大出身の文部省関係者(ようするに、エリート界での落伍者たち)がまともな脳味噌を持っているとは思いませんが、せめて「教育を現場に任せ丸投げ」レベルの頭の悪さでいてほしいものです。



「「世界の中心―」「バカの壁」…出版救うかヒット旋風」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/culture/update/0530/002.html

「出版不況」などといわれて久しいですが、最近単体でのヒット商品も出始め、また「大人向けの絵本」だったりちょっと変わった切り口のムックだったり、そこそこ売れる商品も出始めているようです。
僕なども一応出版業界の人間なものですから、なかなか悦ばしい傾向だなあと素直に思ったりするのですが、でも情報なんてネットで大体ことたりるのに(こんなこと言っていいのかしら?)、なんでまた本なんて買われるようになりつつあるのかなあ、なんて訝しく思ったりもします。

要因は、おそらく「他のコンテンツ産業の停滞感」が結果的に出版に跳ね返ってきている、ということではないでしょうか?

例えばゲーム業界、ソニーがPS2を発表して以降「据え置き機」へのコンテンツ開発が鈍り、コンスタントなソフト開発から大作主義へ移行し全体の停滞感を生んでいるようです。
実際国内の市場規模も売上も頭打ち、開発会社各社は海外市場にベースを移しているようですが、海外も無限の源泉ではありませんから、国内の停滞感と同じ現象が起きるのも時間の問題と言えるかも知れません(僕、詳しくないので、発熱地帯さんhttp://amanoudume.s41.xrea.com/などを参考にしてみてください)

また、携帯コンテンツも、実は一番の稼ぎ頭の「出会い系」が法規制やらなんやらでユーザー離れが進んでいます。
壁紙・着メロなど他のコンテンツも、ライバル企業の増大、PC⇒携帯へのデータ移行方法の知識流布、「海外で売れない・シェアとれない」という事実が判明してくるにつれ、「それほど投資すべきビジネスではない」、「金と時間をかけてまで質のよいものを出せない」、という企業側の論理から、おそらくは今後頭打ちになると考えられます(もちろん、すぐに全てなくなるというわけではありませんが、PCネットが出来るPHSが出たりと、どうも携帯コンテンツも激動期を迎えつつある兆候はうかがえます)。

ビデオは現在DVDへの移行期まっただなかで、DVDデッキの売上増加で市場が華やいでいるように見えますが、実際は現行主流のビデオデッキの買い控えが起き、ソフト面でも販売店やレンタルショップなど確固たる販促戦略や思い切った方策(棚変えなど)が取れない、移行期独特の停滞感があるようです。

音楽業界はいまさらいうに及ばず、PCの違法コピーがどうちゃら、とレコード各社がすまし顔な時点で、もはや時代を読めていないおとぼけ産業といわざるをえません、これではユーザーもついてこないでしょう。実際、ネットではやり売れる曲、があるのだから、それを販促に使わない手はないわけで、ネット・PCをひたすら敵と見るのはまずい兆候です。
今後絶対になくなることの無いネット・PCとどう付き合っていくか、きちんと考えないと10年後にはmuzieとipot、ミュージシャン個別の著作代理店しか残ってない、なんてことに・・(まあ、そりゃないですが・・・。でもジャスラックに変わる著作代理ビジネスは、案外早期にできるかもしれませんね、パブリックドメイン的発想は音楽を付属商品とした別ビジネスへ発展する可能性を持っているように思えます)

と各コンテンツ産業が伸び悩んでいるのが、出版業界の売上増加に繋がっているように思えます。

え? なんでそんなこといえるの?
と思われるかもしれませんが、コンテンツ産業というのは各界の食い争いで、個人の24時間をつぶしあっている世界です。
つまり、人間、いくら遊びほうけても一日24時間しか遊べないわけです、一人が24時間遊ぶとして×1億2000万がつまりコンテンツ産業全体の最大売上高となるわけです。
ですから、一日4時間遊ぶ時間が有り、2時間ウォークマンを聞き、2時間ゲームをする人が、例えばゲームをしなくなると、2時間ういた時間ができます、と他のコンテンツ産業にとってはビジネスチャンスなわけです。
その2時間をめぐり、「アニメ見ませんか!」「UFOキャッチャーしませんか!」「ヒーリング音楽聴きませんか!」とあれこれ訴求した結果、「ほんなら『世界の中心で愛を叫ぶ』でも見てみっか」というのが出版業界復調の兆しの原因なわけです。
となると、どこかのコンテンツ産業がのびると、別のどこかが、時間を奪えず、のた打ち回っている、というわけですね。
ああ、恐ろしい。
・・・・・でもこう考えると、まともな「営業」という概念の無い出版業界が一番弱い気がするのですが・・・ぶるぶる。


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【追記】
よみとばしさんhttp://blog.livedoor.jp/yomitobashi/
にトラックバックいただきました、ありがとうございます。

チャイニーズ・イン・ザ・ルーム

2004年05月28日 02時07分34秒 | 不真面目
家に帰るとすかさず全裸になり、ベランダからご近所様に向かって「誰が俺の裸を見ていいといったー! 殺すぞ!」とキレまくった後、うまい棒(メンタイ味)をかじり、「裸でうまい棒、やめられねえよな? おい、てめえら、俺と棒、どっちがうまそう? げへへ」というクセがある知人のメアドを先日削除したのはワシ@部屋長です、こんばんわ。

ところで知人といえば、最近とある中国人と仲良くなりました。

知り合うきっかけはまったくの偶然でした。
ある日僕が家に帰ると、コタツに見知らぬ人が座っていました。
「あれ、鍵かけてたのになあ……」
訝しげにその人物を見ている僕に気がついたその男は、にこやかに手を振って、
「気孔で鍵を開けたアル」
と答えました。
なるほど、僕は納得しました、そしてこの男が中国人であることを知りました。
なぜなら、気孔を使えるのは中国人しかいないからです(そして、中国人なら誰でも気孔を使えるからです)。

それから、どういうわけかその中国人はうちに住みつくようになりました。

ある日、そういえば彼の布団がなかったなあ、と気がつき、ダイエーで買ってこようか、と提案すると、
「ああ、ああ、心配いらないアル。布団とか必要ないアル。中国人は、ラーメンのニオイをかいでるだけでいい気分になって寝れるアル」
と言い、懐から豚の骨を取り出しクンクンとかぎはじめました。

「部屋長もかいでみるアルか?」
と薦めてきたので、
「あ、いいっす。僕、日本人ですから、鰹節の方が・・・」
それを丁重に断り、懐から鰹節を取り出しニオイをかぎました。
黒潮のニオイが僕を優しく包みました、ああ、良いにおい!
中国人と日本人、その間には深い文化の差という溝があることを痛感しながら、夢の世界へと落ちていきました。

その中国人は日本製品をこよなく愛していました。
「これ、コタツアルか? ポカポカアルね~、まるで中華まんのようね~」
と言い、コタツぶとんをかじり出しました。
僕はあわてて、
「コタツは食べれませんよ! 焼肉を焼くための道具ですよ!」
と中国人を止め、コタツをひっくり返し、肉をジュージュー焼き始めました。
「ぬ! 部屋長! これは朝鮮の食べ物アル! キムチ臭い連中が食らう野蛮な料理を、偉大なる中華の住民である・・・」
ごちゃごちゃゴタクを言う中国人の口に、「まあ食べてみなよ」と肉を放り込んであげました。
「うぐ、うぐ・・・、もぐもぐ、うまい! うまいアル! これ、最高の料理ある! ワタシ中国人やめて朝鮮人になるニダ!」
こうして僕は、中国人の知り合いを失い、新たに朝鮮人の知り合いを獲得したのでした。

その朝鮮人(元中国人)はよく、故郷のソウルについて話をしてくれました。
「ソウルは熱い所ニダ。町中がキムチにあふれ、ドブには焼肉のたれが流れているから、いつでもどこでも焼肉ができるニダ。ついでに冬にはソナタが流れているニダ。東京と違って朝鮮はすばらしい国ニダ、マンセー!」
そういい、彼は懐から唐辛子を取り出し、ぽりぽりかじり始めました。

「ねえ、そんなのかじって、辛くないの?」
僕は心配しそうたずねてみると、
「それは朝鮮の属国であり、野蛮で文明に乏しいチョ・パリどもの言うことニダ! 偉大なる唯一民である朝鮮民族は辛さなど感じないニダ! チョ・パリどもは地獄の炎に焼かれて死ぬと良いニダ!」
とけたけたと笑い始めました。
中国人だった頃はあれだけいいやつだったのに、朝鮮民族になっただけで、これほどまでに偏狭で、意地汚く、キムチくさく、いやらしく、いやみったらしく、ワールドカップでは不正を行ったり、インターネットで他国のwebサイトを攻撃しては朝鮮人の優位性を示したとなぜか自己満足する人間になるのか、と辟易としてしまいました。

そしてあんまり頭にきたので、その朝鮮人の頭の上から「生茶」をぶっかけてやりました。
「ああ、ああ、やめるニダー! チョ・パリのお茶なんてかけられたら、腐っちゃうニダー!」
朝鮮人は苦しみもだえ、段々と溶けていきました。
そしてどろどろの赤い液体になってしまいました、僕は心配し廃油掃除用の「固めるテンプル」を放り込みました。
すると再び人間らしい形になっていき……、なんと松島奈々子になりました。

「えっ? 私、何でこんなところに・・・」
「うわあ、本当の松島だよ」
「ええと、あなたは?」
「君の兄です」
「・・・・・・兄さん!」
こうして僕と奈々子の萌え萌え同居生活が始まったのでありました。

やっぱり、一緒に住むなら同じ日本人が一番だよね!

老人と膿 -シルバーシート無用論-

2004年05月25日 14時11分56秒 | 不真面目
電車に乗ると空いていたのでシルバーシートに座ると、隣のジジイがきっとにらみつけてきたので、「牛丼もまともに食えないような歯抜けのよぼよぼが、その腐った網膜で俺様をにらむでない!」と心の中で軽い悪態をつきながら、ジジイのおでこにビックリマンシール(ヘッドロココ)を貼り付けるのはワシ@部屋長です、こんばんわ。

ところで皆様、シルバーシートと呼ばれる、「健全な精神は健全な肉体に宿る」的格言の対極にいらっしゃる方々が、特権的に座れる哀れみシートをご存知ですか?
知らない? そんなあなたは鳥取県出身です。
シルバーシートなるものが存在しないのは大いに過疎ってて、若者がいないからわざわざそんな席を設けなくても良い県=鳥取だけです。
僕は大分県出身ですがシルバーシートというものがどんなものか知っています、ですから大分の方が都会です。
大分には電車が走っています(一両編成ですが)、バスも走っています(一時間に一本ですが)、若い女人も街中を歩いています(40歳くらいの)、鳥取とは大違いです、ビバ! OITA!

