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イザヤ書41章

2017年03月13日 05時32分57秒 | イザヤ書
 「島々よ。わたしの前で静まれ。諸国の民よ。新しい力を得よ」と語る神がいる。人生の中で、一体誰が、このように語りかけてくることがあろうか。耳を澄ませ。天に注意を向けよ、である。私たちはあまりにも人の声に耳を傾けすぎている。いやあまりにも目に見えない神に対して自らを閉ざしている現実がある。心に訴えがあるならば、神の前に立ってすべて語り尽くせ。不正に悩まされる人よ。うなだれてはならない。不条理な思いを抱く人よ。今その場で、天を仰ぎ、神に自分の訴えを並べ立てよ。神は歴史の主であり、時代の主である。神は、私たちの訴えをつぶさに聞き、私たちのために動いてくださる。これを自分の信仰とし、自分のより所とせよ。
 2節「ひとりの者を東から起こし」アブラハム、ペルシャの王クロス、種々の説がある。確かにクロスは、BC549 年メデヤを征服し、BC540年リディヤを、そしてBC538年にバビロニヤを滅ぼしている。しかし、これをクロスと理解するのであっても、クロスの快進撃は、クロス王自身の力によるものではない、神によるものだという点が大事だ。アブラハムとしても、背後にあってアブラハムを導かれた神に注意が向けられる。読み取るべきは、人を立て、人に力を与えられる主なる神である。だから、私たちは、周囲のあらゆる状況を恐れることなく、まず万物の第一原因である神に目を向けなければならない。訴えがあるならば、それは神に持ち出さなければならない。
 10節「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」神はアブラハムにも恐れるなと語った(創世記15:1)。同様に神は、第二のアブラハム、いや神のしもべである私たちに語り掛けている。何度も魂に語り聞かせよう。自分に向けられた神のことばとしてこのことばを深く味わい、受け止めていこう。後のイスラエルの民が、このことばを胸に、祖国再建の希望を抱いたように。「裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせ、荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする」(18節)力ある神にこそ私たちは望みを抱かなくてはならない。
 21節からは、偶像と偶像礼拝者に対する神の挑戦的なことばである。預言で実際に実現した例があるのなら、それをあげてみよ、という(22節)。そして25節から再び、神はご自身が歴史の主であることを明言している。「わたしが北から人を起こすと」しもべをアブラハムとするなら、東はウルで北はカランになり視点はパレスチナにある。クロスの場合は、東はペルシャ、北はメデヤで、視点はバビロンにある。しかし、東も、北もパレスチナから見て侵略がなされる方位、とより一般的に捉える考え方もある。大切な点は、人を起こされる神の存在である。勝利をもたらされる万軍の主である。
不可能性に閉じ込められてうなだれることは止めよう。背筋を伸ばして、神に訴え、神があらゆる状況を動かされる方であることを信じて期待しよう。


42章 助けるしもべ

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