包まれて包み込む

新しい日差しと変わらぬ穏やかさ

3年後は

2010-06-24 20:25:10 | Weblog


パートナーと居をかまえて

地に足のついた制作がはじめられるかと

漠然と思っていたけれど


完全に夢でしたな




ひとりで行こう、ずっと遠くまで




考え続けることと、「解放」

2010-06-20 19:35:55 | Weblog

サンデル先生
面白かったね


「答え」を生きている

という最後の言葉

には多元的な世界の中で自分や他者にとっての善や正義を考え続けることでしか、(否定的なわけでなく)人類として道徳的に生きていけない人間的な宿命と、
積極的にそうあろうとすることが同時に最も自己を高めそれは個人的な人生における生きる目的そのものと合致するんじゃないか、という自己の中の合意を達するような感覚を与えました(しかし義務ではないし、そういった感覚が行き過ぎると排他的な陶酔になるのは恐ろしい)




しかし、
「答え」を生きる

という生き方は、
必ずしも

そのような生き方を自覚していない大衆の中で
生きていかざるおえない私たちにとって

自己の幸せな感覚が多く得られるとは限らない




だから
友人を必要とする。

同じく
「答え」を生きようとする「友人」が。



そして、その大衆について

今日の議論の
モンテスキューやサンデル先生のコミュニティーを必要する考えを聞いて

おざけんのいう共同体、と、そのこと(大衆も含む)へのおざけんの肯定とが

自分の中で繋がり、

そして
おざけんがあの夜
見せた、その大衆の中で自分のメッセージを発する為の「立ち方」、

その為の、またそれを続けていく為の清らかな心の在り方に

また深く感銘し

再び感動しました。(わたしの世界で)




おざけんのヴォーグの中でのことば

「今も千夜一夜物語りの頃もかわらないのかもしれない。
 
僕らに見える者は、気の遠くなるような砂漠と視界を

遮る山と大きな空だけ。その中を友達と、話しながら

ゆっくりと進んでゆく、焦らずに笑いながら、水を探しながら」



そして、
朝日のこの正義の本の書評で

「文学の扱いうる領域、幸福と自由と美徳のどの観点からも解せない死角。」

というくだりがあったが、


私が自分の作品を
作るときに掬わかければいけない死角もそこであり、


「芸術」の役割なのだろうと思う。







社会のなかで現に最後にでてきて
問題に結論を与えるかと言えば司法であり、

芸術作品のもつ効用は、さまざまな違和感や問題の正義に対して
実際のところどれほど現実的なのだろうか

これを考える事自体、芸術にとって愚問あるのか



が、その間に立ってしまうのが私の性格みたい





しかし
同時にそういうことに縛られるよりも、

自分の感性を解放する事の方が

重要であったりする



ソクーロフの本のなかで
「ファスト博士」T・マン著という本の引用がある


「芸術、それは精神である!

精神は社会に対し義務を感じる必要は無く、
自己の自由を高潔さのためそれを避けなければならない。

(中略)

例えば国家の利益において、
普通のひとが理解できるような芸術だけを
許容する事は最悪の職人仕事を植え付けて、
精神を殺すことになる。
群衆にとっては野蛮で非常識な行為かもしれないが、
大胆で抑えがたい探究や経験とともに、
それ【芸術】は明らかに人間に一時が経つにつれ
より多くの人々に何らかの間接的な方法で大変奉仕する
と私は確信する。」



考え自分の中で議論することと同じくらい重要なことは、



自分の直観、感性、魂の震える事に

行いを決める精神を重ね、どんな制約からも自由に表現してゆくこと。








家族であることと、家族でないことの違い

2010-06-13 13:27:22 | Weblog


それはそのまま優先事項となり、

不可侵の領域となり、

歓び悲しみ両方を連れてこようとも

共同体は結ばれている



その共同体の枠外にいるものは

線の向こう側で

ただ立ちすくんでいるだけ

そのうち眺ているのも

こらえきれなくなり

遠くへ遠くへゆこうとするのだ


共同体が見えなくなる

ずっと向こうへ






預言

2010-06-12 11:29:07 | Weblog


「家族それぞれに出口を与えます。

 だからあなたが心配しなくて大丈夫です。」


良かったぁ。


そして、アリストテレス「二コマコス倫理学」より

「幸福とは心の状態ではなく人間のあり方であり、「美徳に一致する魂の活動」なのである。」


自分が何者であるか。




さて、今日は大学の図書館に行ってこよう!



ひとまず

2010-06-07 23:52:55 | Weblog


昨日、フリーペパー用の原稿と写真、入稿。

担当の方より
「読んでいて背筋を正す、そんな文章。素敵な原稿。」

といっていただきほっと一安心。

ただわたしは猜疑心がつよいので、
褒め言葉を真に受けられない。

いやだって、短い字数なのに
時間かけてしまったし。

でも、私の場合、
時間かけて良い出来になることも多い。
しかし時間に追われたくないという理由で
もう少し早くこなしたい。
(暮らしの手帖の松浦さんの本を読み返す。)

そこで、書きつつ、途中で読んでいたのが、

内田樹ブログの
「ドライブしている文章」について。

参考になりました。やはり作者の中の文章にかける疾走感が
読む側に伝わることが物語そのものの面白さを加速させる。

マルクスの資本論もそうだと前に書いてありましたね。



わたしは、本を読んでいても映画を見ていても
静かなシーンの静かなある種の疾走感みたいな感情から溢れでているような場面が好きです。決意のような、未来へ向かうような。







地に足

2010-06-06 14:25:56 | Weblog


がついている友人と会うと

どうにも危機感が募る


が、


いまはとにかく、

フリーペーパーに載る原稿をしあげないと。。

テーマは「my art life」


はやく終わらせて、今夜はご飯を作って

映画を見て本を読もう。



ところで、おざけんの「ひふみよ」コンサート行ってきました。

感想はまたあとで。


あと、金曜日は鎌仲監督の
「ミツバチの羽音と地球の回転」を四谷区民ホールに見にいってきました。

超満員で、原発や代替エネルギー、環境に関心のあるひとはとっても多いのだなあと思い、そうあるあるべきだと思う映画でした。
しかしおしつけがましくもない。
そういう風に編集できていることがきっとすごい。



S/N

2010-06-02 00:03:45 | Weblog


森美術館で見てきました。

「問い」としての表現、パフォーマンス、演劇。

表出ではなくて。

音の使い方、光りとしての映像の使い方が抜群にセンスがいい。

エイズで亡くなった故・古橋悌二の伝説的な存在感あってこその作品であるが、

一人一人のパフィーマーの人格がたっている。

アイデンティティやその差異をテーマとしているからでもあろうけれど

身体でなく、個の人格を取り込んだ希有なパフォーマンスだと思う。

語り継がれる名作といわれる所以がわかる。

時代性も映しつつ、普遍性が高い。