閑話休題。
さて現在、このシルバーシートが無用ではなかろうか、という議論が各地でなされています。
いわく、「老人や身体の不自由な方に席を譲るのは当然なのだから、そもそもそんな特等席があること自体おかしい。そんな席があるから、『その席だけ譲っておけば問題なし』というおかしなマナーが生まれるのだ」といった内容のようです。

それはもっともな話で、いち早くそのようなものはこの世からなくなれば良いと切に願うばかりです。

ただ僕の場合は、NSBO(ニスボ・日本シルバーシート撲滅機構)の会長として、シルバーシートなるもののインチキさをさらに解き明かしていきたいと思います。

まず、シルバーシートは座れる基準というものが異様にあいまいです。
ですから、50がらみの「ジジイ初段」といった初老の紳士が、「ぼくちん、座っていいの?」という顔でうろうろしているのを、三鷹あたりでよく見かけます。
これが例えば80くらいの、社会的まったく無用でよぼけているだけのジジイになると、世間様も「ああ、こりゃあ生粋のシルバーだ」と納得するのですが・・・
先ほどのジジイ界・登竜門に差し掛かったくらいのおっさんがシルバーにどっかりとすわっていると、「おいおい、お前はまだまだ両の足で立てるだろ? 吉野家で並盛つゆだく食ってるだろ?」と、どこか不信感というか、釈然としないものがあります。
いったいどのくらいよぼよぼであればシルバー権を得られるのでしょうか? そこらへんの法整備をしないと「準シルバー」の方々が困ってしまいます。

また、4人がけの席に70代のシルバーが4人すわっているところに、80歳のシルバーが来た時などの対処法も、難しいところです。
「シルバー」というくくりでは、どちらも強度なよぼけ具合の「シルバー勝ち組」ですが、いうまでもなくシード権は80の方にあります。
この場合はシード選手に譲らなければならないのか、またどの70代が予選落ちするのか、現状よくわからない状態です。

それを解決する案として、NSBOでは「シルバーレベル」の導入を強く推しています。
シルバーレベルとはそのジジイやババアがどのくらいよぼけているかを示すもので、1~100までの数字で表します。
(ちなみにシルバーシートに座れるのはレベル10以降とします)

レベルをはじき出すために、判断基準を設けるのですが、よぼけ具合は年齢だけでなく、病状や社会的地位なども関わってきますので、複数のカテゴリーからはじき出すようにします。
例えば「年齢」の項目では、
■50代 +1レベル
■60代 +4
■70代 +10
■80代 +20
■90代 ゴールドシルバー
■100代~ プラチナシルバー
というように数値をだします。

でも、このままでは50代はシルバー権を獲得できないじゃないか! という怒りの声が窓際からよぼよぼと聞こえてきそうですが、ご安心を。
このほかにもいくつかのカテゴリーがあり、そちらでレベルアップが期待できます。
例えば「家族」の項では
■パンツを洗ってもらうとき箸でつままれる +3
■一家に身の置き場が無い +5
■先日、多額の生命保険をかけられた +10
など、世間が「これはシルバー扱いしてもよさそうだ」という条件に対して加算されます。

そのほか、「社会地位」では
■万年課長 +2
■万年係長 +5
■万年ヒラ +10
■リストラ +20
■年金未納発覚 +30
と、わけありな加算方法がとられます。

もちろんシルバーシートはよぼけたジジイだけがすわるわけではありませんから、「病気」「身体状況」なども加算の対象になります。
■骨折 +3
■胃ガン +10
■妊娠 +15(子供を生むというのはそれだけ大変なことなのです)
■妊娠(バツイチ後の) +30(さらに、コブツキで新しい種を得るのは、ぼやっと80歳になることよりずっと大変です。+30は当然の評価です)

このようにして割り出した「シルバーレベル」を各自のひたいにタトゥーします。
これで、シルバーにかんする混乱は解消できます。
なぜなら、レベルの高い順に座っていけば良いからです、より高レベルのシルバーがきたときは、一番低いレベルのシルバーが立ち、席の入れ替えをすれば何の問題もありません。

「お、あんたレベル34のくせにシルバーシートにすわってんじゃねえよ。俺は65の完全なるシルバーだぜ、どけよ」
「わ、私はまだレベル7なので、シルバーとはみなされないのですね・・・、座れないのですね・・」
という具合に。

しかしもし同じレベルの人間があらわれたらどうするか? その場合はNSBOが発行している「シルバー判定員(2級・準1級・1級)」の資格保有者に、その場の状況などを鑑みてもらった上で判断します。


このようにしてシルバーシート界は安定します。
よかった、よかった。

が、しかしです、実はシルバーシートが抱えている問題は、これだけではないのです。

ちょっと考えてみるとすぐにわかるのですが、電車やバスは公共物、つまり社会的な便宜のために存在するものです。
ということは社会にとってより有意義なものでなければならないのです。

となると、突如として疑問がわいてくるはずです。
なぜ税金を払い、ジジイババアのために年金を払ってやり、社会が動くよう歯車になって働く30、40の労働者がわざわざ席をゆずってやり、社会的になんら存在意義の無い、国庫の穀つぶしであり、これから巣鴨でのんびり散歩、くらいの理由で電車やバスに乗っている他人のジジイ・ババアに楽をさせてやらなければいけないのか?
これはどう考えてもいびつで、おかしなことです。

僕など先日、夜9時ごろ電車に乗ったら、シートをジジイババアが占拠しており、ネクタイしめつかれきった表情のサラリーマンたちは一様につり革にもたれていたのです。
それだけでも激憤ものですが、シルバーシートにすわっていたババアどものしゃべる内容に、僕は自制心を抑えるだけで精一杯でした。
「今日は朝から茅場町でお茶会してね~、その後老人界のテニスサークルがあって、良い汗かいちゃったわよ~。年金暮らしは楽でいいわよね~、最近若い人たちは、年金払っても全額は返ってこないらしいわね~、まあ、たいへんだわね~、うふふ~」
これは何かの侮辱でしょうか? それとも脳が干からびて前頭葉が消滅しているのでしょうか?
だれに支えられて、そのなんちゃら会に出られると思っているのでしょうか? 高齢化社会の中いっそう負担を強いられる若手のおかげであることを理解していないのでしょうか?

