ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

A14.ちび猫の見た『知識世界のお話し』の公開(2)

2015-03-21 | 1000年“先”の現代のお話し
第A0014号


*****(制作終了)*****


新着の紹介はこちらから


A11.ちび猫の目指す『知識世界のお話』の公開からの続きです。


A15.ちび猫の目指す『知識世界のお話』の公開(3)へ続く。








・平成31年度版







*道路をゆっくり走るのに、・・・(【波動エンジン】の認識変更)。【4月21日・日】



1000年“後ろ”の時代までは。個々の物事や人間が{各個で}個別に在るというコト

(物事が一般化されていなくて、周知されないで在るコトで。人が物事に於いて{よく考えないで}端に避けてしまって、{無責任に}先を譲ってしまうコト:『歯車動作の連動連鎖』が機能していないコトで。人々が『受け』を受けなくて、『受け』にならない『送り』を送っているコト:『時間認識に於ける前後の反転』が機能していないコトで。人間が『ブロック積みの世界観』を見失い、土台形成が行われなくて、『パラダイム』が作られず、『悪の自然誌』の実験が行えないコト)

が、{暴走しやすい}“魔法”世界での{“魔法”を使わない人間にとっての}危機的状態

(『宇宙戦艦ヤマト』に於いての、{宇宙人から提供された}【波動エンジン】から『波動エネルギー』が{『受け』が無いのに『送り』の動作(動力)が無尽蔵に作り出される“魔法”のように}作り出されていて、人間の科学体系(歯車世界)に属していないのに、人間が{一般化して、周知される}技術としての利用を{“魔法”使いが、“魔法”を駆使しているように}見切り発車してしまうコトによる、{『宇宙戦艦ヤマト』では幸運であっただけの}可能性以上の危険性)

とされていて。

{“魔法”を使わない人間の、“魔法”世界での不自由な状態での}不自由さによる『反動』や『憂さ晴らし』が必然で必要だからと、その危機の{『“魔女”裁判』や『“魔女”狩り』によるような}過激な手段での解消がことさらに肯定され、各種の『ハラスメント』や『テロ』や『迫害』が{無自覚な正義漢たちによって}頻発していたのです。



そして1000年“後ろ”の時代からは。自分としては、『動物園』や『水族館』や『植物園』へ観賞に来ているのであり、食料品市場や食堂・レストランなどへ来ている訳ではなく、『エサ』にするつもりのないモノの観賞が目的なのであれば、

「目の前のモノが食べられないからといって、腹を立ててどうするのです。撫でたりするコトや、香りを楽しむコトだけで満足していても、別に可笑しくないハズですよね」

とか、考えたりするようになり。

『エサ(その引換券であるお金)』が配られる『サル山』や『海洋牧場』のような人社会(小全体:魔法を使わない人の集まり)で、得られる『エサ(お金)』の量や質をめぐる{その向上の為の}順番争いをみんながしていても、自分としては『エサ(お金)』以外のモノの観賞(撫でたり、香りを楽しんだりするコト)をする“おバカ(アホウ)”なコトが目的であれば、

「自分が端へ避けて、先を譲っているからといって、それを自慢してどうするのです。誰かを誘うコトもなく、一人で楽しんでいても、別に可笑しくないハズですよね」

とか、考えたりするようになったのです。



そしてその1000年“前(先)”の今では。【波動エンジン】の個々のバリエーションのような《社会経済の発展観》や、《科学技術の進歩観》を{各個が個別に}持っていて、誰も一般化など求めず、周知される事など望んではいなくて。

{一般化され、周知されている}最大公約数的な『社会経済の発展や科学技術の進歩』を用いた産業から生み出される既製品が、みんなで独自にアレンジされ、各自の様々な用途に用いられながら。

色々な【波動エンジン】が{各個が個別に}作られていくような、【個々の文明】の構築が、{広がりながら}進んでいるのです。



しかしそんな今であっても。『エサ(お金)』以外のモノの観賞(撫でたり、香りを楽しんだりするコト)をする“おバカ(アホウ)”で、【個々の文明】が特徴的な構成員によって形成される【更新する無限に多様な大全体:魔法世界の魔法の本質】の概念が拒絶されてしまい、

