16年ぶりに行ってまいりました。青春時代の想い出のいっぱい詰まった野沢温泉村の民宿「ベルク丸金屋」さんに。学生時代、居候やバイトをしに冬休みや春休み中、そして3学期の土日はほぼ毎週通った想い出の民宿です。
私はスキーバスが苦手だったので、学割も効くのでもっぱら「急行ちくま」を利用しておりましたが、16年とは長いものでその「急行ちくま」もなくなってしまっているので今回はしかたなく往路はスキーバスで。
2/27深夜に京都を出発し、明朝7時頃に現地到着。「丸金屋」さんは「ベルク丸金屋」さんに建て変わっていて当時の面影はありませんでした。しかし、玄関をくぐると懐かしい声がしたので、フロントが開く時間は7:45でしたが、早速厨房ののれんをくぐって、「おはようございます。」「ご無沙汰してすいませんでした。」と挨拶しました。早いですがお部屋に案内してもらいました。一息ついて、京都から携えてきたおみやげを渡しに行くと奥さんとの思い出話に際限がなくなり、レンタルのスキーを合わせてくれていたご主人が思わず、「もういいから後にしてスキーにいってこい。」とおっしゃるほどでした。
16年前当時は近くの栄村から4~5人のおばちゃんが出稼ぎにきてはりましたが、そのうちの一人が今も「丸金屋」さんで働いてはりましたが、私の名前まで覚えてくれたはりました。また、当時バイト部屋で一緒に寝食を共にした奥さんの弟さんが、「ベルク丸金屋」さんの斜め向かいで今はお好み焼き屋さんをやってはりましたが私のことを覚えていてくれはりました。宿の息子さんは東京で就職して不在でしたが、娘さん(当時小学校2~4年)はちょうど東京から帰省中でしたがおぼろげながら私の事を覚えていてくれました。当時、むちゃやんちゃな子だったと記憶してますが、びっくりするぐらいきれいになっていましたが変わらぬ笑顔を振りまいてくれました。
中西保志の
「最後の雨」(http://www.youtube.com/watch?v=nBkF1TzJld8&feature=related)ではないですが、16年間忘れていたわけでは決してなく、忘れるぐらいならあんなに毎週のように通ったりはしなかった。いつかは家族を見せに行きたいと願っているうちに16年間の月日が経ってしまっていました。でも、想い出の場所に家族を連れてくることが出来て幸せです
さて、懐かしの野沢温泉第一日目はりょう以外は(りょうのみスキーを持参)スキーを宿で借りて、りょう、ユウ、りょうちちの3人でゲレンデに出発(ふーはスキーをしないので外湯巡りをするとのことでした)。まずは最高到達地点に行こう、ということで、ゴンドラとリフトを乗り継いで毛無山山頂へ。実は、永年野沢に通い詰めましたが、私山頂に行くのは初めてだったのでございます(^_^)v。といいますのも、クロスカントリーが一応専門だった関係で大半を麓のクロスカントリー用のトレーニングコースで過ごしていましたし、たまにゲレンデスキーをやったときも、ゴンドラとリフトを乗り継ぐのが面倒くさかったので、ゴンドラを降りるとそのまま下に向かって滑り降りていたからなんです。ですんで、行く前からりょうとユウにお願いしてました、体力のあるうちに山頂に行ってくださいと<(_ _)>。
この日は本当に素晴らしい晴天でゴンドラの途中から北アルプスがくっきりと姿をみせ、ゴンドラの上の平ステーションから上は樹氷の広がる幻想的な風景で山頂に上がると北信五岳が一望できる素晴らしい景色でした(^^)/。
(写真左:山頂にて北信五岳をバックに)(写真右:上の平ゲレンデにて北アルプスをバックに)山頂付近のやまびこゲレンデは本当に雪質がよく中級者の我々にはもってこいの中斜面が広がっていましたが、普段ゆるゆるの雪質で滑るのに慣れているユウが硬い雪質にすこし手こずってか(贅沢な話ですが)、また、昼近くになってきてお腹がすいてきたのかヘタレスキーヤーになり出したので、上の平の下の方まで降りて昼食にしました。昼食休憩のちに幸いユウのご機嫌が直ったので、上の平ゲンレンデのスノーパークで遊ぶことに。とりあえずウェーブ。それをクリアした後は調子にのって小キッカー。そしてボックスに挑戦しました(^^)/。ボックスは少し高さがあって降りるとき少々こわいのと上でこけると雪の上と違って硬くむちゃくちゃ痛いので何があっても耐えて転倒しないように子ども達に伝えました。で、結果はりょうは一本目なんなくクリア。それを見たりょうちちも挑戦せざるを得なくなりおそるおそる挑戦。あまりおそるおそる挑戦したので途中で板が止まって降りるときにテールが引っかかってしまい転倒。ユウは一本目不参加。二本目はりょうちちは見事に成功。りょうは降りるときにジャンプしなかったため着地で失敗。ユウは乗るときに足を開いてしまい、左足を落としてしまい右足だけで滑るアクロバティックな態勢に。その瞬間、「やばいこけたら泣くほど痛いぞ!」と思いましたが6m程を耐え抜き見事に着地まで成功でした(^^)/。もちろん、拍手喝采です。そして、3本目は3人とも難なく成功!! めっちゃ楽しかったです(^^)/。