NSBO会長として、強く言いたい、ジジイババアに席を譲る必要はない、と。
どうしても楽をしたいなら、どうせ骨と皮しかないのだから、網棚にでもほうりなげておればよい、と。
それがいやなら、せめて通勤・退勤ラッシュ時に乗るな、一日中ひまなら歩いて巣鴨に行け、毎日忙しい人たちの足手まといになるな、と。

シルバーシートなどという甘えきったシートがあるからしわがれた者たちが自覚をうしない、調子付くのです。
無条件で座ろうなどと、極甘な発想をするのです。
そんなものはさっさととりはらい、グローバルスタンダード、競争社会の中でどのようにすれば席にたどり着けるのか、同情を買うのか説得をするのか、老人であっても自立心を持ち生きていかなければならない社会を目指したいものです。


※注 「よぼける」はワシ@部屋長の造語です。よぼよぼしている様を表した動詞です。

Winnyと京都府警

2004年05月24日 03時01分23秒 | 不真面目
「生きてることが犯罪」とか言われるのはニコニコと流せるけれど、「大分市って別府があるとこ?」と言われると思わずカボスの絞り汁で目潰しをしてしまうほど故郷への愛に満ち溢れた男こそワシ@部屋長です、こんばんわ。

ところで皆様もご承知の通り、ウィニーなる「ソフト無料入手テク」を生み出したおっさんが京都府警に呼び出しを食らっております。
小難しい表現をするとわかりにくいので、京都府警とウィニーおじさんを野球部の先輩後輩に例えてみます。
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京都(以下先輩):おい、てめえ、ちょっとこいよ。
ウィニー(以下後輩):?、なんすか?
先輩:てめえ、最近ちょっとすかしてるらしいな。
後輩:なにがっすか?
先輩:すっとぼけてんじゃねえよ! 全部知ってんだぞ!
後輩:? 何をです?
先輩:この前見たぞ! おめえ、一年生が野球の球を運びやすいように、大八車を持ってきたそうじゃねえか!
後輩:? はい、その方が一年生も玉拾いが楽になるかと。
先輩:楽にさせんじゃねえよ! 俺ら3年が威張れねえじゃねえか。下僕達はその都度一個づつ拾い、無くしたら自費で新品を用意する、こうやって組織はうまくなりたってんだよ!
後輩:・・・なんか、そういうのって、非合理的じゃないっすか?
先輩:ああ、うるせえなあ! 良いんだよ! 今までそうやってきたんだから、何も考えずに伝統に従ってりゃあよお!
後輩:俺はいやっすね。もっと、皆が玉拾いしたり、運んだししやすいよう、大八車を改良していくつもりです! そうすればチームメンバーも余裕ができ、ゆくゆくはチーム力の向上に・・・
先輩:うるせえ! うるせえやい! そういった取り澄ました態度がむかつくんだよ! 俺のような3年生はだ、旧体制に従い、権力の犬のように、強きに尻尾をふり、法の解釈で都合の悪いやつをじゃんじゃん豚箱に送って、弱きに拳銃と手帳をちらつかせ、ネズミ捕りで検挙率をアップさせ、査定を良くして給料アップをはかってりゃあいいんだよ!
後輩:・・・そんな時代は終わったんすよ・・!
先輩:あ?! てめえわかってねえみたいだな、権力の傘をきた俺たちがちょっと動いたら、てめえのような2年生なんてこてんぱにやっつけられるんだぞ! げへへぇぇ! わかったらちょっと部室こいよ!
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とまあ、こんな感じです。
非常に中立的な見地で例えたメタファーですので、どちらが良い、悪いというのはこの文章だけではちょっとわからないと思いますが、例えば次のようなフラッシュが作られているあたり、どうも京都府警の勇み足感は否めないようです(中身の記事自体は別々の人が作ったみたいですが・・・)。
http://olos.hp.infoseek.co.jp/gallery/microfilm/microfilm.html

もちろん、ウィニー的なものが技術屋の独断で広める、というのが正しいのかというと疑問符がつきます。

例えば「錬金術」的なものが開発され、技術屋の独断でそれが一般公開されるとします、するとどうなるか?
言うまでも無く個人が勝手に金をじゃんじゃん作り出すことになります、すると各地で問題が発生してきます。
世界経済は金本位制成り立っていますから、貨幣、証券取引場、銀行などなど、いっぺんに機能を麻痺させます。
それだけではなく、現在99%が「マネー」との等価交換で成り立っている労働力が霧散し第三次産業を中心とした労働者階級が消滅します。
そうなるとあらゆる商取引がストップし、世の中で唯一通用するのがぶつぶつ交換だけになります。
農家が王様になり、漁師が女王様になります、どちらも男の場合はホモダチになります(無理にならなくても良いですが、愛は性別を乗り越えるものなのです)。
東大卒のエリート達は農民のクツを舐め、すがるように米を分けてもらえないかと猫をかぶることになります。
また農作物を強奪する強盗団が多数発生し、法秩序が消滅します。
法がなくなるので、京都府警の頭の悪いマッポたちは威張り散らすことができなくなり、背後から大根で後頭部を殴られ、死んじゃいます。
・・・最後のほうはちょっとよくわかりませんが、技術が抑制の無いまま広がる、ということにはある種の危険をはらんでます、それはダイナマイトが発明された時からの常識です。

webの自由さはそういった常識を、乗り越えようとしているのか無視し後退しようとしているのか、ちょっと判断しかねるところではありますが、確かにウィニーという技術が無作為に広まるのはよろしくない、という意見はあってしかるべきだと思います。
ウィニーに限らず、新しい技術はダイナミックに世界を変える分、その恐ろしさもまた世界は知るべきなのでしょう。