{厳選された『エサ(お金)』が、順番から選ばれた『エサ配り』により順番で配られて、{同じ様に魔法を使わない}人が集まった事により、そこに壁が在って囲われているかのようになった、みんなが一様に行う一律なモノとしての特定のパラダイムである}

『サル山』や『海洋牧場』と同じ{魔法が拒絶された}構造の人社会が復活してしまえば、1000年“後ろ”の時代まで逆行してしまうので。

{『受け』を必要なものとして、そんな『受け』となるように『送り』をする}『歯車動作の連動連鎖』や{土台の上への積み上げをパラダイムでの進歩として、その交換をパラダイム変換とする}『ブロック積みの世界観』や{人間にパラダイム論(枠の中に閉じこもって、破綻へと至る)をスリ込ませた}『時間認識に於ける前後の反転』や{人間や物事を『悪の自然誌』の実験台にしてしまっての、身勝手な成果を、魔法世界での魔法を使わない人間にとっての切り札として表彰している}『ノーベル賞(ノーベル財団)』を危険のチェックシートにして、注意を怠らないのです。







*道路をゆっくり走るのに、・・・(3)。【4月13日・土】



1000年“後ろ”の時代までは。人の世が、『海洋牧場』や『サル山』の様な

{複数のエサ撒き係(神官や僧侶・王侯貴族・資本家・革命指導者など)が{参加者たちの妥協の産物として成り立っていて、様々な機会に入れ替わりながら}機能するエサ場に出来た、{エサ場が神聖化されたり、私物化されたり、自由競争化されたり、共有化されたり、共産化されたりする事(【更新する無限に多様な大全体】に対しての、《単独の構成員の更新機能を切り崩す【部分解禁】》を破綻させては繰り返すコト)による}様々な『争い』や『不正行為』を繰り返しながらも{壁に阻まれたかのようにノロノロしていて、『社会経済の発展や科学技術の進歩』を不自然に駆使して人間に{無理やり}付けた順位を{強引に}入れ替える事しか出来ず、『反動』や『憂さ晴らし』を必要としながら}誰もエサ場から離れない、同じ様な{特定の}欲求(スリ込まれた正義観:無自覚な欲望)で集まったモノたちの{『ブロック積み』や『歯車動作の連動連鎖』を形成していて、時間認識に於ける前後が反転した先細りの世界観(未来観)に違和感を抱かず、誰もが無自覚に『悪の自然誌』の実験を形成して、パラダイム変換が必要になる破綻へと突き進んでいる}特定の群れの}

形態をなしていて。 



そして1000年“後ろ”の時代からは。『海洋牧場』や『サル山』に出来た特定の群れの様な人の世で、{同じ様にノロノロする誰もが『反動』や『憂さ晴らし』を必要としていて、先細りする世界観に於いてパラダイム変換が必要になっている事の異常さに気付き}人が自ら進んで{道路をゆっくり走る“アホウ”な者となって}エサ場の端に避け始めて。



そしてその1000年“前(先)”の今では。『海洋牧場』や『サル山』に出来た特定の群れの様であった人の世に{道路をゆっくり走る“アホウ”な者のように}背を向け、{エサ撒き係の特典にも誘惑されず}エサ(エサ場)を他に譲って、人々が様々な欲求で{大海や野山に向かうように}個別に{『社会経済の発展や科学技術の進歩』が同じモノを作る{不自然な}産業の為ではなく、個々が様々なコトをする上で{【更新する無限に多様な大全体】に適(カナ)って}各個に利用されて}生きているのです。



しかしそんな今であっても。たんにエサ場からハミ出して『アブレ』てしまった

{既存の群れから警戒されているのを「真理の側に在る者は迫害される」と言って、エサ撒き係やエサ場を奪還するスキを窺(ウカガ)い、それが無理だとなれば『海洋牧場』や『サル山』そのものの破壊も辞さない}

アブレ者と、『アブレ』ているだけの

{『海洋牧場』や『サル山』を離れて大海や野山に向かう為の様に、個別な『社会経済の発展や科学技術の進歩』の活用をしているだけであり。道路をゆっくり走るのに端へ避けているだけで、順位など気にせずに先を譲っているだけである}

“アホウ”な者との区別が付かず、庶民への強制(特定の群れへの恭順)を正当化した{『海洋牧場』や『サル山』を『生け簀』や『檻』の様に考えて、人類の完全管理を理想とする、ナチズムの様な}社会思想が{広く人々に受け入れられてしまって}台頭してくれば、簡単に1000年“後ろ”の時代へと戻ってしまうのです。







