3月11日に東北関東に発生した巨大地震は、日を追うごとに、その被害の大きさが広がっている。
報道で見て、なんという言葉を発したら良いのだろうか?。
地震が起きた時は家の中にいた。
揺れが激しく、時間も長く、自分でどうしたらいいのかわからず、柱にしがみついた。
夫は、暖かい時間だけ散歩に出かけるようになって、その出先で、ガードレールにつかまっておさまるのを待ったというが、今まで、体験したこともない大きな地震であった。
1軒先の屋根瓦が、崩れて落ちてきた。
目には見えないが、我が家の屋根もめちゃめちゃだろうと覚悟をした。
電話が不通になって、実家の安否が確認できない。
翌日になってメールが通じて確認できた。
そしてニュースでは、この世の事とは思えない惨状がありました。
人間一人が亡くなると、大きな出来事なのに、亡くなった方が、一万人を超えたという。
被災された方々に、声をかけるとしたらどんな言葉が良いのだろうと、自分に問いかけています。
日本人全体が、今までの事を見なおしてみる必要がありそうです。
全国から、世界から救助の手が差し伸べられています。
被災された方々の、一日でも早い復興を祈らずにはいられません。
しかし、現地も東京も毎日余震が起きています。
休まる間がありません。
地震酔いをおこして、特に布団に入ると、背中から揺れて「あ、地震だと起きてしまいます」
石原都知事の「天災」の言葉は取り消して当然であるが、「求めすぎる国民が今後を見なおす必要がある」には賛成している。
原子力発電所のニュースを、固唾をのんで見守っています。
この先、どのように解決していくのだろう。
電気も、今までのように使えないでしょう。
みんなで力を合わせ、乗り越えましょう。
私は、買い占めた商品は何もありませんでしたが、やっと米が出回るようになりました。
昔、チリ沖地震の津波を見ています。
日本でかなりに被害が出た津波であったが、故郷では、違った様子でした。
漁師の父は、漁に出ていた。
「津波が来ると」、村の消防団がサイレンを鳴らし、海岸通りを走った。
目の前の海は、今まで見たこともない、光景があった。
潮がどんどんひいて、舟で若布刈りをする先まで、潮が引いた。
私たちは、ワーと声を出して、若布をとった。
そのうち、潮が満ちてきた。
津波のようにど~んとは来なかった。
もくもくと時間をかけて水嵩が増えた。 大潮と満潮が合わさったように。
沖にいる父と叔父は、陸のサイレンを聞いて火事はどこかと見たが、煙はどこにも見えない。
舟が帰らないのは父の舟だけ、近所の人が集まってきて心配した。
何事もありませんでしたが、後で各地の大きな被害があったことを知りました。
大勢の方が思うように、今自分に何ができるか。
このような日本人の悩みを知らず、外は、桜の季節がすぐそこまで来ています。