ただ、それを「犯罪幇助罪」と呼ぶのはいかがなものか、という気がします、それこそフラッシュにあるように、「包丁職人」から「内閣閣僚」まで全員逮捕しなければならなくなります。
技術の拡散というのも恐ろしい話ですが、法解釈の無用な拡大、というのもやっぱり恐ろしいもの。
この件は、いちソフトの枠にとどまらない深いテーマのはず、ウィニーおじさんを豚箱に放り込みたいのならきちんと法整備なり法改正なりをして、改めて丁重に拳銃突きつけ豚様が入る箱にぶち込んだ方が良かったのではないでしょうか?
そしていつもやっているように「この豚め、げへげへ」といいながら容疑者の鼻に八ッ橋を詰め込んだ方がよかったのではないでしょうか?
さらにその八ッ橋を抜き取り、「ねえ、食べていい? うち、食べてええねんか?」と色目を使いながらたずね、一口食べ「あんさんの鼻水、ちょっとしょっぱい味がすんねん・・・ってこんなもん食わせるなー!」と関西らしい乗り突っ込みをした後、容疑者の額に「京」と書き込んだ方がよかったのではないでしょうか?

それが、赤坂の料亭で女中の尻を触ってはげへげへ言っている議員の方々や、中央省庁から来た署長なんかにはへいこらしてる割には窓口に来たじいさんには「この書類じゃ受け付けられないねえ、おとといおいで、げへげへ」と横柄な態度を取る下級マッポのやるべきことのはず。
理系的な分野に疎くキーボードを見ただけで嘔吐するくらい脳細胞が萎縮しているのはわかりますが、この国をもうちょっとまともにしたいのなら、いかにリナックスを発明するようなパワーを持った、個々人で動ける技術屋たちのやる気を阻害せず、技術を文化に運用させるのか考えてもらいたいものです。

というわけでウィニーおじさんに日ごろお世話になっている人は
http://freekaneko.com/
こちらで弁護費用の肩代わりをしてあげましょう。
僕は・・・いえ、その、あれですよ、使って、ないですから・・・。

ところで関係ないのですが、京都府警にはこんな面白マスコット「キョッピー君」がいます。
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/kyoppi.htm
どうですか? 京の風情あふれるこのダサさ加減や気持ち悪さ、ピーポ君にもおとらぬ出来栄えです。
また、URLの末尾が「kyoppi」になっていますが、どちらかというと「kyopy」かな? という野暮を言ってしまいたくなるような、ヘボン式の脳味噌の京都府警の方々にラブを感じてしまいます。
さらに特筆すべきはその解説文です、いわく、
「府民の皆さんとのふれあい活動などで出会ったときは、「キョッピー!」と声をかけてくださいね。」
だそうです。
・・・京都駅前なんかに行くと突然「キュッピー!!!」と叫びだすラリッた人たちが見られるんですかね。
電波の街ですね、京都。
(ああ、それと、ホームページも限りなくダサいですから、一度目をとおしてみると面白いですよ、限りないですから)

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煩悩ブログさんhttp://blog.goo.ne.jp/kekeke_kill
にトラックバックいただきました。ありがとうございます。

国家と個人

2004年05月22日 20時02分09秒 | 不真面目
しつこくせがまれるのでパスポートを見せ日本国籍であることを教えると、次の日から妙に優しく接してくれるようになったフィリピン出身のキャバクラ勤めのお姉さんが隣に住んでいるワシ@部屋長です、こんばんわ。

ところで昨日、北に拉致られた面々が向こうで作った家族とやらを日本に呼び寄せる、とかなんとかで純ちゃんが北朝鮮に行ったというニュースがありました。
で、今回純ちゃんが召集する予定だった人数は8人だったそうですが、先ほど入ったニュースによるとそのうち5人が来ることになったのだそうです。
8人中5人なら半分以上、相撲なら勝ち越しだ、万々歳だね、と思っていたら、どうも拉致られた面々やその家族は違うらしく、「総理にはがっかりだ」「落胆した」「最悪の結果だ」と言いたい放題。
休日なんだから、家でごろごろしたり、幸太郎とキャッチボールしたり、Xジャパンのライブビデオ見たりして楽しみたいだろうに、わざわざ北に行ってやったあげく、その言われようだったら純ちゃんもがっかりだろうなあ、なんて個人的に同情したりします。

ところでこの拉致関係の話、僕はまるで興味がないためよくわからないのですが、何でニュースでは、拉致被害者家族の「帰国」と言ってるんですかね。
別にキムチ臭くてマス(ゲーム)ばっかりやってる北朝鮮人の肩を持つわけではないですが、拉致された面子はともかく、旦那なり奥さんなりは向こうの人間だろうし、生んだガキはいわゆる「二世」なんだから向こう国籍じゃないんですかね?
少なくとも何年も住んでれば、当人らにとっては向こうが故郷と思うはず、それを平気で「帰国」と表現してるんだから、ちょっと不思議ですね。