*道路をゆっくり走るのに、・・・(2-3)。【3月31日・日】

1000年“後ろ”の時代までは。「道路をゆっくり走るにしても、自分が先頭に居なくてはならない。そうでないなら、そんな世界などいらない」とさえ思っていた。それは「自分が{普遍的なモノを『受け』として受けて、普遍的なモノを『送り』として送っている}普通の人間の代表で、《自分がダメだ》となると、他の人間たちも《みんなダメだ》となってしまうから」と思っていた為。その思いは《歯車動作の連動連鎖》の世界観の上に成り立っていた。

そして1000年“後ろ”の時代からは。『受け』は受け取らずに、『送り』の動作だけが出来て、{一人で避けて}ゆっくりと走れればそれで良い(大満足で、何の不満もない)と想うようになれた。

そしてその1000年“前(先)”の今では。{自分が『受け』を受け取らないだけで}他で『受け』が連鎖していても邪魔をせず、そんな『他のモノ』たちや人たちに{感謝を込め、敬意を示して}先を譲っている。

しかしそんな今であっても。「“大義”があって『ゆっくり走る』のであれば、その“大義”は相手の『受け』となるように『送る』べきでありまして、『ゆっくり走る』のに一人で避けたり、先を譲ったりして良い訳がないのです」と思ってしまうならば、1000年“後ろ”の時代までに逆戻りである。







*道路をゆっくり走るのに、・・・(2-2)。【3月30日・土】

1000年後ろの時代までは。誰かの得が誰かの損で賄(マカナ)えられてしまうという{限定された小全体で、アブレ者まで大量に生み出されてしまった}状況下で、投機的社会が巨大構築され、誰もが自分(自分たち)こそが得を手にするのだとして盲目的に《特定の『受け』を受けて、その連動連鎖としての『送り』を歯車動作する事》に{自分の中の『神』を見失い、それが我と我々の存在意義なのだとして}狂奔してしまい、世界の進行(【更新する無限に多様な大全体】での多様な更新)の道を塞ぐように世界中で幾(イク)つもの《歯車動作の連動連鎖》どうしでスクラム(幾つもの指示命令系統(宗教や国家や民族)のぶつかり合い)が組まれ、道を塞がれた事による世界の渋滞(【部分解禁】:個々の消耗による【非多様な更新】:破綻がセットになった近代的な『発展と進歩』)に対して{『他のモノ(大全体の構成員)』たちや人類(誰もが大全体の構成員)などの}様々なトコロから『反動』や『憂さ晴らし』が{悪の自然誌での実験と同じように}噴出し、それを押さえる戦いが『社会経済の発展と科学技術の進歩』の名目で行われていたのだが、{特定のパラダイムが限界にきている}その状況に対して暴走している(道を間違えている)と言って{反核運動やテロなどのように}足を引っ張るコトが{パラダイム変換への『誘爆』だとして}持て囃されてしまって、人の世は大混乱に陥(オチイ)ってしまっていたのです。

そして1000年後ろの時代からは。『社会経済の発展と科学技術の進歩』は暴走しているように見えて(思えて)、《歯車動作の連動連鎖》どうしでスクラムを組んでしまう人類というのは思った以上に《道路をゆっくり走っている》もの(道を塞いでいるもの)なので、もっと安心して《道路をゆっくり走る》為に、人類はもっともっと道の端に避(ヨ)けて走るベキなのだと想い始めたのです。

そしてその1000年“前(先)”の今では。{『他のモノ(大全体の構成員)』たちや人類(誰もが大全体の構成員)などの}様々なモノたちに先を譲ってから、自分(自分たち)は《道路をゆっくり走ればいい》と想っているのです。

しかしそんな今であっても。1000年後ろの時代までが特別であったという訳ではないものですから、世界の進行(【更新する無限に多様な大全体】での多様な更新)の道を{人社会が}塞いでいながら、『社会経済の発展と科学技術の進歩』を{人社会が}暴走させていると思って{避けもせず譲りもせずに、人社会をゆっくり走らせようと、大義のゴリ押しをして}しまえば、人の世は直ぐにでも{世界の進行を阻(ハバ)むように}大混乱となり、世界は{道を塞がれて}大渋滞に陥ってしまうのです。