野沢温泉2日目はスキーをせずにスノーシュートレッキング・ツアーに参加しました。
今回、スノーシューをやってみようと思ったのは、一つは、スキーをしないふーに山頂付近からの風景を是非見て欲しかったのとスノースポーツの楽しさを感じて欲しかったからです。もう一つは、アルベールビル・リレハメル両オリンピック金メダリストの荻原健司さんが長野オリンピックの前年に「これからの一年は白馬(長野五輪のジャンプ+クロスカントリーの会場)に移住して、トレーニングはもちろん、山菜摘みなどをしながらそこの空気と一体となってそのときを迎えたい。」というようなことをおっしゃっていたのに感動したからでした。学生時代、クロスカントリースキー(以後XCスキー)をやってましたが、下手ながらレーシングスキーだったので決められたトレーニングコースをひたすら必死で廻るだけでした。しかし、そもそもXCスキーとはスキーを履いて野山を廻るスキーのことで、レースをやめたら一度はXCのツアースキーをやって冬の野山を感じてみたいと考えていました。で、調べてみると関西でXCスキーの道具を揃えるのはなかなか大変やけど、スノーシューツアーは結構いろんなところでレンタル付きツアーをやっているので手軽に挑戦できそうな気がしたからです。それに、将来子どもが大きくなって一緒にスキーに行ってくれなくなったときに、ふーと二人でスノーシューができたら楽しいだろうと・・・・・。 7:30に朝食をすませ、8:00に宿を出発。当初、無料巡回バスで集合場所のゴンドラ乗り場まで行く予定でしたが、宿のご主人が気を遣ってくださりゴンドラ駅まで送ってくれはりました。受付をすませ、ゴンドラに乗り山頂へ。第一日目より少し雲がかかっていて絶好の晴天とはなりませんでしたが、それでもなかなかの景色でした。ゴンドラの上の平ステーションから途中駅の湯の峰ステーションまで直線にして約2kmを歩いて下るコース。そのゲレンデ横の雑木林を休憩を挟んで約3時間半歩きました。
基本下りのコースでしたのでスキーならば10分ぐらい初心者でも20分ぐらいで降りれる距離ですが、思ってたよりもしんどかったですね。でも、カモシカの足あとや熊のツメあとがあり、ゲンレンデのすぐ横に特別天然記念物がいることがちょっとした感動でした。カエデの蜜をなめたり木の実(宿り木など)やブナの実を頂いたりしました。荻原健司さんの「そこの空気と一体となる」という境地には程遠いでしょうが、上の平の空気は存分に感じることができました。(^_^)v。ふーも子ども達も疲れたと言いながら満足してくれたようです。
昼過ぎに下山し外湯を頂いて、野沢を後にしました。帰りはその日のうちに京都に帰り着きたかったので、長野まで急行バスをその後は「ワイドビューしなの」と新幹線「のぞみ」を乗り継いで帰ってきました。
宿から急行バスの停留所までは徒歩2分ほどなのですが、もし混んでて乗れなかったり座れなかったりしたら大変やしと、遠くの始発停留所まで宿の車で送って頂きました。本当にありがとうございました<(_ _)>。
そういえば宿を発つ直前、奥さんが「XXX(りょうちちの苗字)君、いいものをみせたげるわ。」と一状の年賀状を見せてくれました。それは、本当に寝食を共にした居候/バイト仲間からのものでした。連絡先をメモらせて貰いました。16年間音無沙汰でしたが、今度手紙を出してみようと思います。彼とは一度、野沢でプチ同窓会をしてみたいですね。
この2日間本当に良い天気で楽しかったです。丸金屋さんのご主人ご夫妻だけでなく、まるで16年ぶりの野沢温泉までもが最高の天気で私を歓迎してくれたかのようでした。今までいろんな所に行きましたが、こんなに楽しく幸せを感じた旅行はなかったです。今度は16年という月日を開けず、必ずまた訪れたいと思っています。丸金屋さんのご夫妻、そして一人想い出に浸って楽しんでいるりょうちちに遠くまでつき合ってくれた我が家族に本当に感謝したいです。
奥さんは「夏来ても楽しいよ。」とおっしゃってたので、自転車を持っていって宿の前の道から上の平の奥志賀林道までを上ってみる(約17km 平均勾配約6%)とかMTBを購入して持っていって上の平ゲレンデや上の平のキャンプ場でダウンヒルやシクロクロスをして遊ぶのも楽しいかも、なんて考えてます。