∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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C-1 >梨渓山 心月齊

2006-06-01 04:44:11 | C-1 >小河氏系水野


梨渓山 心月齊
  愛知県知多郡美浜町大字布土字明山8    Visit :2006-05-25 09:30


創建:天文十五年(1546) 常滑の曹洞宗天澤院に属す
開基:盛龍院殿心得全了大居士 天正六戊寅年(1578)十二月八日卒(1578)
    布土城主(寄留地)、本貫は緒川城主 水野藤治郎忠分(藤十郎範方)
    徳川家康の生母於大の方の実弟。
開山:大良喜歓大和尚(緒川から招かれた) 元龜二年辛未年(1571)九月廿二日寂
本尊:釋迦如来、脇佛は迦葉・阿難の両尊

♦第三世寛秀廓大和尚 元和三年丁巳(1617)九月廿一日寂
水野忠分の息男(*1)。徳川家康、野間大坊住職長円、中山家から常滑三代城主水野監 物守隆(妻は信元の娘於万)の養子となった保雅と従兄弟同士である。
  小鈴谷村(こすがやむら=常滑市小鈴谷)の寶樹菴を開山。
徳川家康から、鞍鐙(くらとあぶみ)を賜ると伝えられるが、現在は紛失して図のみ残る。『張州雑志 第二巻』

♦心月齊梵鐘 第五代水野太郎左衛門 藤原政長 慶安二年(1649)八月作
第二次世界大戦下の金属類回収令により、当山の梵鐘は惜しむらくも供出され、現在はその後、新調された物である。
当時の梵鐘銘文写しが残されていたことからその銘文を掲載する。

◎由緒
 当山の南側に牛草實相坊なる天台宗の寺があり、開山大良喜歓(たいりょうきかん)大和尚は、開基の懇請を入れ、まずこの寺に入山し、天正十五年(1587)開創、以来曹洞禪を挙揚、多くの弟子を育て仏法の広布に務めたとある。
本堂正面「心月斎」の掲額は、曹洞宗寿昌派の祖である東旱心越の書。このほか道元禅寺直筆の心経記など数多くの寺宝がある。


[註]
*1=『張州雑志』第二巻(原本第十一)知多郡 枳豆志庄 布土村 佛院の項目に
  「俗姓水野氏則則チ藤十郎範方之息男是
  大神君ノ御従弟ニテ小鈴谷村寶樹菴開
  山也」
  とあるが、『新訂寛政重修諸家譜』巻第三百三十五 清和源氏 満政流 水野「忠分」の系圖、および乾坤院文書『水野家系圖三巻』にも、この第三世寛秀廓大和尚の諱は記されておらず、また兄弟の分長、義仲、重仲、吉勝、勝政の何れにも該当しない。
  また他説では、美浜町文化財保護委員会委員 木原克之氏が、「ふるさと 第5号」「布土城の人々」に、「二男・寛秀全廓(?~1617)布土の曹洞宗心月斎の中興第三世」とあり、分長の弟で、義仲、重仲、吉勝、勝政の兄と記している。


☆旅硯青鷺日記
 御庫裏をお訪ねすると、ご住職がにこやかに招じ入れて下さり、抹茶で歓待いただきました。開基水野忠分について話が弾み、第三世寛秀廓大和尚に至り、徳川家康や、また水野忠政の娘が中山勝時に嫁ぎ子をなした、野間大坊住職長円、中山家から常滑三代城主水野監物守隆(妻は信元の娘於万)の養子となった保雅など、供に従兄弟同士の繋がりがあり、水野氏は貞守の頃より中山氏と深い関わりがありました。当山御住職も中山家の末裔であり、小生が水野姓であることからお互いに急速に親近感を覚えました。
ご住職の叔父様にあたる故中山文夫氏が『尾張中山氏系譜 推考 上巻』を自費出版なさったご本を一部分コピーさせていただきました。帰宅後詳しく拝読しましたところ、肝心な箇所がコピーされていなかったことから、従兄弟の方から同書をご送付いただきました。ここに改めてご厚意に対し深謝申し上げます。
 系圖や詳細については、別投稿します。


C-1 >水野忠分の菩提寺・梨渓山心月齊
R-1>源氏系 小河水野氏譜
S-1>《水野氏関連氏族》「中山氏の系圖」








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