*道路をゆっくり走るのに、・・・(2)。【3月25日・月】

1000年後ろまでは。「自分・社会・人間・人類を無駄にロスさせたくないから」と人は言って、「『受け』となるのに有効な『送り』と、その繰り返し」という《歯車動作の連動連鎖》に一生懸命になり、みんなで{進行がゆっくりでハタ迷惑な上に、邪魔モノには{粛清(シュクセイ)をするなど}容赦の無い}スクラム(パラダイム論で形成された文明社会)を組んでいたのだが。それが進行の足止めとなって【大全体】が渋滞を起こし、その煽りを食って先行できなかった『他のモノ』たちが『反動』や『憂さ晴らし』に走ってしまい、そんな『他のモノ』たちとの団体戦に於いて人は{人類が勝ち残る為の、『発展や進歩』が駆使された}殲滅作戦(センメツサクセン)を仕掛け、そしてその戦果(悪の自然誌での実験結果のような醜態)に対し『発展や進歩』という{一方的な}評価をして『ノーベル賞』が贈られていて、【大全体】世界の進行の{スクラムを先頭にした}大渋滞(文明の破綻)が{当然のように繰り返され、パラダイム変換を必要としながら}惹(ヒ)き起こされていたのです。

そして1000年後ろからは。そんな{殲滅作戦が火に油を注いだ}大渋滞(『他のモノ』たちによる『反動』や『憂さ晴らし』による文明の破綻)に目を向け、{進歩の暴走という正当化方便に惑わされずに}よく考え、そして{道路をゆっくり走るにしても、道の真ん中を占領したりしないで}避(ヨ)けるコトが始まって、スクラムの形成(その維持)の為の{先行する女性や異教徒や外国などへの}粛清(イジメやハラスメントや、迫害やテロなど)への自己反省が始まったのです。

そしてその1000年先の今では。{道路をゆっくり走る時でも}誰かの足止めをしないように{道の真ん中を占領したりせず}避けていて、そして『他のモノ』たちの先行について行ける{粛清の対象であった}人たち(女性や異教徒や外国など)に先を譲っているのです。

しかしそんな今でも。{進歩の暴走という正当化方便に惑わされて}文明を突っ走らせてはダメだと考えてしまい、先行する{女性や異教徒や外国などの}人たちの足を引っ張って(粛清を始めて)、スクラムを形成してしまっては(道の真ん中を占領してしまっては)、【大全体】世界の進行の大渋滞の再発(再燃)は免(マヌガ)れないのです。







*道路をゆっくり走るのに、・・・。【3月23日・土】


1000年後ろまでは。『神』とは、誰に対しても一律に{加護をもたらして}接する普遍的存在(普遍に対して何の疑問も持てない縛られた状況下での認識)であり、誰もが一様に{怖れ敬って}接するべき普遍的存在でありまして、人(社会)であれば歯車のように『受け』と『送り』を繰り返す(繰り返されていく)のは{普遍的に}当然であるという事から、そんな《歯車動作の連動連鎖》の人(社会)での形成が教義の主要テーマとなっている事に

{『有用性』や『効率性』や『発展と進歩』や『平和と繁栄』などの為とする{指示命令系統でしかなくて、宇宙戦艦ヤマトの{宇宙人から提供された}波動エンジンを例えに{地球上の鉱物を人間が利用する}核エネルギーを語るように不自然な}『倫理道徳』や『常識・正論』や『先人の知恵』や『申し合わせされた世界基準』などからの『受け』に対して『送り』が“誠実”に行われるものと決め付け、『反動』や『憂さ晴らし』などの『送り』の歪みを『悪魔の誘惑』で片づけてしまいながら}

何の問題(疑問)が在るのかと譲らない、{そんな『神』を普遍的に信仰する}普遍的宗教が世界(人間の未来)を限定的(小全体:土台の上への積み上げ:後(アト)へと制限が増え続ける時間認識)に閉ざして{限られた分を奪い合う者たちとそこからのアブレ者を生み出す投機的社会経済が極まって}しまっていたのです。