ハスイケだかなんだかというまるっっこい、カレー毒事件の林眞澄クリソツ(死語)のオバサンの家族が、日本に「帰って」こないことで被害者家族の仲良しグループは一様に「最悪だ」と表してるらしいですが、向こうの家族の感情は無視なんですかね?
ジェイキンスとかいうおっさんはアメリカ軍から抜け出した、いわば犯罪者なわけですよね、当人にも色々不安があるだろうし、感情もある、意外と北朝鮮が住みやすいのかもしれない。
それを日本に「帰る」ことが当人らにとって最善だ、という確証があるかのごとく振舞ってる拉致関係の面々をみていると、なんか妙な気持ち悪さを感じます。
少なくとも僕は、会ったことも無い、話したことも無い人間に「こうすれば良い」「こうした方が幸せになる」なんていわれたら、てめえのしったこっちゃねえだろ、他人に俺の幸不幸がわかるかよ、と唾をはきかけてやりたくなりますね。

「北朝鮮」といういかにもインチキ臭くヤバげな国が相手だから、という理由で拉致関係の面々が我が物顔であれやこれや好き放題言う、というのはいかがなものか、と思っちゃいますね。

そういえばこの拉致面々の会見、先日のイラク3馬鹿会見ににてますね。
国家の仕業に個人の感情が必要以上にはいってくるとどうなるか、あの世論のさめ具合が今回のケースに当てはまるなら、これから世間は拉致面々にひややかになるんじゃなかろうか、なんて勝手に予想してたりします。

もちろん国家のすることに対して、常に個人は従順であるのが正しい、なんてことはこれっぽっちも考えていませんが、ケースによっては軽はずみな発言が、全体の流れを変えちゃうことを、イラク3馬鹿や拉致面々も知る必要があるように思えます。
政治には表と裏があるもの、また順序もあるし、相手のメンツも考えてあげなければならない、ぬきつさしつで行うのが外交なり政治なりのはず。
事情もわからない、ただ「事態」に足を突っ込んでいるというだけで政治レベルの話を大儀も無くする「個人」というのは、ろくな大人には見えませんね。
本気で拉致被害者の向こうの家族に「来日」してほしいのなら、そのために絶対必要な「政府」というパートナーに対しての発言は、もう少し頭を使って行うべきです。
それがクールな、成人した人間のやることです。

というか、イラク3馬鹿の世論の動きを見た上で、政府関係の頭の良い方々自信つけて純ちゃんを北に送った、という気もしますが・・
何人かつれてこなくても、「個人が国家の足を引っ張るな」と世論が見方してくれるだろうし、ってな感じで。


ところで関係ありませんが、最近「年金問題」で政府がばたばたしているのをみると、どうなのかなあ、なんて思っちゃいます。
もちろん自分らが作った制度で自分らが払わん、というのはお笑いのネタみたいなもんですが、かといって年金払わない程度で党首が辞めたりするのはそれはそれでとうかと思います。
例えば、経営に失敗したわけでもないのにトヨタの社長がある日突然、「そういや昔、年金払ってなかったわ。だから辞めるね」なんて言い出したら、会社がひっくり返っちゃいます。
まあ、管ちゃんなんかがトヨタの社長の1億分の1ほどに社会に影響を与えているとは思えませんが、それでも組織の長たるものがたかが年金で辞めるだなんだ、と騒ぐ方がむしろ人格が疑われるような気がします、責任の放棄もいいところです。

ただ、そうなったのは言うまでも無く、政治家という仕事の、国民の意向いかんで職を失いメシが食えなくなるかもしれない自由業の性質にあるわけです。
もし年金についてこんなに騒がれてなかったら、どうってことなかったはずなんですけどね。
大体、国民の半分近くが年金払ってないんだから政治やってるおっさんたちだって、当然払ってないアホが居るのもあたりまえちゃああたりまえなんですよね、というか「お前ら払ってから文句言え」と怒りたくなるでしょうねえ・・・。

ふうむ、なんだか変な話になってきたからやめますけれども、ところで素朴な疑問なんですが・・・・・・北に拉致られた面々って、年金もらえるんですかね?(もらえたらやだなあ。最低20年間納めてないともらえないらしいけど、これからでも良いから払ってほしいですね)

PTSD

2004年05月20日 15時29分31秒 | 不真面目
何もすることがなくて暇なときは、駅前に出て人だかりに向かって「俺としりとりしようよ!」と大声で叫び、誰も相手にしてくれないことで初めて自分が孤独であることを認識するワシ@部屋長です、こんばんわ。

ところで皆さんは心に病はありますか、僕はありません。
僕ほどに心の病がなく、清らかで、美しく、清廉潔白で、世界の王になるにふさわしいやんごとなき心の持ち主はいないでしょう、偉大なり、ワシ@部屋長! あは、あははははは・・・。

しかし実際のところは、自分が正常か異常かなんて「本人」にはわかりません。
多くの人が自身を「正常」と考えるはずです、しかし現に世の中には「心の病」と呼ばれるものがあります。
それは言うまでもなく「(自覚症状も含め)他者」からの、あの人物は病んでいるという判断の元、心の病と言うものは発生するわけです。

原理的に、人間は「生存し続けること」でそのレーゾンディティールをまっとうしているのだから、肉を食って寝て起きて生きていれば心に病があろうとなかろうと、問題はないはずです。
また逆に、仮に精神的に問題があって生存が難しくなる、という状態が存在したとしても、それは外敵に襲われて片足を奪われる、といった危機的状況と同じ「生存能力が無い」範疇のものですから、あえて「心の病」とカテゴライズする必要はないわけです。

