白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

仙台支部道場開設

2006-09-30 00:41:29 | Weblog
 1989年2月、念願の仙台支部道場が開設された。
仙台支部は、河原町の十全会ビルというマンションの一角にあった。
開設に先立ち、十全会ビルに行ってみた。夕方頃で、部屋の中も薄暗かった。畳もまだ一部分だけしか敷いてなくて、雑然としていた。そのわずかに畳の敷いてあった場所に、男が一人座っていた。なかなか渋い顔をした好青年で、名前をナローパと言った。ナローパ師が、仙台支部にいたのは、その時だけ。事前の準備に来ただけだったようだ。

 仙台支部道場の道場開きは、尊師をはじめ、多くの師の方々が列席されて、盛大に行われた。私は、ようやく仙台道場が出来たという喜びで一杯だった。

 オウム時代は、土地や人に執着させないという理由だったらしいが、しょっちゅう人事異動があった。短い人だと、2,3週間で異動させられた人もいた。仙台支部も、とにかく人が替わった。どんな師の人達がいたのだろうか。思い出してみた。抜けてしまった人もいるかもしれないが、思い出せるだけ列記してみる。

 初代は、今A派の中心人物。泣く子も黙る、アッサージ師。
 次は、沖縄出身のダンマディンナ師 
 その後は、
   マルパ師
   ビルパ師
   ガンポパ師
   ミッター師
   タントラミッター師
   ウパーリ師
   タントラウッタマー師
   タントラシャーキニー師
   ヴァジラダンマサヴァ師
   ピリンダヴァッチャ師
   ポーシャ師
   ヴァジラテクシュナー師
   アヴェッチャ師
   バッタバーチャーナンダ師
   アヌーパマ師
   マハーラーキニー師
   サマンタヴァトラ師
   ヴァジラハーサ師
   パッシカ師
   メッターイタ師
   
順不同ではあるが、だいたい、これくらいだったと思う。こうやって列挙してみると20人以上替わっていたんだ。すごい。

どの師の方にも、いろいろな思い出がある。

 アッサージ師には、酔っ払って、べろんべろんになって支部に電話をかけたことがあった。あの頃の私は、在家の五戒なんて、ぜんぜん無視だった。さすがの、アーサージ師も笑うしかなかったようで、適当にあしらってくれた。

 女性の師の方達は、みんなやさしくて、好きな人ばかりだった。もちろん修行になると、鬼になるのだが、普段は気さくで良い人達であった。

 残念なのは、仙台支部で人気の高かった、ピリンダヴァッチャ師が、もうこの世にいないという事実である。私は、今でも、彼が死んだということが信じられない。どこかから、また、ひょっこり、やあやあとか言って出てきそうな感じがして仕方がないのである。

 次回は、仙台支部でお世話になった、各師の方々についてのエピソードを書いてみようと思う。

3 コメント

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Unknown (L)
2010-03-06 20:56:16
私はナローパ師のことが知りたくて探しているうちにここに辿り着きました。

ナローパ師をご存じなんですか?

私は18年前、彼に大変お世話になりました。

その後の彼のことが知りたいのです。
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Lさん (白龍)
2010-03-07 09:24:29
>ナローパ師をご存じなんですか?

ナローパ師と話をしたのは仙台支部立ち上げの時くらいで、
あとはセミナーで見かけたくらいのものです。

>その後の彼のことが知りたいのです。

いつのまにか脱会したみたいですよ。
詳しいことは知りません。

http://honfleur.sakura.ne.jp/bbs/bbs3/nerimb3.cgi



http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267827906/

で消息を尋ねてみてはいかがですか?
知ってる人がいるかも。
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Unknown (sae)
2010-04-03 18:20:13
事件があってからしばらくして週刊誌に書いてありました。女性と同棲していておまけにお坊さんになって托鉢とかしているそうです。
今はどうしているか知りません。
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