竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

「原子力損害賠償法」見直し案が示す「政治の」究極の責任放棄

2018年09月08日 | 原発
さて、また久々の投稿である。
原子力損害賠償制度の見直しに関する検討会が終わり、その結果についてパブリックコメントの募集が行われている。9月10日が締め切りである。あまり注目されていないが、実は原子力の今後を決める最重要な要素をはらんでいる。ぜひ、このブログを参考にしていただき、皆さんのご意見を日本の政治に反映させてほしい。

原子力損害賠償制度の見直しに関するパブリックコメント
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=095181080&Mode=0

1、原子力損害賠償法見直しの背景

原子力損害賠償法は、もともと10年ごとに見直しすることになっている。今回はそれとは別に、2011年の原子力損害賠償支援・廃炉機構法の成立時の附則に基づいた見直し検討である。福島原発事故で、原子力発電事業の保険金額に当たる賠償措置額などが現実にそぐわないことが明らかになったからだ。
しかしパブリックコメントに付された「見直し案」は、結局ほぼ何も変えないと言うものになった。未曾有の福島第一原発事故を経験し、5万人以上が故郷を追われ、経済的にも歴史・文化の面でも深刻な影響を受けたにもかかわらず、何もしないということになった。
事故後、政府は「原子力損害賠償支援機構」(現在は「原子力損害賠償・廃炉支援機構」)を立ち上げ、事実上、多額の政府資金をつぎ込んで東電を救済してきた。その名目は被害者支援である。原子力損害賠償法では、条文として原子力事業者の「無限責任」がうたわれていながら、実際はほぼ全額が税金でまかなわれる。そのようなモラルハザードと言うべき対応の原因が、1200億円と言う極めて少ない賠償措置額にあることは、誰が見ても明らかだ。今回の検討では、1200億円はいったいどこまで上がるのかが最大の関心事だった。しかし、結果は1円も上げないと言うものになった。これは見方によって、原子力に事実上「ノーリスク」と言うフリーハンドを与えることにもなりかねない誤った政策である。

2、原子力損害賠償法とは
1962年に、原子力発電所の運転を認める前提として設けられた。図1のように、民間保険と政府保証を組み合わせた損害補填制度である。原子力事業者は、一つの原発サイトについて一契約で、この損害賠償保険制度に加入する。三つのサイトがあれば三つの契約を結ぶ。原子力事業者は1200億円に対する保険料にあたる「補償料」を毎年支払う。
損害賠償措置額1200億円は、いわば支払われる保険金に当たる。事故損害を1200億円までは補填し、それを超えるものは基本的には原子力事業者が無限責任を負う。つまり何兆円になろうと当事者として支払うと言うものである。しかし、その負担に耐えかねて原子力事業者が倒産してしまえば、被害者が路頭に迷うであろうと、原子力事業者が破綻しそうな場合は政府がこれに変わって補填すると言う内容が第16条にある。これによって、東電は破綻を免れ、国費を大量に投入され救済されることになった。

図1 原子力損害賠償制度の概要



3、結局、見直しても何も変えないという驚きの結論
この法律制定当時には、原発事故による損害がどのくらいになるのかと言う予測を行う経験知がなかったことになっている。実際にはアメリカのWASH740を下敷きにした被害想定が、1960年に原子力産業会議によってまとめられた。その結論は、16万kW程度の原発が過酷事故を起こしただけで、損害額は当時の政府予算の2倍というものだった。あまりの凄まじさに、この報告書は隠蔽され、「幻の報告書」となる。その後に原子力損害賠償法は保険料率を決めるため、当初は損害賠償額50億円と暫定的に定めた。その後、損害賠償額は5回も改訂されており、2009年に1200億円に引き上げられた。
今は「幻の報告書」は不要だ。福島第一原発事故を経て、少なくとも現時点で損害額22兆円という、政府が算定した実績額がある。賠償措置額は当然、事実に準じて22兆円へと引き上げるべきだが、今回の検討会ではそれが行われなかった。議事の内容を遡ると、その額を検討したことは見て取ることができるが、最終的には何も変えないことになった。内閣府からのヒアリングによると、1200億円を超える賠償措置額を、日本原子力保険プールは引き受けることはできないと、拒否したからだという。

