人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読の積み重ねは、モノの見方を変え、人生を前に進む勇気を与えてくれます。ご一緒にしませんか?

ダニエル書4章

2017年07月25日 10時52分33秒 | ダニエル書
ネブカデネザル王についてのエピソードが続く。先の3章は、ネブカデネザル王が金の像を造った時のエピソード。今回の4章は、彼が壮大な建築プロジェクトを完成し、王家の繁栄を誇っていた時のもの(30節)である。神は奢れる世の権力者が、神の被造物の一つに過ぎないことを思い知らさられる。王は奇妙な夢を見て、心を悩ますようになった。その夢はこうである。天にも達する勢いを持った木があった。しかしその木は切り倒され、残された切り株に鉄と青銅の鎖がかけられ、天の露にさらされていた。バビロンの呪法師、呪文師は、この夢を解き明かすことができなかった。ダニエルが再び呼ばれて解き明かしを求められた。ダニエルに夢を解き明かす力はなかったが、ダニエルと共におられた神がその秘密を明らかにした。ダニエルは、その夢がネブカデネザル自身に起ることであるから、その罪を悔い改めるようにと促す。しかしネブカデネザルは耳を貸さなかった。むしろ、自分の力を誇り、夢で見た通りの裁きを受けていく。王は、1年後、ダニエルが語ったように奇妙な病に冒され野獣のような時を過ごすのであるが(23節)、その期間が終わった時に、目を上げて天を見上げると(24節)、つまりは夢を与えられた天地創造の神を認めた時に、理性が回復し、神を賛美するというわけである(36節)。
一体、これはどんな病なのか。それは実際の出来事であったのだろうか。治世の晩年に突然病気になったと伝えるバビロンの祭司ベロッソスの記録があるようだが、実際に、精神的な病にかかったという記録はない。ともあれ、この病は、精神症状の発現は急速、意識は混濁し、幻覚、幻視に捕らわれているようである。また動物的な精神運動活動が亢進している。そして急速に、病前の水準に回復している。現代の精神医学の枠組みに照らせば、急性錯乱状態(せん妄)という状態なのだろうか、と思う。
ともあれ、どういう病名であるか特定できないにしても、大切なことはこれが神から出たことである。神が、ネブカデネザルの高慢を打ち砕かれて、ネブカデネザルが神の主権を認めて、神の前に遜った時に、神がこれを回復させられた点である。
そして示唆的なのは、人間が、ネブカデネザルのように自分の力を誇り、神の座に土足で上がり込むような時に、人間は高慢ちきで、野獣のような生き方をしてしまうことなのだろう。人間が造られた被造物であり、土の器に過ぎないことを忘れるならば、結局、私たちのなすことは、無秩序で、非生産的なものであったりする。その傲慢さの故に、他人をも自分をも卑しめてしまうものだろう。しかし、神は人の支配を否定しているわけではない。支配者が、真に神を恐れ、神を認めて、正しい政治を行うなら、神はこれを祝される。神の主権と支配を認めた歩みが求められているだけである。
だから、人は自由に思うままに、与えられた賜物を楽しむのがよい。しかしその働き一つ一つに、神を認めることが大切だ。神が許されたから、神が配慮してくださったからこそ、今の歩みがある、という感覚の中で物事を進めて行き、自分の意識の中から神を締め出さないことである。今日も、神を認め、神の御前に遜り、主の恵みを受ける歩みをがけさせていただこう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする