北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

上村愛子というとどうしても思い出す

2006-02-11 11:09:19 | 日記
政治思想板の、あの伝説の男のことを

菊地、2chの片隅で今でも伝説として語られるウヨ厨房であるが、
彼は四年前、異常に上村愛子に執着していた。慶応大の入試前日
なのにオリンピック見ながら「うぽおおおお~」と叫んでいた
ぐらいだ。

まあ、トリノオリンピック特集の上村愛子を見ながらこんなことを
考えているのはオレぐらいだろうが。

しかし、あの頃のコヴァは面白かったなとふと思う。
菊地にしろ反サヨ先生にしろ、自分の言葉で何とか自分の言いたい
ことを必死に考えていたような気がする。まあ確かに論理や結論は
未熟なものであり、理屈もへったくれもない妄想としか言いようの
ないものであったが、それでも彼らの考える理想や目指すモノがある
程度であるがこちらにも伝わるという意味で「思想」としては
最低限のものを備えていたような気がする。だからこそきちんと
「論破」なり「論理の矛盾」を突くことが出来たのだけれど。

翻って今はどうか。
私には菊地や反サヨ先生レベルの論理すら彼らの間からは消滅したような
気がしてならない。それと同時に「何故、彼らはそう言いたいのか」
と言う思想的根拠すらもただ希薄となり、漠然とニッキョーソやら半島民やら
サヨクやら現実社会への恨み辛みをただ「人から借りてきた言葉」で
晴らそうとする気持ちしかオレには読み取れなくなった。
典型的なのが林間だけどw

思想家気取りのアフォという意味で菊地と林間は同レベル
なんだけど、自分が社会に出て行った結果どういう恐怖に晒され、
その恐怖を取り去るためにどのような社会システムを構築
すればいいのかアホなりに自分の言葉で「思考」したのが
菊地なんだけど、林間はただ「権威」で押し切ろうとする。
しかもウィキペディアや小林よしのりで(バクシオ)。
そこに「自分で考えた」形跡はみじんも存在しない。見えるのは
自分に都合良く曲解された言葉達の裏から透けて見える
30代穀潰しの惨めな現実だけである。

関係ないが、この前街中でエロゲソング(多分、でも
あんなアホな曲普通ないからエロゲだと思う)を大音響で
かけながら走る中にやたら原色系統のUFOキャッチャーで
取ったぬいぐるみが目立つ日産キューブを見たが一瞬
「ヤベエ、林間がこっちの方まで来た!」と思って
腰を引きまくったりして、なんとなく。

それはともかく、オレは菊地の「身体性」というか
「自分の恐怖心をどうにかしようとする態度」だけは
結構好きだったりするんだよ。まあ、もうちょっと
自分でどうにかする方法考えろよなとは言いたいけど。
菊地のそういう「自分の弱さ」をどうにかしようと
しているところがオレは好きだ。そういうところが
今のコヴァや紳士様には全く欠落しているような
気がする。

最近、面接で結構自分を開け出さないといけないことが
多いからふとそんなことを思ったり。