行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-6  矢板~黒羽

2007年11月09日 | 奥の細道
2006年10月10日(火) 晴れ
自宅を5時に出て矢板へ8:35到着。駅前で自転車を組み立て、朝食を調達していざ出発だ。駅前を北に進み右折し踏切を越え、中北の信号からR52へ入り、しばらくR4と並進する。新幹線のガード下(沢の信号)を直進すると沢村城跡や観音寺がある沢村に入るが、沢の信号を左折し北東に進むと広々とした田圃の中に箒川が流れている。
橋のたもとで朝食をとる。奥の細道の「小さき者ふたり、馬の跡慕いて走る。ひとりは小姫にて、名をかさねといふ。聞きなれぬ名のやさしければ、 かさねとは 八重撫子の 名なるべし  曽良 ---」とある芭蕉一向の旅姿を浮き彫りにした「かさね橋」のプレートが橋石にはめ込んである。
その後直線的な道を大田原に向かって進むと、チャボヒバを塔状に刈り込んだ珍しい形の植栽の家があちこちに見られる。
浅香辺で道行くご婦人に「金燈籠へ行きますか?」と問えば「今は用事があるので、金燈籠へは後で行きます」との返事だ。“この道を行けば”と言う必要な言葉を省略した結果がこれだ---大いに反省---参った参った。
R461へ合流し金燈籠の交差点を過ぎ、蛇尾川を渡り、新屋敷のバス停辺りへ来た時に前輪がパンクだ。チューブの傷は縁石等に乗り上げた際に出来る所謂snake biteだ(蛇尾橋で蛇の尾でも踏みつけて噛まれたか!!!)。予備チューブに交換し40分のタイムロスで再出発だ。
黒羽街道を進むと道の駅「那須与一の郷」があり、その裏側の森が那須神社だ。
この神社は源平の争乱・八島の合戦で那須与一が「南無八幡大菩薩、別しては我が国の神明、-----願わくは、あの扇の真中射させてたばせたまえ。----」と祈願した金丸八幡宮で、結果は啖呵売などでも語られる「パッと開いた五本骨、朝日に(本当は夕日だ)に輝く軍扇は、那須与一が扇的、狙い違わず命中し、ひらひら落ち行く波の上----」と満願成就した神社だそうだ。
東に進み黒羽の街に入り、大豆田T字路を左折し那珂橋を渡る。これより雲厳寺に向かうが、橋の袂の食堂で昼食をとると驚くほど大きなカツ丼が出て来た。
北に向い前田T字路を右折し、あとは道なりに路肩の狭い道を車に注意しながら、長く緩い登り坂を唐松峠まで進む。峠を越えると下り坂で須佐木の集落に入るが、東の山並みは日本武尊が「これより先は闇ぞ」と言った事から名付けられたと云う八溝山地だ。集落を過ぎてR321へ入るとまもなく雲巌寺(写真)に到着する。
大きな木々の間を流れる清流を、朱塗の橋で渡り、豪壮な山門をくぐると直線的な伽藍が目に入る。こんな山里にかくも立派な寺が出来たものだと感心する。
   あかね舞う 雲なき空の 雲巌寺    平兵衛
黒羽の街中に戻り、下高橋より西への坂道を登ると、この地方を支配した大関氏の菩提寺の大雄寺がある。本堂や回廊が珍しく草葺き屋根で大きな寺だ。隣には芭蕉公園や芭蕉の道、芭蕉の館があり芭蕉ずくめだ。そして要害の黒羽城址へと続く。
その後街中を抜け、明日の道順確認を兼ねて光明寺跡を訪ねる。奥の細道の「修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。夏山に 足駄を拝む 門出かな」とある寺は影もなく芭蕉句碑が木立の中にあるだけだ。
足利銀行黒羽支店の古めかしい建物を懐かしく眺めながら宿に着く。早々パンクの修理に取り掛かった。
今日の走行距離 53km


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