1000年後ろからは。『神』とは、誰にとっても個別に{期待をして}接してもらえる{個々の}存在(自由な立場で生じる認識)であり、誰もが個別に{その期待に応(コタ)えて}接すればいい{個々の}存在でありまして、人(社会)に於いて{人為的に生じる『受け』を無視して}『送り』が自発的(『神』の個別な期待に対して個々に応える)に行われるのは当然であるという事から、人(社会)が自分(個人)を《特別なモノ》だと譲らず、{普遍的宗教による『神』の独占を《『神』は死んだ》と表現した【ニーチェ】に通じる}神秘主義的宗教という世界の一部分(ジプシーやアメリカインディアンなど)からのスタートでありながらも、時間の進行方向を前と認識したコトにより物事の可能性を

{人為的な実験が繰り返される『悪の自然誌』での破綻から{積み上げの為の土台を交換して}回復する『パラダイム変換』というようなモノを必要としないで}

広げて、人(社会)が【更新する無限に多様な大全体】を自覚しての『他のモノ』たちへの

{限られた『お金』や『資源』や『土地』をやり取りするだけの{『儲ける者』と『負担する者』と『アブレる者』を生み出してしまう}投機的社会経済では起こり得なかった}

投資が自主的に始まったのです。


1000年先の今では。普遍的宗教と神秘主義的宗教とには、『道路をゆっくり走るのに、渋滞を作ってしまいながらも、{それが普遍だからと}それで“満足”してゆっくり走る』のと、『道路をゆっくり走るのに、後続車に先を譲りながらも、{それが自分らしいと}それで“安心”してゆっくり走る』のとの違いが在ると、世界中で周知されるに至っているのです。

しかしそれでも。≪『ゆっくり走る』という事に“大義”があるなら、渋滞に遠慮する必要はないし、渋滞に文句をつけてくる者があるならその排除は必要不可欠であるので、後続車に先を譲るという“妥協”は問題の先送り(自己満足)でしかない≫という論理を振りかざして、《他者の“安心”を妨害していながら「みんなに“満足”を振り分けているのだ」と主張する》というゴリ押しをする者が根絶される事はないのです。







*『神は死んだ』などと言われない為に。【3月4日・月】

1000年“前(先)”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪歯車の様な“作用”の受け送りによる消耗を少なくする為に≫

1000年“後ろ(後方)”の時代からは。{長らく勘違いしていた為に、これまでのこのブログに於いて、核心部分での明瞭さがどうしても欠けてしまっていましたが、先日より新な境地に至り、ここより大きく修正する事になった為もあり}哲学者の【ニーチェ】が『神は死んだ』と言った事から始まって

「長年のキリスト教会(唯一神教の原則であるハズの「偶像崇拝の禁止」は守らず)による『神秘主義』の廃絶活動(唯一神教の原則を理由にした過剰反応をよく起こす)により、

人々の精神世界に於いて{個々の人間が『送り出す“作用”』を個別に{効率や理性を乗り越えてしまう“パニック”の後ろ盾(ウシロダテ)に神様がなってくれて}享受させてもらえる《人間が各個に、秘かに“作用”を受ける存在》として}現在進行形で活動する存在としての『神』が死んでしまい、

{教会や聖書に{以前のモノである}『神』の“作用”の{以後のモノである}痕跡(コンセキ)が残されているとして}『神』の“作用”の痕跡(以後のモノ)を見本に『神』の“作用”の人間世界での復元(人々が受ける“作用(以前のモノ)”の人為的送り出し)がなされ、

{それ以前の“作用”を受けて、それ以後へとその“作用”が送り出され、それが“作用”を消費して連鎖する}『効率的に理性的に“作用”の受け送りをする歯車が効果的に合理的に連なって回るコトで“作用”を上手に消費させる事を優先する為に{歯車の多様な動きからの様々な送り出しである}物事がどうしても{“作用”の効率の為に内容が一律になり、働きも一様になってしまって、さらには“作用”の進行が先細りになってしまう“土台(枠組・扉)”が形成されて}限定的であって消耗もしていってしまう世界』が人為的に生み出されて、

人々はその世界(世界観の範疇)で手に入れられて役立てられるアイテムのように{受け送りされる“作用”である}『社会や経済の発展』や『科学技術の進歩』や『倫理道徳』や『常識・正論』を{『お利口さ』や『甘え』が理性的に用いられ、合理的に運用されて}上手に利用しているという事で{誰も何も疑わず}創造的活動をしている気になってしまっているものだから、

