(ネタバレ。思い出したらその都度更新します)
本日、晴天なり。
舞台カラフト伯父さんを観てきた。
3階席の後列ということで、観にくい部分もあったけれども大満足の結果になった。
怒鳴り散らす徹。
泣き喚く徹
ちょっとふざける徹
どの徹にも伊野尾さんの姿はなくて、そのまま気にせず舞台を観れた。
自分としては、共演の松永さんの赤いスイートピーにぐっとくるものがあった。
そして升さん。
ドラマ選タクシーのイメージが強い俳優さんだったけれど、この人がまたすごい。惚れた。徹が震災のことを話す場面の最後、「カラフト伯父さん、ただいま登場しました」の所で大号泣。
キラキラと照らしてくれるカラフト伯父さんに、10年間ずっと夢の中で助けを求めていた徹がようやく報われた。
その瞬間涙が止まらなかった
「ほんたうのさいわひはどこにあるの、カラフト伯父さん」
この「ほんたうのさいわひ」、最初「ほんたんの災い」だと思っていたけどパンフレットを見て納得。「本当の幸い」ということか。
しかし、まだこの言葉の本当の意味を理解出来ないままモヤモヤしている。
きっと理解出来るようになるのは何年も先なんだろうな。いまは言葉そのまま「本当の幸せ」と考えて理解している。
軽トラの運転
初めて見た運転する姿。窓から上半身を乗り出して何度も確認する徹。
ラスト、仁美と伯父さんを車に乗せる場面。何かを間違えたのか「あっ…」という。それを伯父さんが「オーライ、オーライ、バックオーライ」でフォローする
溶接
仁美のストリッパー時代の話を聞きながらメッキのイス?を削る徹。
「ちょっと理解が追いつかないです…」はアドリブ?
お味噌汁は殿と褒美を授けよう?
仁美専用の椅子(背もたれに名前。明朝体)作る。抱きつかれる。
わかった、わかった。すわろ?すーわーろ、すーわーる、こっち向いて、すーわーる。は可愛かった
・全体を通しての伏線
猿の機関車、仁美の子供の頃の話、カラフト伯父さんの出版社で唯一売れた本、樺太旅行記。宮沢賢治。
→銀河鉄道
・徹の母が死んだ時
「母さんは死んでない。ほんたうのさいはひを探しにいったんだ」
ほんたうのさいはひは自己犠牲?
吾郎と居て幸せだったという千鶴子。
だから徹に幸せを分けてくれと頼まれる。
この時に2人は自分を犠牲にして徹を幸せにしようとしたのか?もしくは、徹にとっての幸せは「吾郎と家族3人で過ごすこと」だと千鶴子さんは考えていたのではないか?しかし、夫婦生活が上手くいかず離婚という形でその「家族の幸せ」を終わらせてしまい、悔やんでいたのではないか?親父さんという新しい父親の存在が居たけれど、徹の中から吾郎という存在を消したくなくて「カラフト伯父さん」と呼ばせるようになったと考えれば「千鶴子は俺をお父さんと呼ばせたくなかったんだ」という吾郎の台詞も自然になるような気がする。
そしてこの時の徹と「カラフト伯父さん」の約束は、徹にとって心の支えとなり、同時に数年後に来る震災によって憎しみの元になってしまった。
徹の本心
震災の日、大学生の兄ちゃんと小学生の男の子を見捨てたことが頭から離れない。振り返らずに逃げたから。
その光景が毎晩夢に出てくるほど。ちょっとの揺れで起きてしまう。眠れない夜を過ごした徹。
あの時死ねば良かった、と10年間ずっと後悔し続けた。
「カラフト伯父さん、どこにいるんですか
カラフト伯父さん、助けてください
カラフト伯父さん、きてください
カラフト伯父さん、ほんたうのさいはひはどこですか…」
と泣き叫びながら逃げたあの日から。
徹はずっと、ヒーローであるカラフト伯父さんが助けてくれるのを待っていた。
仮設住宅でばあちゃんが死んだ時も、復興住宅でじいちゃんが死んだ時も、義父が二重ローンの返済のために過度の労働で死んで1人になってしまったときも、ずっと助けてほしかった。
徹をピカピカ照らす存在になるって言っていたから。
10年越しにようやく
「くたびれちまったけど、自己破綻間際だけど、カラフト伯父さん登場」
涙が止まらなかった。徹は震災があった18のまま心は止まったままだったから。止まった針を進めたのは最悪で最低であり、でもヒーローなカラフト伯父さんだった
最初の場面
舞台中央奥の扉を開けて出てくる徹。
軽トラを運転する徹
カップラーメンの粉末をしっかりと振る。
暴言吐きまくり。
「でてけっ!」のくだりは5回ほど?
途中で吾郎のスーツケースを倒しちゃってそのまま蹴りながら外に運ぶ
妊婦だろうが容赦ない徹
仁美の荷物を外に運ぶ時、スーツケースの後ろに隠れる吾郎
「お前、隠れられてへんからな」みたいなニュアンスの言葉言う
軽トラ挟んで追いかけっこ。途中軽トラの右側の扉の方で飛び乗ろうとする
ちょっとばてた?
仁美がブラを見せた時、手を頭に当ててあちゃ…ってする徹
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