ただ、人間は社会性の生き物、心の闇を抱えた人間がごろごろいたのでは困ったものです。
例えば肉を食うために肉屋の店長を殺して牛肉を奪う、なんて人がいると、本人にとっては問題なくても社会的にちょっとまずい。
ということで、そんな人物は心の病を持っている、ということにして何らかの対処を講じる必要がある、きわめて薄っぺらい見解ですがそういった社会の要求から発生したものが「心の病」なわけです(社会性がどうのこうのという話になると、ルソーまでもどってしまうので無いことにします)

さてそんな「心の病」、今一番ブレイクしているミリオンサイコロジーといえば、なんといっても「PTSD」です。
いわゆる心的外傷後ストレス障害、というものですが、最近やたらと雑誌やワイドショーなんかでも使われているようです。

もともとはベトナム帰りの兵士たちに、極度の不眠や幻覚、フラッシュバックなどが見られたことから注目を集めるようになった「心の病」で、日本では阪神大震災の被災者に多く見られたことでブレイクしました。
その後、堺マチャあきの奥さんが記者会見で「長い結婚生活でPTSDになった」という爆笑コメントを残したことで脚光を浴び、最近ではイラクで人質になった3馬鹿トリオがPTSDになったとかでまた話題になりました。

しかしまあ、なんで皆さん平気でPTSD、PTSDとのたまってるのかなあ、と元心理学専攻のインチキ学生だった僕なんかは、その流行具合に変なこっぱずかしさを感じたりしているのですが、つい先日、どこかのニュースでこんな記事を見ました。
「日本のPTSD診断の50%以上が、正確な診断ではない」

おやおや、そりゃあPTSDって「症状」ではなく「状態」なので診断しにくいのはわかりますが、それにしてもひどい数値ですね。
その記事には、原因としてPTSDの判断方法が確立しないまま、広まってしまったことがあげられていました。
・・・医者や心理士がはやりすたりで物事を判断するようになっちゃあ、世の中おしまいですね。
「この患者、明らかに胃ガンだけど、今年は香港B型ウィルスがはやってるから、インフルエンザ注射しちゃえ!」とか「これはまたひどいPD(パニック障害)だけど、ADHD(注意欠陥多動性障害)がナウいらしいから、そっちにしちゃえ!」なんてことがまかりとおるわけですね、ヘルシア緑茶飲んで医者に行かないのが一番いいかもしれませんね・・・

ところでPTSDは、基本的に原因事象から一ヵ月以上たってからしか判断できません。
ということは、なんか日本に帰ってきた後すぐにPTSDだと報じられた、イラク人質3馬鹿トリオ(略して・イラク馬鹿)はPTSDかどうかなんてわかるはず無いんです。
どこの医者が判断したのか、あるいは3馬鹿が足りない頭で被害者ぶろうとしているのかはわかりませんが、流行をおっかけるお遊び報道をしている時点であの事件は国際問題ではなくただのワイドショーととらえられているわけですね。
自衛隊帰国させたいなら、自決でもして死んじゃえばよかったのにね、がっかり。

世界の中心で年金と叫ぶ

2004年05月18日 14時26分41秒 | 不真面目
「年金払うより直接お年をめされた方に何かをしたいのです! お助けしたいのです!」とうそぶいては近所の老人にマルチ商法を勧めるワシ@部屋長です、こんにちわ。

ところで政界はただいま年金ブーム、どこもかしこも年金未納議員であふれかえっております。
雨後のたけのこのようにぽこぽこ出てくると思っていたら、どうも小泉の純ちゃんまで払ってなかったそうで。
純ちゃん、予備校生だったからいいもん! ということらしいのですが、20になっても予備校生ってのは、2浪しているということでしょうか?
よく事情はわかりませんが、1浪して上手くいかなかった場合は予備校変えたほうがよかったのでは? あるいは大学あきらめて代々木アニメーション学院に入るとかね。
もし純ちゃんが代アニに入っていたら、世界初のオタク宰相になってたのにね、萌え萌えオーラでどっきん国会になってたんですけどねぇ、がっかりんご。

それはともかく、どうもこの勢いだと国会議員の半分くらいは年金払ってない、なんて事態も起こりえるような気がしてきました。
となると現在全国の年金未納率とどっこいどっこいになりますね、さすが代議士は国民の鏡、脱税も国民と同じ割合ってことですね。
しかし国民の場合、未納の層はF1M1など若い世代ほど多いもの、最近あがってる年金未納の犯罪者どもはどうも、果物で言うと発酵期過ぎの連中ばかりというのはいかがなものでしょうか?
裏で大きな犯罪をやってるせいで、年金未納程度の犯罪行為にはうとくなってるのでしょうか、となると平気で自転車泥棒とか、イタ電、ピンポンダッシュくらいやってるかもしれませんね。
「管直人、五反田駅前で自転車を盗み逮捕」とか出るとおもしろいのになあ。

そういえば江角マキ子はイラ管にさんざんたたかれたあげく、CMの出演料を自主的に返還してたそうですが、永田町の犯罪者連は歳費や議員年金を返還しないのでしょうか?
でもまあ、国会は多数決の世界、このまま年金未納議員が半数を超えれば「議員は年金なんかはらわなくても良いもんね法案」を可決させ、払わなくてすむようにしちゃうのでしょうね。

ところで年金といえば読売巨人軍ですが、毎夜毎夜ホームランを連発しております。
このまま「ホームラン」という名の年金を積み立てていったら、シーズン終了時、どれほどのキャッシュバックがあるのでしょうか?
さすが巨人だね!

