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旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

京都ぶらり観光、晴明神社・二条城・東本願寺   

2017-01-16 17:04:51 | 京都
2017年1月12日京都ぶらり観光です。白峯神宮の後は堀川今出川交差点を南に歩いて晴明神社です。前回お参りしましたので参照してください。
晴明神社参照クリック

















































バスで移動し、晴明神社前から二条城前に行きます。
前回きました二条城参照クリック
東大手門が工事中のため、北大手門からしか入れませんでした。堀川丸太町で下車したほうが近いですね。

北大手門(重要文化財)















唐門(重要文化財)





















車寄(国宝)

















































































バスで堀川丸太町から七条堀川に移動します。
東本願寺
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説明書より「真宗大谷派の本山で、真宗本廟といい西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれています。本願寺は文永9年(1272)宗祖親鸞の娘「覚信尼」が、東山大谷の地に仏堂を建て、親鸞の御影を安置した時にはじまるが、室町時代第八代「蓮如」の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗した。豊臣秀吉は六条堀川の地に本願寺を再興し、ついで徳川家康は慶長7年(1602)この地を寄進し、第12代教如が堂舎を建てて本寺がはじまった。堂舎はその後たびたび火災にあい、現在の建物はいずれも明治時代からの再建であるが、真宗寺院の典型的様式と配置を示している。親鸞の御影を安置する御影堂は阿弥陀堂よりも大きく造られて中心をなし、高さ38メートル、正面の幅76メートル、内部は927畳の大広間であり竣工は明治28年である。寺宝には親鸞直筆の教行信證(国宝)、紙本箸色本願寺聖人伝絵(重文)等文化財を多く蔵している。」

案内図

阿弥陀堂門(登録有形文化財)
「木造四脚門、檜皮葺、建築面積31㎡、前後に唐破風を付ける。四脚門としては最大級の規模であるとともに頭貫木鼻や欄間に精緻な彫刻を用いて飾る。御影堂門南に並んで建ち、壮大な伽藍の正面構成上欠かせない建物。」



阿弥陀堂(登録有形文化財)
「単層、入母屋造、本瓦葺、組物は側柱上が四手先、入側柱上は三手先とし、平面は真宗本堂の典型を持つ。御影堂に比して格段に複雑な組物を備え内陣回りは全面金箔押しで荘厳を極める。御影堂とともに寺観構成上欠かせない建物。」







鐘楼(登録有形文化財)
「阿弥陀堂前方南寄りの高い切石垣基壇上に建つ。円柱、三手先、二軒繁垂木で深い軒をつくり、入母屋造、檜皮葺の屋根を架ける。大梁2本を互いに対角線方向に渡し中央交差部に鐘を吊り、直下に陶製の瓶を埋めるなど特徴をもつ。大型で総欅造りの質の高い鐘楼。」

御影堂(登録有形文化財)
「二重仏堂、入母屋造、本瓦葺、組物は上層三手先、下層は出組及び二手先とする。間口及び面積においてわが国最大の仏堂で、伝統様式・技法による木造建築の集大成を示す。棟梁伊藤平左エ門により明治13年釿始以来16年をかけて完成。」





造合廊下(登録有形文化財)
「御影堂と阿弥陀堂の間を繋ぐ2筋の廊下のうち東表側にあるもの。高床、吹放しで、唐破風造、本瓦葺とし、約5,5mの梁間に虹梁を架け輪垂木天井を見せる。前後に出梁で縁葛を支え擬宝珠高欄を付け、床下にも桁行、梁間に虹梁を架けるなど凝った造りとなる。」

手水舎



御影堂門(登録有形文化財)
「明治40年宗祖650年遠忌事業として再建。三間三戸二重門、入母屋造、本瓦葺で、下層は二手先、二軒繁垂木、上層は三手先、二軒扇垂木とし、左右に山廊を付す。大型で立ちが高く彫刻や細部の意匠にも優れ、寺域への正門として伽藍正面の構えを整えている。」













高廊下



参拝接待所



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晴明神社(安倍晴明をお祀りしています)

2014-08-01 20:19:53 | 京都
2014年7月29日、お参りしました。御祭神は安倍晴明御霊神です。
由緒書より「安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でておられました。 特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられたのです。 成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。 そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。 帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立しました。 朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。 今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られたのです。」
京都市上京区堀川通一条上ル806
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鳥居、社紋の桔梗印が特徴

一條戻橋



境内が道で分断していました。再度鳥居

本殿



末社

安倍晴明像

厄除桃

御神木の楠

桔梗が咲いていました。



説明図





鳥居前の店舗

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