3、福島原発事故後は、事実上の無保険状態になっている
原子力損害賠償保険制度のうち、民間保険契約の部分は、民間保険会社の連合である日本原子力保険プールが引き受ける。原子力保険プールは、さらに海外の各国の原子力保険プールと連携し、いわば世界中のネットワークで、この保険を引き受ける。しかし、日本原子力保険プールは東電福島第一原発について、2013年に引き受けを拒否した。理由は海外の原子力保険プールが引き受けに難色を示したためとされている。
そのままでは無保険となり、原子力損害賠償法の規定により、原発の運転継続が認められず、福島第一原発は廃炉作業すらできなくなるところだった。東電は政府の指導により、代替の方法として1200億円を供託し、なんとか原子力保険が維持された。
一方で、原子力保険プールは、福島原発事故は地震・津波災害であることを理由に、東電に対する保険金の支出を行わなかった。そのため1200億円の賠償措置額の全額を政府が負担し、そのかわり、翌年の2013年から原子力事業者が支払う保険金額に当たる補償料を一箇所あたり3600万円から2億4千万円へと7倍に引き上げた。
これは補償措置額に対する補償料の料率が1万分の3から1万分の20に引き上げられたためである。今は全原子力事業者が、この補償料を収めている。もし仮に損害賠償額を22兆円とした場合には、この補償料は440億円となる。原発サイトが3つあればゆうに毎年度1000億円を超えることになるが、それでも民間の「原子力保険プール」は、その保険の引き受けを拒否したのである。
すでに原子力発電は保険の引き受け手がいない事業になっていると言っても良い。それを名実ともに示したのが、1200億円を超えては保険を引き受けないという保険会社の決定だ。そのような事業は通常の経済活動として成り立つはずがない。その肝心な事実が、巧妙に隠蔽され、損害額22兆円の事業を保険金1200億円で進めようとしているのが、原子力損害賠償制度である。無保険とほとんど変わらない。

4、原子力事業者無限責任のまやかし
そのような無謀になぜ踏み切るのか。そもそもなぜ、政府は事実上全額を国費で負担してまで東電を救済しているのか。その理由が原子力損害賠償法の第16条にある。

(国の措置)
第十六条 政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者(外国原子力船に係る原子力事業者を除く。)が第三条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。

この条文の意図は「被害者救済」である。原子力事業者が賠償負担に耐えかねて倒産してしまったら、いちばん苦しめられるのは被災者であろうと。しかし現実と重ね合わせて考えれば、この仕組みにより、福島原発事故の被災者は十分な支援を受けられない結果となっている。東電が、事実上政府からお金を借りて、返済することの前提に、被災者との賠償協議に臨んでいる。「返す」ことを意識しながら、支払いを考えたら、「値切る」ことが当たり前となる。かくして、福島の被災者たちは値切られ、あるいは切り捨てられ、第二の災禍を被っている。
被災者のことを考えるのであれば、まず政府が直接救済すれば良いのではないだろうか。その支払額を政府が東電に要求すれば済む。
それでなくとも原発は、政府が1960年代半ばから「国策」として押し進めたものである。甚大な原子力災害への警告は、実際に多くの識者が発していたにもかかわらず、政府が「安全神話」にどっぷりと浸かり、あまりにも無策であったがために引き起こされたものということもできる。その観点からすれば、福島第一原発事故と、それが引き起こした災禍は「公害」(公が発生させた害)である。
原子力事業者の「無限責任」という言い方は、実は政府の責任を(法的には)ゼロ放棄するという意味にも等しい。

5、第16条を廃止し、原子力事業者を破綻させるべし
現実に被害額はすでに22兆円。実際はもっと増えることを否定する人は少ない。せめて22兆円へと賠償額を上げないのであれば、1200億円以上の賠償額を超える損害は政府保証になってしまうような原子力損害賠償法第16条を廃止しなければおかしい。
政府の責任を明確にするために、政府が原子力事業者を支援する第16条を廃止せよというと、ちょっとパラドクスにきこえるかもしれないが、賠償額が22兆円で支払保険額が1200億円、その差額は政府が援助するというのは、ほぼ全額の政府負担することを保証する、とんでもない法律となるからだ。「無限責任」とは裏腹に、原発事故による破綻リスクをほとんどゼロにする。
「公害」と言えば、水俣病やイタイイタイ病、四日市や川崎のぜんそくが思い出される。建築材料としてのアスベストや焼却工場からのダイオキシンも、スモンやキノホルム中毒という薬害等も、政府の対策の遅れから多くの被害を引き起こしたという点で公害である。
政府が安全神話を作り、甚大な「広域災害」を生み出し、人的被害だけでなく地方自治体や地域産業の崩壊という経済や文化の喪失まで作りだした原発事故がどうして「公害」ではないのだろうか。
政府の責任を認めようとしないことが、いろいろな弊害と矛盾を生み出している。原発事故を引き起こした企業の責任は、そもそも「存在してはいけない」という最も重い罰を受けるべきものである。罪に対して罰を与えない政策は、社会の価値観を破壊する。

