はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

都会の非日常は私の日常

2009-05-21 16:24:30 | ツーリズム
 
ルーラル・スローツーリズム
都会の人にとっての非日常空間は、私達の日常

ぶなの森自然学校は、黒松内町の日本海側、朱太川をはさんで寿都町に向かい合った場所に立地しています。そして、子どもから大人まで都市住民が訪れる交流拠点として、年間交流人口1万人を創出しています。年に6~7人、海外の大都市からも、この北海道の片田舎で一ヶ月滞在する若者もいます。都会の人にとっては、まさに異次元のような緑に囲まれた空間であり、ここでの滞在はまさに「非日常性」を体感することになります。しかし、私達にとっては「日常の生活空間」なのです。

雪が消え春になり、日が昇るのが早くなると、目覚めも早くなります。我が家の子ども達は五時起きです。食卓にお皿を並べる音が、まだ冷たい空気の中で響くので、私まで目を覚ましてしまいます。そして、外で飼っているウサギの世話、というよりウサギと一緒に遊びにゆきます。夕方学校から帰ってからの外遊びより、朝の方が長いくらいです。新鮮な大気をいっぱい吸った後にゆったりと朝食。子ども達は神戸や東京からやって来て山村留学生する三人の小学生。すっかりと田舎生活になじんで、以前は非日常だった世界を、彼女らの日常として過ごしています。

実の子ども達がそれぞれ独立しているので、この三人(なっつ、れいこ、はるか)と私の連れ合いの「まり子さん」そして、スタッフでもある、まむ、じょい、いなり、ほっしーの小学6年生から50代半ばの私まで合計9名、さらには、犬のグラッチェ、ヤギのドンとガラ、ウサギのブチオとグレコ、四羽のニワトリ・コケッツが私の「今の家族」です。
農業をやっているわけではありませんが、農村地域に住んで小さな畑を作り、子ども達は中学と小学校に通う、動物(ヤギ、鶏、ウサギ、犬)を飼い、維持管理しなければならない建物がたくさんあると、生活に関わる仕事が山ほどあります。また、過疎地ですから、人が少ない分、いろいろな役回りもこなさなければなりません。PTA活動、地域の水道管理、地域行事、まちづくりの会議などさまざまな会合への参加、時には二日間お手伝いにでるお葬式もあります。とうてい一人ではできません。6人の大人達が協働して毎日を暮らしています。ですから、自然学校の生活は、仕事が暮らしの中にあり、暮らすことが仕事でもあるような毎日です。動物の世話にしろ、畑作業にしろ、ここで生きてゆくために必要なことを、できるだけお金をかけずに、それぞれの力を合わせてやっています。農家の仕事は家族全員が協力して成り立っていることを考えると、私達もかなり農業的な暮らし方をしています。

もちろん、夕食は家族全員揃って食べます。来訪者も多いので10人、20人の時もあります。料理の下ごしらえの大半はまり子さんが済ませ、食事の1時間前から調理のお手伝いが入ります。お皿を並べるのはもっぱら子ども達の役割。そして6時半に、皆一斉に「頂きます」と言ってから食事が始まります。何てことはないおしゃべりや今日の学校であったこと、時には政治・経済話題もあれば、行儀について叱られることもある「家族団欒」の時間です。このような家族が共有できる同じ時間を持つことは、都会生活では、今や難しくなっていると思います。大切にしたい「豊かな時間」です。

人と人との関わりが薄い社会となり「コミュニティの再生」がスローガンのように「町づくり活動」に掲げられています。しかし、そのコミュニティが何を指すのか、その形や質について考え直す時代に今あると思います。コミュニティの最小単位は「家族」です。そして、家族は人間が成長する、そして安心できる場として必要なものです。ところが、親子・血縁で形成される家族そのものが日常生活から姿を消しつつあります。 
グループホームという概念、実践が福祉にはありますが、この考え方は主に高齢者や障がい者、支援が必要な子ども達にケアも提供する共同住宅として一般には理解されているでしょう。しかし、「共に暮らす」ということは、生きている人間誰にでも必要なことだと思います。

自然学校というコミュニティづくり、グループホーム的な生活、そんな非日常性を日常にしたく、今日も黒松内の空の下で暮らしています。

(BY WAY 後志 第五号 コラム原稿 加筆)