旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

浮見堂、十輪院、ならまち格子の家他

2016-10-02 18:34:08 | 奈良
2016年9月30日、奈良市内散策です。興福寺、春日大社とお参りしました。次は、浮見堂、十輪院、ならまちに行きます。
片岡梅林

円窓亭







旧大乗院庭園(名勝)

浮見堂











洞水門

清酒春鹿醸造元



今西家書院



ならまち







毘沙門町



十輪院
「寺伝によりますと、当山は元正天皇(715‐724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれ、また、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養の開基とも伝えられています。」





南門(重要文化財)
「鎌倉前期の四脚門で、装飾性のない簡素な構造形式であまり類例が見られません。」

本堂(国宝)
「鎌倉時代中期頃の建立、桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺。後方に地蔵石仏龕があり、本堂はこれに対する礼堂である。床髙、軒髙などすべて髙さの低い意匠にまとめられており、各部手法も簡素で落ちついた感じをあらわしている。組物 蟇股などは優秀で、鎌倉時代の代表例にかぞえられている。」



護摩堂



御影堂











不動明王(鎌倉時代)



再びならまちへ



狂言大蔵流宗家屋敷跡



築地之内町





銭湯



ならまち格子の家
『町家はいわゆる町人の住居としてつくられた民家で、個々の家には手を入れられた時期によって多少の違いがありますが、間口は狭く、奥行きが深いという共通の特徴があります。これは、かつて税金が間口の広さによってかけられたということのほか、町民らの「表通りに面したい」という願いができるだけ多くかなえられるための智恵でもあります。』
格子
「格子の始まった時期は明らかではありませんが、室町時代末期(1550年前後)の洛中洛外図(町田・上杉両屏風)ではほとんどの家に格子が描かれています。格子は、昼間は、外から家の中を見えなくする目隠しの役を果たすと同時に、中からは外がよく見えるハーフ・ミラーのような効果をもっています。そして音や風はよく通します。表の道で遊んでいる子どもたちに格子ごしに気を配ることもできます。祭の時や、家事のときは即座に全部をとり払うことができます。日本の建物のファサード(正面)の歴史の中で、町家の格子はひとつの頂点となすものだと考えざるを得ません。」



みせの間

奥の間

中庭
「渡り廊下に接して風呂や便所がある。奥には離れ、蔵がある。」



離れ





藤岡家住宅(重要文化財)
「江戸中期の建立と思われる。道路に面した正面表構は商家の細部をよく残している。奈良市内の町屋として古い遺例である。出入口に突上げ戸、その両脇にはミセとシモミセのニ室の正面には蔀(しとみ)と揚店(ばったり床几)を構え、これらの建具を開放して商売をしていました。」







鐘馗(しょうき)さん(魔除けの瓦人形)、玄関の上の瓦のところで守っています。













吉田蚊帳店舗(登録有形文化財)
「江戸末期の建立で、昭和中期・昭和47頃・平成10頃改修、主屋の北に並び、切妻造桟瓦葺とする。漆喰大壁造の土蔵風外観で、正面一階は洗出し、北側面は竪板張とする。」

煙抜き

屋根の上の鐘馗さん















































采女神社



餅飯殿センター街











疲れたのでアイスクリームを食べました。300円









江戸川









奈良町情報館

お疲れ様でした。
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世界遺産・元興寺

2016-10-02 18:24:43 | 奈良
2016年9月30日、お参りしました。近鉄奈良駅の周辺の散策です。元興寺(がんごうじ)は真言律宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。
奈良市中院町11
map
パンフレットより『蘇我馬子が6世紀末に建立した法興寺(飛鳥寺)をその前身とします。平城遷都とともに移築された創建時の建造物は、もとは僧坊だった本堂と禅室を残すのみですが、そこには「行基葺」といわれる当時の技法で葺かれた、飛鳥から運ばれた日本最古の瓦が一部には使われています。また禅室は、中央の間を戸口とする奈良時代の僧坊の形式をとどめる貴重な遺構です。南都七大寺のひとつとして広大な寺院だった元興寺は、平安時代の中ごろから寺勢が衰え、浄土教が庶民に広まると極楽坊に中心が移ってきました。極楽坊は僧坊の一廓でしたが、浄土信仰に徹した高層、智光が画工に描かせた「智光に曼荼羅」が安置されていたからです。平安時代の末には極楽坊を改築して本堂と禅室に区分され、極楽坊の念仏講がさらに発展した鎌倉時代には、本堂は東向きに改修されました。中世から江戸期にかけて、庶民の信仰の場として時の権力とは離れたところで存続してきた元興寺には、庶民信仰の歴史を物語る貴重な民俗資料も数多く収蔵されています。』
北門









東門(重要文化財)
「鎌倉後期(1275~1332)建立、四脚門、切妻造、本瓦葺。」



極楽堂(国宝)
「鎌倉前期の寛元2年(1244)改築、桁行六間、梁間六間、一重、寄棟造、妻入、正面一間通り庇付、本瓦葺。この堂は元興寺東室南階大坊(僧坊)の一部であり、本邦浄土六祖の第一祖である智光法師が感得した浄土曼荼羅を本尊とし寄棟造に大改修された極楽坊本堂である。極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれ、智光の住防が前身という。古来浄土発祥の聖堂として名高く、内部柱に念仏講の寄進文がある。堂の外観は寛元2年改修時の姿であるが、内陣には奈良時代僧坊の身舎部を残し、西流れの屋根に見る行基葺古瓦は当時の前身飛鳥寺から移建の際に運ばれたものである。」



















境内

収蔵庫

講堂跡礎石



浮図田(ふとでん)
「2500余基の石塔、石仏類(総称して浮図)は、寺内及び周辺地域から集まったもので、新たに田圃の稲のごとく整備した。」



仏石足

禅室(国宝)
「鎌倉前期の寛元2年(1244)改築、桁行四間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺。」



小子坊[極楽院旧庫裏](奈良県指定文化財)
「奈良時代の東室南階大坊には北側に梁間の狭い小子坊が附属していた。僧坊が中世書院化すると、小子坊は北の厨房となった。寛文3年(1663)現在の形に改修され台所と呼ばれ、極楽院庫裏として機能した。」















かえる石



カリンの木

















史跡元興寺塔址

元興寺西室



ネパールの伝統的飾窓
「この飾窓は、1970年開催の大阪万国博覧会でネパール館に使用されていました。ロータス(蓮)・バルメット(アーカンサス)・ガルーダ(神鳥)・ライオン(獅子)・ドラゴン(竜)などのデザインはインド文化圏の宗教的象徴です。日本・ネパール両国友好の証しとして、元興寺に寄贈されました。」



















極楽坊縁起絵巻、厨子入智光曼荼羅、阿弥陀如来像、聖徳太子像などの重要文化財など多数があります。

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