{「未来は自由の新天地」とは言いつつも誰も自分からは{リスクを自ら背負う事になる}状況対応(自分自身に於ける効率性や理性を無視し、周囲を巻き込んだ効果や合理性も無視して、その場その時の各個に個別な“作用”を様々に送り出すコト)などはしないものだから}人の世は{『悪の自然誌』にある『人為的な実験・観察』のように}いつも破綻に向かい、

{科学に於いて{特殊論(『偶然の産物』か『宇宙人からの贈り物』であるかのような、“扉(枠組・土台)”を一時的に解放する科学観)で考えてしまって}「使うか使わないかや、どう使うかの判断は人間の手にあり、効率の良いように使えば良い」などと{科学を一般論(【更新する無限に多様な大全体】として認識された、“枠組(扉・土台)”を人間の精神世界内での幻想だと判断する科学観)で考える事(神様が後ろ盾(ウシロダテ)となる神秘主義の一種)の深い意義(「冷静な判断よりも“パニック”で判断されたコトの方が多種多様であり{多重構造の形成となる}状況対応として相応(フサワ)しい」という考え方に、自分の理性や周囲との合理性を無視するリスクに左右されない為の“パニック”の後ろ盾に神様がなってくれている神秘主義から至る事)を無視して}理性を働かせ、科学でも「実験(作用)の始めを前と言われ、実験(作用)の先を後と{“作用”を消耗させるだけの{破綻が必然の}歯車社会と同じように}言われている」というように{主体性が無い為に一律に状況対応をせず、見た目の効果ばかりが一様に追求される}合理性の重視が行われるものだから}人の営みは{『パラダイム論』にある『パラダイム変換』のように}いつまでも破綻を繰り返していて、

{人為的に“作用”が受け送りされていて、その繰り返しによって“作用”が消耗されていく、{『神』が死んだ}歯車的世界である事により}限られた上に先細りする社会や経済の中では《権益者が減り、利権の負担者も減り、溢れ者ばかりが増えていく》という現象が{『パラダイム論』の『パラダイム変換』を待望する、『悪の自然誌』の『人為的な実験・観察』と同様に}必然的に進行してしまう。」

という人間世界の真相究明に人々がようやく迫り。


それから、1000年“前(先)”となった今では。誰もが、 理性に打ち勝つ為の“パニック”の後ろ盾を『神』になってもらって、{多重構造の形成となる}状況対応としての “作用”の送り出しを{多種多様に}自分からするコトで、様々な破綻の原因となる{歯車の様な“作用”の受け送りによる}消耗を少なくした【更新する無限に多様な大全体】な人間社会が、 “土台(枠組・扉)”など作らずに築かれているのです。


しかし、今がどうであろうとも。『神は死んだ』などとは、もう誰からも言われたくないので、各個が個別に“作用”の送り出しがいつまでも出来るように、『神』の後ろ盾をみんなで守ってもらいたいのです。







・平成30年度版







*個人個人が個々別である自由のその先が問われる。【8月5日・日】

1000年“前(先)”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪社会に依存する代償として共有を受け入れた為に起こっていた人の営みの破綻≫

1000年“後ろ(後方)”の時代には。{人々が依存していた}社会にとって不都合な事が起こると、それをみんなで共有して、その解決の為の{一様な}努力に{大多数の無関係な人たちである}みんなが{一律に}勤(イソ)しみ、そしてその無駄に努力をするコト(『組み体操の意識』による自己規制や、他者への強制や、『ガス抜き』として不可欠になった憂さ晴らし)によって、{捧げものとしての指示命令系統を形成させた}文明化や近代科学(一人一人の多様性よりも『バベルの塔作り:捧げものとしての産業』を優先させた事)の形成がなされて{『配分経済:個々人の自由を支援する』が自由経済の名の下に否定され、人の世の進歩が停滞してしまって}いたものですから、人の営みが【更新する世界:多様な大全体】からどんどん取り残されて破綻に至ってしまい、{『ノーベル賞』の権威によって『反面教師』の意図が隠されたまま}一般の人々がそのツケを{貧富の差や、戦乱や、感染症や、ハラスメントの蔓延や、精神疾患などの形で}払わされていたのです。

