白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

教団タイタニック

2006-10-30 01:44:17 | Weblog
 もう少々古くなったが、「タイタニック」という映画があった。好きで何度もレンタルで見ていた。あの映画を見ると、我々の生というものが、本当に船底一枚上に載っているようなものだということを、つくづく考えさせられた。

 「絶対に沈まない船」と言われたタイタニック。乗り込むときは希望に満ち、新しい世界を求め喜びで一杯だった人々。洋上で豪華な食事を楽しむ金持ち達、貧しいものは貧しいものなりに楽しく踊り歌い、働く者は、自信と誇りに溢れ、船底でほこりまみれになって働いていた。それら全てが、皆タイタニック号の乗組員であった。

 それが流氷にぶつかり、浸水が始まった。最初は皆大したことはないだろうと思っていた。しかし、船体に開いた穴は大きく、しだいに船底から順に水が流れ込んできた。それでも、人々は、音楽を奏で、談笑していた。人々が気づいたときには、相当船体の浸水は進んでいた。

 全ての人々が気づく頃には、船はもう沈没が免れない状況になっていた。それでも救命ボートで脱出出来た人達は、まだ何とか生き延びることが出来た。しかし、凍てつく海に投げ出された人々は、そのまま息絶えたのだった。その数約1500名。尊い命が失われた悲劇であった。

 突然今日は、タイタニックの話になってしまった。昨日はゴキの話で、今日はタイタニック。全く繋がりはないのだが、今のアーレフ本体の現状が、私には、タイタニック号に見えて仕方がないのだ。最もオウム時代から、大乗の船と教祖自身が言っていたので、船になぞらえるのは、案外的を得ているのかもしれない。

 教団が引き起こした数々の事件、これによって、大乗の船の船体に大きな亀裂が生じた。その事故で、多くの乗組員が亡くなったり、重症を負ったりした。それでも、なんとかまだすぐには、沈まなかった。タイタニックの船内でまだシャンパンを傾ける余裕があったように、教団でも、この団体がなくなるわけが無いと高をくくっていた。しかし、教団で、タイタニックよりまずい点がある。船長がすでにいないのである。後に残された、副船長と技師達による舵とりが始まった。

 しかし、さらにまずいことに、技師達と副船長の仲が余り良くなかった。技師達は副船長の意見をきかず、副船長を追いやって、自分達で教団の舵取りを始めてしまった。おまけに、船長の家族が船長代わりに口を出すものだから、よけいややこしくなってしまった。

 副船長は、このままでは、大乗の船が沈没してしまうと考え、自分に従う数名と一緒に、救命ボートで、脱出を試みた。逃げ出した副船長を、技師達は魔境だと言って口汚く罵ったのである。しかし、船には間違いなく水がどんどん流れ込んでいた。すでに、技師達にも、船の現状が見え始めていた。もう、自分達の手に余ってきたのである。今までは、船長の家族も後ろに控えているし、なんとかなるだろうと思っていたが、その家族が足を引っ張り出した。

 家族同士でも揉め出したのだ。それを見た技師達は動揺した。船はもうかなり浸水が進んでおり、自分達の力ではどうしようもないところまで来てしまったと感じたのだろう。そこで、もう技師達も舵をとるのを止めてしまった。

 アドバイスはするが、船の舵取りを放棄してしまったのである。これはすなわち、水がどんどん浸水しているにもかかわらず、皆で船頭のいない船に乗っているということである。

 もう技師達には頼らないと、船員のリーダー達が船を動かそうとしているが、優秀な船員は、事件で相当死亡してしまい、いかんせん人材不足の感は否めない。おまけに、次々とおぼれていなくなる者も出ている。リーダー達は自分達で動かしてやろうと考えているが、今まで、技師に言われるままに、手足のように働いてきた者に、どうやって船を動かしていいか分かるわけが無い。頭を寄せ集めて会議をしても、単なる意見交換しか出来ず、決定事項が見つからない。そんな状態ではないのだろうか。

