うきは拾遺集

    野鳥の声に目覚め、筑後川を眺めて暮らす。
   都鄙の風聞、日日の想念、楽興の喜び&九州ひと図鑑。

うたごえ喫茶ともしび in うきは

2016年10月02日 | 楽興
 

 タイトルと同じ催しのスナップです。市の助成金で企画されている文化事業の一つとして2日(日)に開催され、満席のほぼ180人が参加しました。私は「うたごえ喫茶」が全盛時代だった昭和30年代、横浜の大学で学生生活を送っていました。ノンポリ学生ながら「60年安保闘争」もその渦中、半世紀前の若者文化が東京・新宿で引き継がれていることを初めて知りました。

 ステージの二人をナビゲーターにピアノ伴奏とともに全員が声を揃えて歌うという形は当時も同じだったでしょうか。存在は知っていてもあまり寄り付かなかった者の記憶は希薄ですが、ピアノではなくてギターだったかもしれません。いずれにしても学生や若い労働者が夢中になったこの文化状況はロシア民謡の愛好者から始まったという印象をもっています。「ともしび」「トロイカ」といったロシア民謡を店名にした喫茶店や「どん底」などの酒場がその拠点であり、私の場合は国鉄横浜駅西口にあった「上高地」(?)という大きな喫茶店が少ない体験の現場でした。

 五木寛之氏もそうですが、ロシア文学を専攻することがカッコよく、アカデミズムや論壇の主流がソ連や、共産中国を理想郷とする〝戦後民主主義〟の時代背景が温床としてあったと思います。それはともかく、15分間の休憩をはさんで2時間たっぷりの愛唱歌の合唱会の趣きでした。歌唱の内容は、事前に配布された歌集の中から参加者のリクエストによって構成されました。その歌集に古賀演歌やスマップのヒット曲が織り込まれ、実際に歌われたのは半世紀の間の進化として当然かもしれません。

 みなさん、本当に楽しそうに歌っていました。合唱文化が蓄積されてきたこの地域の歴史も大成功の背景にあるように思いました。私自身のことを打ち明ければ、大勢が一緒になって歌うことに違和感を感じる偏屈な性格と、左翼政党の党勢拡大の活動として全国的に展開され、キャンパスでも活発だった「うたごえ運動」に馴染めなかった記憶と重なって無邪気に唱和する気持ちにはなれませんでした。
 
 一つだけうれしかったのは、昨年制定された市民の歌「ルリ色のふるさと」をみんなで歌う趣向を取り入れてくれた編成には市民の歌の制作に関わった人間としてとてもうれしく思いました。市民に受け継がれる歌を目指した意図が継承されていることへの感謝の気持ちにほかなりません

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