道楽人日乗

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本読むのが遅く、すぐ忘れてしまうので。

映画「メッセージ」

2017-05-22 19:44:21 | 映画感想
「円盤がいっぱい降りてくるの」
「へえ」
「で、乗ってるのがタコ!…いやイカかな」
「火星人?」
「さあね。で、会ったらいきなり墨ぶっかけてくるわけ」
「イカスミかい」
「真っ黒けよ! で、イカと話してたお姉ちゃんラリっちゃうの」
「?」
「見える、明日がみえるって具合」
「そいつはいけないねえお医者に行かないと」


ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。


地球の12カ所に降り立った、漆黒の三日月型円盤?異星からの存在と人類の邂逅は唐突に成し遂げられた。
娘の死の記憶に囚われている言語学者ルイーズは、米政府からスカウトされて異星人との意思疎通に挑む。

雲の切れ目、広々とした草原に屹立していたのは、宇宙船というより未知の自然現象の現れのような、黒い存在。まず、この映像に息をのんだ。
あの原作(テッド・チャンの短編「あなたの人生の物語」)がこんな風に映画になるのかと感嘆…。難解なテーマが巧みに映像化されている。素晴らしいビジュアルデザインと、音響、音楽。異質な存在への畏怖が喚起される一方、破滅へ突き進む愚かな人々の通俗サスペンスもある。傑作だ。理想的な映画化と確信する。今までに見たSF映画の五指に入るかも…。

映画原題の「arrival」は、到着・到着した人、の他に、出生・新生児の意味もあるようだ。まさにこのお話の題名としてふさわしい。

……が、家路を辿る間に気になる部分がわいてきた。噛みしめる様に味わう映画なのかもしれない。

原作テッド・チャンの「あなたの人生の物語」は以前一度読んだが、記憶が曖昧なので、再読しようと本棚を探したのだけれど埋もれて見つからなかった。以下、映画を見た感想と疑問として書くが、原作についてふれる内容には誤解があるかもしれない。ご容赦。



以下、ネタバレです。

感想と言うか疑問提起

言語学者ルイーズは、異星人の言語(書き文字)を分析するうちに、彼等の独特の思考様式に影響され、時間という認識の形式が変貌してゆく。
ヘプタポットと呼ばれる異星人は、現在・過去・未来を同時に認識する。未来が見えてしまう、というよりも、既に選択された過去と同様に、未来もかくある姿が鳥観できる、そういう感じだろうか。

将軍の「携帯番号」を知らなかったルイーズが、未来を見透かして将軍の番号を本人から聞きとり、その情報で現在を変えるという部分はいわば典型的なタイムパラドクスだ。すでに知識を得たのだから未来の場面で番号を初めて聞いたルイーズは存在しないことになる。世界が分かたれたとするなら異星人達の3000年先の未来の予定もどんどんズレていく筈だ。
ずっとここが気になっていたが、これは時間言語習得過程であったルイーズに、直線的時間認識が併存していた為、未熟ゆえ現実認識上にうまれた齟齬なんだろうと理解した。ルイーズが時間言語に習熟するのは、ヘプタポット言語についての彼女の著作完成のあたりだろうか。

なんだかむずかしいけれど、この物語の本当の驚異はこの先にある

全ての未来が現在過去と共にあり、すでに決まっている未来の示す振り付けをその通りになぞるだけとしたら、人間の意思というものは存在するのだろうか。どうなるかわからない未来にむけて、その都度選択を重ねていくことにこそ、人間の意思がある。未来が現在と同じようにそこに在るのなら、自由な選択という余地はない。決定論的な世界の中、自由意志は存在するのか?自由意志が無いとしたら「意識」は存在するのだろうか。意識が無ければ、もしかしたら個人という区別も無いのではないか?

時間概念が無いという設定はここまでの衝撃的な内容を含んでいる?のだ。

それにしても異種言語習得から、世界観に変化をきたすくらいならSFの設定としてまだわかるとしても、ア・プリオリな悟性の時間カテゴリーまで変わるのか?カント先生もビックリだ。画面で見る限りでは、タブレットで解析済みの「単語」を逐次並べているだけみたいだからなおさら不思議だ。

ルイーズが異星人の言語習得により獲得した能力、鳥観的に見わたした未来と過去が共にあり、決められた未来に対して何も変更が加えられないのだとしたら、意思は幻想にすぎないことになる。中華将軍の携帯番号を知り未来を変えたと見えるのも、それも大きな流れの内に過ぎない、このお話はそう語っているように思える。

僕は決定論の世界に生きるということは、本能として生きることと同義ではと思える。動物や植物が大自然のメカニズムを構成するように。
冒頭でルイーズが「彼等が本能で動くのか意思を持つのか」をまず突き止めなくてはと言っていた、それが自分自身に降りかかるわけだ。本能なのか意思なのかは、混沌としてもうわからない。

それは伊藤計劃が小説「ハーモニー」で提起された意識を持たない人間、それとほぼ同じことではないかとも思う。「神々の沈黙」という書籍でも、意識を持たない人間が考察されている。

これだけでも驚異なのだが、さらに複雑な問題をはらんでいる。

映画を見ればわかるとおり異星人の発声・音声言語は、まねできない筈だから人間にとって時間言語はあくまでも書き文字であることになる。異星人の発話が出来ないのにルイーズはどうやって思考したのだろうか。映像文字で考えたのか?

生まれてきた赤ちゃんには時間言語というOSをインプットしなければならない。つまり後天的習得(発声可能な普通言語習得の後?)となる筈。すると習得できる人と出来ない人が生まれるのではないだろうか。いままで考えてきたことから推測できるように、感情のありかたも根本的に変わってしまうのではないかと思われる。
ルイーズが感じる娘の死に対する反応は、我々の知る悲しみと同じとは異なっているのではないだろうか。ルイーズが離婚した原因はそんなところにあるのだろうけれども、そもそも時間言語未習得者とはコミュニケーションが成立しないように思える。

ルイーズの娘の死に「限られた命を生きる」という運命的なものを感じて涙する人も多いかも知れない。それはそれでいいのだけれど、実は今まで書いてきたようなやっかいな問題を秘めているようだ。


この物語世界で、AIは何をしていたのだろうか。映画では注意深く避けられていた問題だ。だいたい、AIにおける時間概念って何だ?それを考え出すと寝られなくなっちゃう、というよりぐっすり寝てしまう。

いろいろ書いたが、上記の疑問について、もしかしたら原作では回答があたえられていて、僕が忘れているだけなのかもしれない。そうだとしたら赤っ恥だがどうかご容赦を。
映画は映像面の驚異をふんだんに味わえ、過去のSF映画への言及もあり楽しかった。黒い物体はモノリスを連想させるし、日本に降り立った場所として「ホッカイドー」という声を聞くと、映画「コンタクト」を連想してしまう。「異星からの存在が現れ、人類を次のステージに導いた」というプロット自体はファーストコンタクトSFとしては王道中の王道、それをここまで驚異に満ちた映画に仕立てたのは、やっぱり傑作なのだと思う。



もう一つ気になったけど、この時代、南シナ海あたりの海は、中国の海ということになっているのか?


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