1日経っても、まだ心はグローブ座においてきたまま。
色んな方のレポを読んでは、その場面を思い出し、涙が止まらなくなるということを繰り返していた1日だった。
これまで何年もTV越しに見てきた伊野ちゃんは、ふわふわしてて、綺麗で、
でもどこか冷めていて、お人形みたいなイメージの人だった。
でも舞台上の伊野尾慧は、泥臭い20代の男の人・徹そのものだった。
怒鳴り散らすし、物に当たるし、車も運転するし、メッキを削ったり、お面をしながら溶接したり、
食事はお菓子という偏った食べ物だったり、山場のシーンなんて今まで観たことないような声と表情で本心をさらけ出すし、
総括すると、こんな彼、今まで観たことなかった。
この男を本気にさせると恐ろしい。
「演技が上手くなったね」とか「かっこいい」の言葉じゃ片付かない。
経験したことのない阪神淡路大震災を語らなければならない大きなプレッシャーがあるこの舞台で、
自分なりに噛み砕いて、理解して、それを観客に伝えようとする思いが強く伝わった。
徹にとって吾郎は「父親」ではなく「カラフト伯父さん」という名のヒーロー。
小さい頃から辛いときや苦しいときすぐ駆けつけてくれた、賢くて、優しくて、唯一無二の存在。
あの日からずっと、辛い時に助けを求めて求めて求め続けたけど、親父さんが死んだことで訪れた孤独の中で久々に会った吾郎から言われた言葉は「もう大人なんだから…」とい自分の望んだ言葉じゃなかった。
たしかに吾郎からすれば、徹はすっかり大人になった青年だ。
だけど徹からすれば、吾郎はヒーローの「カラフト伯父さん」だ。
「ほんたうのさいはひを見つけるまで徹をピカピカと照らすよ」と約束してくれた伯父さんなのだ。
今、この辛い孤独を助けてくれるたった一人の光であり、希望だった。それなのに、彼は僕を避けようとしている。そう思った徹は絶望した。そして拒絶した。
「約束を覚えてないんか?僕を騙したんか?俺はまだ大人なんかやないんや。助けてくれると信じてたのに」
助けを求め続けた徹の心が崩れるほどの絶望、悲しみ、悔しさ、憎しみが、彼を孤独のそこに閉じ込めたんだろうな。
だからカラフト伯父さんを拒絶する。
吾郎を頼る仁美に「お前もあいつに騙された口じゃ!」と言う声。
吾郎が自己破綻に追いやられた時、「罰が当たったんや!」と低めの馬鹿にしたような笑い声。
その声に心が締め付けられた。本当に吾郎が憎いんだ、と。
そして。
自己破綻をするために貸したお金をすべてお酒として呑んでしまった吾郎に殴りかかったとき、
「母ちゃんが死んだとき、幼い俺に向かって言った言葉覚えとるか?!」と叫ぶと、「千鶴子と約束したんだ!」といった吾郎。
そこから「徹を幸せにする」と千鶴子と約束した話や、千鶴子が亡くなった時に徹と約束したあの言葉を一語一句忘れていなかったという事実を知る。
「それからっ?!それからっ?!それからそれからそれからっ!」吾郎の胸倉を掴み泣き叫びながらこの台詞を言ったところで、徹の閉ざされた心が段々と開き始めたと思う。
ぽつりぽつりと語られる震災の話。
文字に起こすのが嫌になりそうなぐらいの思い。
「カラフト伯父さん、どこにいるんですか?カラフト伯父さん、助けてください」という叫び。
1人逃げた事に後悔し「俺もあの時死ねばよかった」と考えつめ、毎晩震災のことを思い出して眠れない一人ぼっちの夜。
徹の長い長い話が終わったとき、会場のいたるところで鼻をすする音が聞こえた。
話を聞いた吾郎の「ずいぶんくたびれちまったが、カラフト伯父さん、ただいま登場」という言葉でようやく救われた気がした。
あそこで「ごめんな、徹。」なんて言われた日には、吾郎をぶっ飛ばしたくなってたと思う。
徹が待っていたのは父親の吾郎じゃない、ヒーローのカラフト伯父さんだったから。
ようやく助けてもらえてよかったね、徹。
カラフト伯父さんが東京へ戻るとき、ようやく笑顔を見せる徹。
そのころにはすっかり仁美と仲良くなって、息があっていて。
カラフト伯父さんがまた戻ってきてくれる。もう1人じゃない。
生きる希望や笑顔を取り戻した徹と、自己破産申請をして人生を再スタートしようと決意した吾郎と仁美。
その三人を祝福するかのように降る雪がこれまた綺麗だった。
舞台の中の話だったけど、この3人(と仁美の赤ちゃん)の未来が明るくありますようにと願わずに入られなかった。
(最後の気が緩んだのか、車の操作を間違えて「あっ…」って言ったところは可愛かった)
私にもカラフト伯父さんのような存在の方々がいる。
小さい頃から何かと気にかけてくれる、まだ1度もちゃんと会ったことのない人たち。
その内の1人が教えてくれた言葉が、
徹でいう「ほんたうのさいはひを見つけるまでピカピカと照らしてあげるよ」という言葉ぐらい私の中で支えになっている。
もしその言葉が裏切られたら、私も徹のように絶望すると思う。悲しさに狂うかもしれない。
話を戻して。
この舞台によって、伊野尾慧の見方が変わった。アイドルではなく俳優としてもちゃんと通じる力を持っている。
そしてそれを伝える力も、観客を物語に引き込む力も持っている。
そして、彼自身もこの舞台を通して見違えるくらい変わった。数年前よりも、TVで見せる表情が豊かになった。
ここ1~2年で急激に成長する彼の姿を、コンサートで輝く姿ではなく、
舞台上で感情を爆発させて必死に演じる姿で見ることができてよかった。
そして、今回の舞台を見たことによって、私の中の何かが変わったような気がする。
家族のこととか、言葉の影響力とか。
私は阪神淡路大震災の後に生まれた世代で、東日本大震災の時もかなりの揺れを体験したとはいえ大きな被害はなかったから、あまり被災地のことや被災者のことを考えたことはなかった。
阪神淡路大震災から20年、東日本大震災から4年。
時が経っても、忘れることの出来ない人がいる。忘れたくない人もいる。忘れられるのを恐れる人もいる。
町は復興しても、けっして元のようには戻らない。
でも、前を向かねばならない。
「お前はまだ若いんだ!働くことも出来るし、未来もある!こんなところに居ちゃダメだ!」
1人鉄工所に住む徹に言った吾郎の言葉が頭から離れない。
1回見ただけじゃ理解しきれないところが多くて、もう一回観たいと思った。
ただ伊野尾くんが好きだから、ではなく、徹や吾郎の感情をしっかりと理解したいから。
彼らがあの日、失ったものはなんだったのか。
「ほんたうのさいはひ」とはなんだったのか。
再演してほしいな。
初めて観た舞台が、カラフト伯父さんでよかった。
「カラフト伯父さん、ほんたうのさいはひはどこにあるんですか」