6、原子力損害賠償・廃炉支援機構は廃止すべきである
第16条が作り出した「間違い」の最たるものが「原子力損害賠償支援機構」(以下「支援機構」)である。福島原発事故後に、いち早く構想され、2011年6月発足した。この機構の役割は、ひとえに東電救済である。東電は福島原発事故後、3月末で債務超過に陥ることが明らかだった。さらに6月には電力債の返還時期が迫っており、3月末までに金融機関融資が受けられなければ破綻しただろう。
破綻することが明らかな企業に金融機関は融資しない。破綻しないという保証をしなければ金融機関融資はない。そこで政府が、その保証をする仕組みとして考えたのが、「支援機構」だった。東電が抱えるであろう、被害者への損害賠償に政府資金を入れることで「持続可能」にした。「支援機構」の発足は6月だったが、そのことを担保に、政府が金融機関に東電への融資を迫り、総額4兆円の融資を行わせたのである。それによって東電は破綻をまぬがれた。
しかし財務省はこれを認めていない。破綻会社に政府資金を湯水のように流し込むことなど国民への背反行為である。かくして、「支援機構」が東電に入れる資金は「交付金」という名の「貸金」になった。貸した金は返してもらわねばならないので、東電には特別負担金、東電を含む電力9社にも「連帯責任」として一般負担金を毎年拠出させることとなった。
他の電力会社に一般負担金を拠出させるということは、その電力会社が福島原発事故のような過酷事故を引き起こした際にも、同じ仕組みで面倒を見てもらえるという裏約束がある。1200億円とは別の、新たな保険の枠組みを作ったようなもので、原子力発電の過酷事故で一発破綻というリスクを解消した。仕組みは極めてわかりにくく、責任をあいまいにし、結果的に被害者は東電から切り捨てられている。このような制度は、早急に廃止すべきである。

7、増え続ける損害額と国民への押し付け
最初に政府が損害賠償資金として予想したのは5兆円だった。しかし、この金額はあっという間に10兆円になっている。東電が必要なのは損害賠償資金だけではない。放射能に汚染されてしまった土地の除染、その除染によって大地から剥ぎ取られ、フレコンパックに入れられた膨大な除染廃棄物を含む「事故廃棄物」の中間貯蔵、そして問題の事故炉の処理がある。メルトダウンした原子炉の中には、核燃料が溶けて固まったデブリと呼ばれる放射能の塊がある。それは熱を発しており、7年経った今でも冷やし続ける必要がある。そのために原子炉には水が送られ続け、その水を回収してタンクに貯めている。そのタンク中のトリチウムを含む水の処理・管理にも膨大な費用がかかっている。これが、廃炉・汚染水対策だ。
図2はそれらの費用を一覧にしたものだ。除染は東電株の売却益、中間貯蔵は電源交付金でと当初は言われていたが、交付国債枠つまり「支援機構」が流し込む資金の使徒の中に入ってきている。これらに加え廃炉・汚染水対策の8兆円を加えた総額21.5兆円が、現在までに政府が原発事故による損害額と認めたものだ。

図2 福島原発事故に関連して確保すべき資金の全体像



このうち、損害賠償への実質返済額である一般負担金は、電力料金に転化されている。廃炉・汚染水対策も、オール東電で責任を取らせるという理屈で、東電送配電部門の託送料金から徴収することが認められている。東電送配電会社は他者と統廃合し日本の送配電を東電が束ねることになれば、日本中の全消費者が、この費用を負担することになる。当事者たちは、実は何も責任を取らないという仕組みだ。

8、原子力事業者の健全な発展を求めるという規定の廃止
福島原発事故後は、民間保険の引き受け手もいなくなった原子力という産業。一般的には産業としての破綻である。それを無理やり維持し、存在させ続けているのは政府であることが、この構図からは見えてくる。
それは軍事目的であろうとか、それほど利権に目がくらみ・・とかの解説はここでは行わない。肝心なことは、原子力は破綻産業であることが、広く全国民の認識とならなければならないということである。それでも原子力を維持し強行しようとする政府は、それ自体が存続できないという状況が生まれれば、このいびつな政策も終了するだろう。
その政策の終了を確定させるには、ただ一つのことをすれば足りる。原子力損害賠償法の第1条をちょっと変えることだ。

(目的)
第一条 この法律は、原子炉の運転等により原子力損害が生じた場合における損害賠償に関する基本的制度を定め、もつて被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的とする。

アンダーラインの「原子力事業の健全な発達に資すること」を削除することだ。賠償を定めた法律が、賠償すべき加害者の「健全な発達」を保証しようとしたら、十分な賠償などできるわけがない。原子力事業者をきちんと破綻させる法律とすべきなのである。

