旅慣れた二人のお気に入り

北から南から有名な場所を巡り 旅行した中でのすばらしき大きな感動を得られたお気に入りの場所です。

「一目千本サクラ」 絶景ポイント

2010-06-27 17:31:49 | 日記
 ”一目千本サクラ”

 下・中・上・奥の四ヶ所に約3万本の桜の原種である白山桜が密集する名所で
 「一目千本」と呼ばれ、下千本・中千本・上千本・奥千本といわれる。

 人形浄瑠璃・歌舞伎の「義経千本桜」は有名であり吉野山内にもいくつかの旧跡がある。
 新古今集の歌人 西行法師も吉野をたびたび訪れ西行庵の跡もある。

 歴史に登場する吉野山の桜であり、本当に見事なたくさんの桜でした。
 一度は見る価値があります。


 お野立ち所(下千本頂上)



 明治天皇のお后であった昭憲皇后が花見に来られた時、この地で満開の下千本サクラを
 眺められたことから、こう呼ばれます。

 ここからの下千本サクラの眺めは見事でした。

 上千本布引サクラが一望出来る場所




 吉野山の中千本・上千本布引サクラが一望でき「一目千本」と言われてる絶景ポイント
 写真で分かるように山の谷あいです、

 ”一目に千本見える豪華さ”と言う意味です。

 京都を逃れた 後醍醐天皇はサクラの頃になると、ここで京都御所のサクラを
 懐かしんだと言われています。






金峯山寺(きんぶせんじ)・源義経

2010-06-27 17:09:23 | 日記
 金峯山寺(きんぶせんじ)






 仁王門の右の像



 仁王門の左の像

 吉野山は大峯山を経て熊野三山へ続く山岳霊場で修行道、大峯奥駈道の北の入口である。

 役行者(神変大菩薩)が刻んだとされる蔵王権現を本尊とする、金峯山修験本宗総本山
 金峯山寺(きんぶせんじ)がある。

 金峯寺は修験道の根本道場
 7世紀末に役小角(神変大菩薩)が開いた金峯山に蔵王権現の姿を桜の木に刻み堂を建てて
 祀ったのが蔵王堂だと伝わる、伝承はこの役小角(神変大菩薩)が吉野山の山上岳の山頂で
 千日間の籠山修行を実践し、その祈りの果てに蔵王権現を感得、役小角(神変大菩薩)が
 その姿を桜材によって彫造したと言う。
 吉野山で桜が神木あつかいされるのはこの伝承による。

 ともに国宝の蔵王堂・仁王門がどっしりと威容を誇る。

 1984年、山上ヶ岳大峯山寺の解体修理にともなう発掘の際に出土した、二体の黄金仏
 像高三センチ前後ながら、精緻なつくりで黄金浄土金峯山の名を現実のものにした。

 大峯の山から来る信者を迎えるため、正門は南を向く

 寺の手前にある発心門(ほっしんもん)は熊野まで続く修行の道であり、大峯奥駈道の
 入口になる。

 南の熊野を発して吉野に至るのを順峰、吉野からの縦走を逆峰と呼んだ。
 この道も役行者(神変大菩薩)が開いたとされている。

 源義経

 源義経が身を隠した、鎌倉時代、平家を滅亡に追い込んだ後、兄、頼朝との確執から
 義経と静御前は弁慶と、ともに吉野に逃れ 吉水神社や金峯神社に身を隠したと言う

 金峯神社の近くには義経が弁慶らと隠れた「義経隠れ塔」があります。

 写真は金峯寺の仁王門の階段です。



「2004年世界文化遺産」 吉野山

2010-06-27 16:12:14 | 日記
 「2004年に世界文化遺産」

 2004年、「世界文化遺産」に登録された「紀伊山地の霊場と参拝道」

 は、三重・奈良・和歌山の3県にまたがる3つの霊場とその参拝道で
 合計4953平方キロという広大な範囲。

 日本で唯一、世界でも類を見ない 遺産全体が文化的景観として登録されている。

 吉野・大峯、熊野三山、高野山の3つの山岳霊場のなかで

 まだ行ってなかった三重県と奈良県にまたがる 吉野山、大峯奥駈道の
 「吉野・大峯エリア」に歴史に登場する吉野山の桜を見に相棒と出掛けました。
 
 吉野山の桜は、ふもとの方から下千本・中千本・上千本・奥千本と開花が移る。

 ほぼ一ヶ月を掛けて麓から咲き上がって行く、古来より日本の桜の名所として
 名高い所です。

 豊臣秀吉の花見の際に千利休が造った群芳園は大和三名庭園の一つに数えられる名園

 役行者(神変大菩薩)を開祖とする修験道の寺や南朝ゆかりの史跡、後醍醐天皇陵

 吉野山は山全体が世界遺産に登録されています。