そして、1000年“前(先)”と言われる今では。「『ノーベル賞』が権威を振りかざし、個人個人の個々別な取り組みが{人間とは『一つの人類』がバラバラになったモノだとする事(希望的妄想)に由来し、誰にでも共通する事が『大切な事』だとされて}否定されていて、自由が制限(自己規制)された{不自然な人の営みが営まれる、不自然な水槽の中のような}中での{進歩が停滞していて、【更新する世界:多様な大全体】からどんどん取り残されている}文明化や近代科学が、人類史上の最善・最高の進歩だと呼ばれていて、『幸せな想い』の自由(誰かの間違いの『尻ぬぐい』を背負いこむ事からの解放)さえも{『組み体操の意識』を共通なモノとする絶対的スリ込みによって}許されなかった事」が反面教師とされていて、人々は『アリ的お一人様:神秘主義』の自由を手に入れているのです

しかし、どんなに今が幸せな時代であったとしても。【更新する世界:多様な大全体】は『ガレキの山:水槽の外』であり、そこでの「個人個人が個々別である自由」というのは{停滞や取り残される事が見逃されない}過酷なモノでありますから。近代の{非過酷な}社会福祉制度を食い物にした『ロマ・ジプシー:独特の神秘主義』のしたたかさの『濃い血』が、まだまだ守られなくてはならないのかもしれません。







*人類の遺伝を修復する困難。【2月9日・金】

1000年“前(先)”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪二方向の発達障害に分かれて争い、淘汰されて退化する人類の遺伝≫

人類が作ってよかったのは、本来の遺伝が{思想としての『{原始生活には戻れないのだと断言する科学者や、誰かが上に立つコトによる天下布武の幻想に心酔するかのような権威主義者やファシストたちのような}延命処置』と『{人間や未来の事を否定的に描く文学者や、ゴミを分別して処分するかのような反核運動家やテロリストたちのような}尊厳死』とが争う淘汰によって}歪んでしまう事のない、『{遺伝の力を引き出す}骨折のギプス』のような{崇められたり執着されたりせず、淘汰の動機(発動原因)にならない}モノであり。

その事に気付いて1000年余りの間に、『{誰かが上に立つ命令系統優先の幻想から覚醒して、アリ的な自由行動に支援がなされる}配分経済』や『{精神を病ませる試練に束縛されない}幸せな想い』や『{効率優先で端折(ハショ)ったりするコトがなく、異世界の扉を開けたり(閉めたり)するコトもない}大全体な科学観』や『{自然の遺伝(多様性による更新機能)が回復した}生きた水』や『{パラダイム論によって逆説的に露見したコトにより、ブロック積の世界観の呪縛から脱却し、その形成に至った}時間認識に於ける前後の適正化(アスキーアートの世界観)』や『{文明化という淘汰の影響から免れた}ジプシーやアメリカインディアンたち』の意義が理解され、大切にされて、今の平和に至っているのです。

しかしそれでも、その{発達障害という}負の遺伝を完全に払拭するコトが出来る訳ではないので、人類は{そんな人間に}用心しなくてはならないのです。







・平成29年度版







*1000年“前”と言われる時代に必要な事~1a~(予告)。【12月10日・日】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪幸福な時代になったからこそ欠かせない事=知識編(序)=≫

1000年“後ろ”の時代までもそうであったのですが。人間は、人間として進化(発達障害)をして来てしまっているので。

1000年“前”と言われる今であっても。大多数の人々は、{本当に誤りがあろうとも}この人間的社会というモノに順応するコトの出来る{誤りの事よりも権威が畏怖され、秩序が乱されないコトで、自分の居場所や尊厳が確保されている事に疑問を抱かない}人間であるべきなのだと{強迫観念として}盲信してしまいやすく。

時間認識に於ける前後認識が{空間とは違う向きに}反転している事に疑問を抱くコトも、「権威への忠誠を疑われれば、自分の居場所も尊厳も失われてしまう」という{強迫観念による}精神的苦痛によって難しくて。

どんなに今が幸せな時代であったとしても。『アスキーアートの世界観』によって「ゲームのコマをマズ獲得していき、それに即した戦術の確立の為に攻略本を読み進めて、ゲーム展開の上達が目指せる」という、{試験準備として、問題集への取り組みからマズ始め、それに即した参考文献の参照を繰り返して、問題に対した時に覚えるコトを楽しい事だと思え、解答に対した時に理解するコトを大切な事だと思える}実効性の高い状況を維持させる{自分自身の}事は、{誰にとっても}難しい事だと言えますし。