9、製造メーカーの責任を明確に
この法律には、もう一つ決定的な欠陥がある。それは原子力事業者の一元的な責任の一方で、原発を設計し製造したメーカーを完全に免責していることだ。具体的には賠償責任に関する、第4条1項(事業者以外の免責)、及び第4条3項(製造物責任法の非適用)、そして第5条(求償権の範囲)である。
福島第一原発を設計、建設したのは原発メーカーである。国会やさまざまな場面で東電だけが追求されていますが、原発について詳細に知っているのは原発メーカーである。
福島事故と同型の原子炉を持つ柏崎刈羽原発がある新潟県は、「原発の安全管理に関する技術委員会」を立ち上げ、詳細な技術的問題を検討している。そこで議論されている不具合の内容はメーカーしか分からないものが殆どだ。「原発メーカー免責」条項により、「事故が起こっても責任なし」となれば、ただでさえ安全性よりも経済性に傾きがちなメーカーの姿勢をさらに経済性に向かわせることは目に見えている。また、設計、製造における詳細な検証も、企業秘密等を理由に極めて困難になる。安全性とは真逆の効果しか生まない。
今回の原発事故について、メーカーの技術者であった東芝の後藤政志氏、日立の田中三彦氏等も、設計、製造段階で安全性と経済性のトレードオフについて、極めて甘かったことを指摘している。したがって、第4条1項(事業者以外の免責)、及び第4条3項(製造物責任法の非適用)は明確に廃止すべきである。
そして第5条(求償権の範囲)は、求償権を「自然人」=個人に限定していることを改め「第三者」とすべきだ。個人に限定されていては、原子力事業者が、法人であるメーカー企業に求償しようとしても請求できないからだ。「第三者」は法人も含む意味の法律用語だ。
製造メーカーに対し、製造責任を認めさせ、賠償の一部を負担させる求償も可能にする。それでも、事故を起こさない安全な原発を作れるというのであれば、そうすれば良い。会社の消滅という自己責任を覚悟するということである。







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1 コメント

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パブコメ出しました。 (竹村英明)
2018-09-09 23:04:04
御意見及び理由:
全体(全文)が対象箇所。

・意見内容
損害賠償措置額を1200億円から増額すべきである。少なくとも、福島第一原発事故で現実に算定されている損害額22兆円が最低限必要な額である。

・理由(可能であれば、根拠となる出典等を併記して下さい。)
福島原発事故で、原子力発電事業の保険金額に当たる賠償措置額などが現実にそぐわないことが明らかになった。事故後、政府は「原子力損害賠償支援機構」(現在は「原子力損害賠償・廃炉支援機構」)を立ち上げ、事実上、多額の政府資金をつぎ込んで東電を救済してきた。その名目は被害者支援である。原子力損害賠償法では、条文として原子力事業者の「無限責任」がうたわれていながら、実際はほぼ全額が税金でまかなわれる。そのようなモラルハザードと言うべき対応の原因が、1200億円と言う極めて少ない賠償措置額にあることは、誰が見ても明らか。今回の検討で1200億円はいったいどこまで上がるのかが最大の関心事だった。しかし、結果は1円も上げないと言うものになった。これは原子力に事実上「ノーリスク」と言うフリーハンドを与えることにもなりかねない誤った政策である。
そして今回、損害賠償措置額について、1200億円を据え置くという重大な決定が行われながら、そのことも、その理由もどこにも書かれていない。これは著しい説明不足である。政府はエネルギー基本計画の策定において、「双方向対話」をうたっているが、これでは対話どころか「情報隠蔽」に等しい。
ただ、内閣府からのヒアリングによると、1200億円を超えて賠償措置額を上げなかった理由は、この専門部会での検討中、それを日本原子力保険プールは引き受けることはできないと、拒否したからだという。
原子力損害賠償制度は民間保険と政府保証を組み合わせた損害補填制度である。原子力損害賠償保険制度のうち、民間保険契約の部分は、民間保険会社の連合である日本原子力保険プールが引き受ける。原子力保険プールは、さらに海外の各国の原子力保険プールと連携し、いわば世界中のネットワークで、この保険を引き受ける。しかし、日本原子力保険プールは東電福島第一原発について、2013年に引き受けを拒否した。理由は海外の原子力保険プールが引き受けに難色を示したためとされている。
そのままでは無保険となり、原子力損害賠償法の規定により、原発の運転継続が認められず、福島第一原発は廃炉作業すらできなくなるところだった。東電は政府の指導により、代替の方法として1200億円を供託し、なんとか原子力保険が維持された。
すでに原子力発電は保険の引き受け手がいない事業になっていると言っても良い。そのような事業は通常の経済活動として成り立つはずがない。その肝心な事実が、巧妙に隠蔽され、損害額22兆円の事業を保険金1200億円で進めようとしているのが、原子力損害賠償制度である。この決定が効力を有すれば、来年の原子力損害賠償法の法改正提案も、そのまま事実上の無保険状態を押し通すことになる。
そのような原子力という事業をこのまま続けて良いのか、国民にはっきりと事実を示して問うべきである。

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