巨人・大鵬・玉子焼き

2004年05月17日 18時15分20秒 | 不真面目
「巨人が勝った! 勝った!」と騒いでいる新橋の中年男性に、ケミカルチョップを食らわせるのが日課になりつつあるワシ@部屋長です、こんばんわ。

ところで巨人といえば、王さんなのですが、「おうさん」と呼ぶとなんか僕が、この一本足なる人物を自分の主であることを認めたような気がして気持ちが悪いので、個人的に「すすむさん」と呼んでいます。
なんか、顔や口元が前のめりな感じがするからです。
いわゆるフライング・フェイスというやつですね、僕が勝手につけたネーミングですけどね。

そのすすむさんが所属していた球団がこの巨人とかいう球団なわけですが、最近まで知らなかったのですが、どうやら日本で一番人気があるのだそうです。

「日本で一番人気があるのは、僕の母だ!」と常に公言している僕には、この事実がどうにも受け入れられず、いつも母に泣きついています、ついでに頭をなでなでしてもらい、ぐっすり眠ります、なでなでしてもらわないと、安心して眠れないからに他ならないのです。

僕の母自慢を書き連ねるには、このようなおんぼろブログでは収まりきれないのでやめますが、事実はやっぱり事実、片っ端からチョップしているのに次から次へとわいてくる、新橋あたりの仁丹くさいおっさんたちを見ていると、やっぱり巨人は日本一人気ある球団なのだなあ、と認めないわけにはいきません。

でも巨人なる球団、名前が良かったですよね、これが「読売・愛子と次郎軍」だったり、「読売・売らず(Uras)」「読売・日経軍」「読売・試合の後はみんなで五反田で・・・」「読売・ウリナラ・キムチ臭」「読売・F・不二夫」など、ジャビット君の笑顔も消えてしまいそうな名前だったら、ファンもしょんぼりだったはずです。
巨人とネーミングした人間のコピー能力が今の巨人を支えていると言って過言ではありません。糸井?

ところでずいぶん昔に、そんな糸井も真っ青の名言がこの国にはありました。
それが「巨人・大鵬・玉子焼き」です。
今時のちゃらけた若者たちはもう知らないのかもしれませんが、かつて大鵬という、肥満界の英雄がこの世にいました。
そして食べ物界では玉子焼きが王座に君臨していました。
え、玉子焼きが? と思う人もいるかもしれませんが、ほら、時々中年層が言ってるの聞きませんか? 昔はマツタケやクジラは安かっただの、バナナや卵は風邪のときと家庭訪問のときしか食べられなかった、とか。
そう、昔は卵は憧れの食材でもあったのですね。
ですから庶民はみんな「巨人・大鵬・玉子焼き」に憧れていた訳です、6へえ。

それにしても、この言葉、「玉子焼き」の部分を良く見ると、「王さん」の「王」の字とかぶってますね。
いやあ、さすが世界の王って言うだけのことはありますね、どこにでも顔を出す。
あ、いま「おうさん」っていっちゃった!
ああ~ん、もう、失敗だよう、おかあさ~ん。

……もうすぐ25だというのに、俺は何を言っているのだ?


夢は

2004年05月17日 17時50分54秒 | 不真面目
僕の夢は、犬になることです。

といっても、「権力の犬」とか「バターほにゃらら」といった犬ではなく、まがい物の無い、本物の犬、人畜無害の犬ころになりたいのです。
それはなぜか?
「犬の糞を踏んでも馬鹿にされないから」です、なんせ犬ですからね。

ではなんで僕は「犬の糞を踏んで馬鹿にされないため」に犬なんぞになりたいのか?
読者諸兄はこのなぞを解けますか? 答えは文章の中に含まれているので、そのにごりきった目をよおく見開いて発見してください。

はい、そうです、先日犬の糞を踏んで馬鹿にされたからです。
でもこれは僕のミスではありません、僕だって24年も生きてるのだから、クソ的な何かが落ちている可能性のある道端に、犬の糞が転がっていたら、それを避ける、ないし飛び越える、進路を変える、途方にくれてしゃがみこむ、母に電話をかけ助けを呼ぶ、などの「犬の糞を踏まないための努力」をすることくらいできます。

しかしそれは僕の予想だにしない場所におちていたのです。
そして、あたかも都会というレーゾンディーティルに染み付いた絶望的な予感のような茶色いそれは、僕の靴を致命的に汚し、けがし、周りの人類から蔑視と嘲笑をあびせられるという耐え難い屈辱にまみれてしまったのです。

ではなぜ僕はその悲劇を避けられなかったのか? なぜ犬の糞が落ちていると予測できなかったのか。
おそらくにごりきったあなたの目では真実を見抜けないはずです、ですから即座に答えを言います、その犬の糞が落ちていたのは、なんと地下鉄の通路だったのです。

考えても見てください、誰が地下鉄の通路に犬の糞的物体が落ちていると思いますか! それは井上和香が焼タラコを食べながら「こんなタラコみたいな唇の人間がいたら、それは人類じゃないよね!」と言うくらい、「ありえないこと」なのです。

しかしそれはあったのです。
そして、通勤する人類があふれる構内でそれを踏んでしまったのです。

それはもう、はずかしいことでした。
周りを見るとみんなにやにやしていました。
さらには、壁によりかかっているホームレスがニヤニヤしながらこちらを見ていました。
そして自分を指差しながら何かしゃべっているのです。
「おれ、それ、おれ」

もうお気づきですね、そうです、その糞は犬なるものの糞ではなく、人糞だったのです。
まさに人災というやつです。
もちろん僕はそのホームレスを蹴り飛ばしました、言うまでもなく、茶色いものがついたほうの足で。

さて、この結論から言うと、僕の夢は「犬になること」ではなく、「人になること」だったわけです。
なんだかねずみの嫁入りみたいな話ですね、きたないったらありゃしない。