Intersecting Voice Cafe

サイエンスカフェを中心に,
ライフスタイル雑談ブログ
by hamarie_february

インフォームド・コンセント

2007-02-03 11:37:04 | 学問・社会

朝,ゆっくりと寝坊が出来ること以上に,シアワセなことってあるでしょうか?シアワセ水準が低い?

空は快晴,洗濯&お掃除日和です.昨夜からの冷え込みも続行中!「冬」です. 冬生まれのワタシとしては,日本から冬がなくなるのは,ぜひとも阻止したいと思う今日この頃ですが,どさっと洗濯物を放り込んで,ぽちぽちっとボタンを押しただけで完了するこの便利さがない環境なら,そんなヌルいことは言わないなぁ...

...あっつまり,そういうことです. つまり,人は誰もが,おそらくその人なりの前提を頭の中に置きながら,これはいい,これは悪い,了解した,了解しない,やりたい,やりたくないと表明しています. そして「その人なりの前提」は,その人にとっては,ごくフツーのことです.

その人にとってのフツーは,また違う人にとってフツーではありません.その調整をするのは,課題内容,状況把握,意識把握,パワーバランスなどに影響され複雑極まりなく,個々の検討が必要なことは言うまでもありません.

ただ,情報を提示するだけならともかく,相手に判断を求める際には,そのメリット,デメリットをすべて包み隠さず公表しなければならないというのは,前提になりつつあるように思われます.たとえば医師と患者間でなされる「インフォームド・コンセント」は,試行錯誤の末,ようやくこの合意に達していると思います. もちろん各医療現場の体制に依存しますので,不十分さは残ります.しかし,「これでは足りないのだ」という状況認識を社会のシステムとして獲得することは,すなわち,速やかな情報開示を要求し,かつ足りなくさせた原因究明を要求することの正当性が市民側に確保されるということです.

先日,「脅迫かよ」と怒り爆発させました遺伝子組み換え大豆の件も,「こちらを選ぶとこの面ではいいですが,この点はこうです」といった提示の方法は,かなり信頼できるものです(あくまで私基準ですが).あれは見せ方が酷すぎただけで.

 

ここで,情報提供側からの危惧として,「インフォームド」の姿勢を改善させたがゆえに,余計な不安を煽る結果になり,「コンセント」からほど遠くなってしまわないか,というようなことを聞くことがあります.

また,上記の「医師と患者」といった狭い範囲での「コンセント」ではなく,たとえば「科学と社会」といった膨張し続けている枠組みで,これがほんとうに可能なのかという猜疑もあるでしょう.

 

そういった危惧や猜疑にこだわるかどうかは研究の分野・手法にも拠りますし,その研究が応用され商品化されるかどうかにも拠りますし,その商品化されたものの購入者が,一般市民か政府か企業かにも拠ります.

研究者にとって,あるいは,これまで閉ざされた世界で完結して生活していた研究者が,これからますます社会に向き合うときに,持っておくべき倫理や規則としての「インフォームド・コンセント」とは何なのか,一度考えてみてもいいのかもしれません.

 

 ブログランキング・にほんブログ村へ←科学ブログとライフスタイルブログに7:3配分で参加中です!応援よろしくお願いします!!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。