∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

     本ブログの記事、画像等の無断複製および転載を禁じます。

C-1 >村木砦址(海賊篇)

2006-01-27 15:41:00 | C-1 >小河氏系水野


村木砦址(海賊篇)

 「村木砦の戦い」の背景として、「村木砦が造られるに至った背景」を『知多史郡 下巻』第一章 東浦の村々「村木」と「龜崎」、および『刈谷市史 別巻』、『信長の涙』から抜粋し、推察してみよう―― 

 村木にはかつて「臨江庵」という伽藍(大きな寺院)があり、その寺名にも称された地形通り、村木の東には境川と逢妻川の合流した大きな川が北から南に流れており、3Km東の対岸にある「熊(愛知県刈谷市熊野町付近)」という所とを濱船が往来していた。この辺りの海上権は、村木の南約17Kmにある龜崎(愛知県半田市亀崎町)の 稲生氏と、これと同盟した人々の手に握られており、臨江庵もまたこれに属していた。当地は古い時代から“船の事”に関する歴史を有し、稲生氏は足利時代から当地を拠り所とし、緒川方面をも掌握していた。文明元年(1469)頃、水野貞守が緒川に勃興し、次第に国力が発展したものの、旧来の稲生氏勢力に阻まれその先の伸展はみられなかった。しかし貞守末裔の忠政が詭計をもって臨江庵の船舶を奪い、この船を利用して稲生方に属した対岸の地(刈谷市)を得たことが、稲生の勢力をくじく端を発したこととなった。その後、水野の勢力は順調に拡大していき、稲生勢と龜崎の北西約4Kmにある阿久比川、矢勝川の合流付近の大古根(愛知県知多郡阿久比町)を統率していた宮崎久左衛門家とを水野配下の海賊(海軍)とし、共に水野家水軍の両翼を成した。阿久比の地は江戸時代頃までは、入江が深く湾入しており、阿久比町宮津は熱田社領であった頃は、租税の運搬に船を出したところと伝えられている。

 一方、今川勢と言えば桶狭間の合戦時、駿河の今川義元が三河に遠征してきたことで、今川勢は駿河から出張ってきている余所者の様に捉え勝ちであるが、事の起こりは承久の乱で頼朝のために戦功を立た北条政子の妹婿、足利良兼の子義氏が三河の国に守護として着任して来たことに起因する。義氏は将軍源実朝や後の執権北条泰時と従兄弟同士であり、更に足利氏は清和源氏の二男の系統であったことから、源氏本家の頼朝の系統が絶えたときは、源氏を代表する家柄となった。義氏の長男長氏は吉良荘西條に館を築き吉良を姓とし、長氏の二男國氏は、吉良荘今川(愛知県西尾市今川町)に住んだことから今川を名乗った。この家が後に駿河・遠江(静岡県)の守護大名今川家として成長するが、今川の元々の本拠地は西尾市に存在していたのであるから、三河一帯は今川勢力の色濃い土地柄であったのである。つまりは、制海権は水野勢が握ってはいたものの、刈谷のほんの一部を除く全ての三河の地は、強大な今川勢に押さえられていたことになる。

 こうした状況下にあって、鴫原(愛知県刈谷市重原)の山岡構え(砦)にあった今川勢は、水野勢が統率する境川と逢妻川を何度も渡り、どのようにして砦を造るための建材や様々な物資を対岸の村木まで運び入れることが可能であったのであろうか。この背景については、既投稿の「村木砦の戦い(織田信長篇)」で紹介した『信長の涙――村木取手懐古――』(木原克之著)に、今川と織田に挟まれた境目の領主水野信元の境地が書かれ、どちらにも荷担せず、また敵対もせずに様子を見ており、いざとなれば一方につくという、まさに柳に風的な優柔不断さこそが当時を生き延びる処世術だとある。一族の棟梁である信元は、同族をも廃さなければ勢力の拡大は図れないことから、弟であり、緒川領主の水野忠分が、村木砦の構築により衰退するであろうと考え、これらの船の往来を唯一阻止できうる信元が、支配下の海賊に対して、なんら下知を下さなかったことに伴い、三河侍と人夫達が自由に船で何度も往来することができた訳である。この信元の一連の挙動には、近時に巨大な今川が脆弱な信長を制するであろうと推量し、その暁には今川方であるという証として海上通行を許したとする思惑があったのであろう。
このようにして“海賊”達は事の成り行きを伺い息を潜めていたのである。



小河水野氏系譜:http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/694986f5283c9212e7114538de019f95
村木砦址(水野金吾篇):http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/5e502834710aa62a0c11bc6e718324dc
村木砦址(織田信長篇):http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/65367abc349918370987a21603d6b5c1



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。