ふらんす・エトランゼ

ワーホリで学んだフランス生活での素朴なギモンと発見

歴史に翻弄された街、ストラスブール

2006年12月02日 | ストラスブール生活



ストラスブールは幾度となくドイツ領とフランス領を行き来し、その度に人々はドイツ語とフランス語を使い分けて来た。

 

街にはドイツ語表記とフランス語表記が併用され、年配者を中心に今でもドイツ語に堪能な人は多い。

アルザス地方の方言も何処となくドイツ語に近いフランス語のように感じる。

 

ドイツ人が建設したコロサル風と言われる荘厳な建物と、フランス人の建設した優美で繊細なゴシック建築が混在している。

    

★ドイツ人が建てたといわれるストラスブール駅(写真左)★フランスゴシック建築の大聖堂(写真右)★

1944年11月23日はフランスが完全にドイツから解放された日だが、2004年は60周年の節目の年にあたり、19~21日の週末は街中あちこちでそれを記念するイベントが開かれ、当時のラファラン首相を招きセレモニーと大聖堂では記念のミサも開かれた。

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★約3時間にも及んだ、荘厳なミサ。参列者は年配者中心★

国家の主要人が公人として宗教的儀式に参加する事は日本では考えられないことだが、さすがカトリックの国フランスである。

本物には劣るがパリのシャンゼリゼで毎年行われる革命記念日のパレードさながらに戦闘機が上空を一飛した後、音楽隊、色とりどりのアルザス地方旗の行進へと続き、最後はセレモニー招待客(第二次大戦時にアルザスと関わりが深かった人とその伴侶)の行進で締めくくられた。

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★街のメインストリートを行進する退役軍人の方々?★

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★写真右がル・クレール将軍、写真左がシャルル・ド・ゴール元大統領

 

ル・クレール将軍はフランスではシャルル・ド・ゴール元大統領と並んで人気のある人物の一人だが、ここストラスブールも例外ではないようで、街のメイン広場には二人の巨大肖像画が掲げられ、市役所ではル・クレール将軍の生涯を紹介する展示会が開かれ長い列が出来ていた。

60e_anniversaire_012 ★ル・クレール将軍の展示会場と60年前のフランス国旗★

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「我々の美しい国旗がストラスブールの大聖堂の上に再びたなびく時まで、武器を置かない事を誓おう!-1941年3月2日-」

ドイツからこの街を取り戻す事を誓った彼の言葉である。この日、大聖堂の頂上には60年前と同じようにフランス国旗がたなびく光景が再現された。

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★ミサが終わってあふれ出す人・人・人★

60e_anniversaire_017 ★ノルマンディー上陸作戦で使われた(?)アメリカ軍車両が多数展示された広場★

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記念写真を撮影したり、クグロフ(アルザス地方の伝統菓子)が振舞われたり、終戦記念日と言っても人々の表情に悲惨さは感じられず、むしろ開放の歓びに満ち溢れているかのようだった。勝利で迎えた終戦との違いであろうか。

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★フランス3色旗に彩られた通り。正面はル・クレール将軍の銅像。正面奥は「自由-LIBERTE-」と4ヶ国語でライトアップされ、夜の街を彩るオペラハウス★



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