 おまけに、一旦事が起これば、責任者として、乗組員にも外部にも、自分が矢面に立って、説明しなくてはならない立場になるのだ。全国に顔を晒し、非難の集中砲火に敢然と立ち向かう根性が、それらリーダーにあるのだろうか?それだけ胆の据わった船員がいるのだろうか?私は、はなはだ疑問である。技師達ですら運行を放棄したのに、火中の栗を拾う者がいるとは思えない。拾う者は、余程のお人よしか、・・・・ではないかと思ってしまう。

 教団タイタニック号は、船頭がいない状態で、浸水をしながら海上をさまよっているのである。技師は、賢いので、もう船の運航は無理であると読んでいるはずである。しかし、何も言わない。私は、これは卑怯だと思うし、意気地なしだと思う。しっかり、船の状況を船員以下の末端の、下働きの者達に伝えてあげるべきである。もちろん乗客にも伝える義務がある。某技師は、現状を伝えようとしたら、どなたかの差し金で、沖縄に飛ばされ、ドロップアウトしたいなどとのたまっているらしい。

 ドロップアウトしたいのは分かるが、技師の責任と言うものがある。船にまだ何人乗っていると思っているのだ、皆を助ける努力をし、死亡者や怪我人が出ない努力をすべきであろう。ドロップアウトなんて心に決めたらいつだって出来る。しかし、乗組員を助けるのは、技師しか出来ない。責任を放棄せず、最後まで職責を全うして欲しい。やるべきことをやってなおかつ、どうしようもないなら仕方が無いが、何もやらず、自然消滅的にドロップアウトされたのでは、残された乗組員と乗客は、ただただ冷たい海水の中に放り投げだされ、死を待つしかなくなってしまう。

 私が思うに、いよいよ危なくなってきたら、船員のリーダーから先に逃げ出すと思われる。なぜなら、彼らは自由に情報を得る立場にいるからだ。いろいろな情報を収集しているうちに、これはまずいことになっているということに気づく。したがって、周りに気づかれないように周到に準備をし、ある日突然いなくなる。これから、どんどんリーダーの中から船を離れるものが出てくるはずである。次にそれを見た、財施部の乗組員が船を降りだす。彼らは、現世で働いていける自信があるので、船から降りやすいのだ。そして、最後に残るのは、まじめに情報遮断をして、教団の動きに全く疑念を持たなかった末端の乗組員である。そのうちに、A派と中間派で船体が二つに折れて、大きく船体が傾く、そして最後はともに海中に没していく。教団タイタニック号の沈没である。

 そこで救助の鍵を握るのが、副船長である。沈没していく教団タイタニックの様子を、船から、少々離れたところから見ている。しかし、うかつに手を出すことは出来ない。溺れている者を助けたいが、助けようにも、自分の船も小さいのである。大量に助けたら、自分達もろとも溺れてしまう。そこで、大切な持ち物を捨てて身軽になったら助けてやると言っている。身軽になって、ボートにたどり着いたものは、助けてやろうと考えているのだろう。しかし、溺れる者は必死である。その時は助かりたい一身で、持ち物を捨てるから、助けてと言ってくる者がいないとは限らない。助けてしばらくたったら、内ポケットの中に、ごっそり宝石を隠し持っていたなどということになりかねない。

 あるいは、後から来たものが、最初から副船長につきしたがったものより、はばをきかすようになるかもしれない。そうなると、これまた、ひと悶着起こる可能性がある。

 どちらにしても、教団タイタニックは、沈没間近ではないかと思われる。すでに、一部施設の取り壊しも決定しており、サマナのぎゅうぎゅうづめ状態が予想され、船から必然的に落ちこぼれてしまう者が出てくる可能性がある。粛清も厳しくなってきており、サマナも事の重大さに、不安を感じ出しているようである。

 慈愛があるなら、出来るだけ速やかに、技師の人達は情報の開示をしてあげるべきだ。教団タイタニックが海中に没した後に、1500名の犠牲者が出ましたなどということのないように、それだけはお願いしたい。サナマに言えないなら、信徒に言って欲しい。信徒が動けば、サマナも変わらざるおえなくなる。とにかく何か策を考えるべきである。