『ブロック積みの世界観』によって「ゲームをするのに、読んだ説明書の範疇(ハンチュウ)の駒だけを無駄なく入手し、説明書が勧める手本を理想として取り入れてしまい、楽しくないのだが、その手本から外れるのが怖くなる」という、{試験準備に於いて、テキストを基本としてマズ読み、その例題を応用の積み上げとして解くコトを、理想的な勉強だと言ってしまい、効率が悪いのに、その苦しいだけの勉強が怖くて変えられず、自己嫌悪に陥ってしまうのと同じ様に}何をするにも嫌悪感しか抱かない状況が始まれば、{多くの人が}それに疑問が抱けなくなることでしょう。







*人の営みに合わせた〔この世界〕の動きに上手く乗じる【修正】(予告)。【6月20日・火】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪〔自然〕が【更新】するのを停止させる自然保護の失敗≫

1、絶大な効力を{「特定の単体群が、【“大”全体】に基づいた【多様性による更新】の一環(細かい所の摺り合せ)として発揮する【単体群での更新機能】の効果」を人為的に引き出すコトによって}利用する特定の【部分解禁】が容易に行える〔今の環境〕というのは、〔自然〕に起こる【多様性による更新】を強制的に停止させた状態(そうでないとその絶大な効力を発揮する単体群が{〔自然〕の【更新】とともに}別のモノに替わってしまう)であり。何時でも〔自然〕というのは{【更新】を続けていて}動き出そうとしているというのに、人の営みが{〔自然〕が停止した}〔今の環境〕で行われるモノである事によって、人間はどうしても〔今の環境〕を持続させようと{それが〔自然〕への逆行(対決)だと気付かずに}頑張ってしまい、結果的に〔自然〕に起こる【多様性による更新】の動きを{自然保護の名の下に}妨害し続けてしまう事になるのです。

1000年“後ろ”の時代までは。上記1の事を理解する者も少なく、人類にとって有益な〔自然〕に起こる【多様性による更新】が{隠蔽されたまま}無数に『リセット』されていて、人々は{自然を〔今の環境〕で停止させる『人類の墓穴掘り』を自然保護の名の下に続けてしまっていて}閉塞感に喘(アエ)いでいたのです。


≪被害妄想による進歩と八つ当たりとの無為な争い≫

2、〔この世界〕は、〔自然〕に起こる【多様性による更新】によって、何時でも{人の営みに合わせて}動こうとして{くれて}いるのですが。人間は、{被害妄想に陥ってしまい、〔自然〕が人の営みに合わせて【更新】をしてくれているのにも気付かず}それを{〔自然〕の活用や保護を名目に}妨害するように科学技術を進歩させ、人類は文明や文化を築いて来たのです。しかしそれでも、{〔自然〕の【更新】は止められず}〔この世界〕は少しずつ動いてしまうものですから、その{人の営みに合わせてくれている}〔自然〕に起こる【多様性による更新】に対しての責任が『科学の進歩』や『経済の発展』に{欲望を捨てられない人間の罪として}押し付けられ、科学者や権力者(金持ち)への{八つ当たりでしかない}攻撃が自然保護(逆恨みの正当化)や民主主義(権力収奪の正当化)などの名目で{知識人と自称する人たちによって}行われてしまったのです。

1000年“後ろ”の時代からは。上記2の事への理解が始まり、{知識人が人々の憂さを利用して}長年続いてしまった{お祭り騒ぎでしかない}名目に自己陶酔しての的外れな抗争(既存の権力を否定するコトだけに盲進するデモやテロなど)が疑問視されて、人の営みや精神を含めた〔この世界〕の動き(連続連動)への肯定的な関心(暗んでいた視界の補正)が高まったのです。


≪時間認識の修正から共調進歩に至る≫

3、〔この世界〕が動くというのは{物事の風化や腐敗や、薬品耐性病原体によるパンデミックや、セクハラやイジメやテロや戦争や、経済発展に伴なう経済格差など}人の意に反するコトのように見えながら、実は〔自然〕に起こる【多様性による更新】が{「人間の動きを含めたトータルで〔この世界〕を監修しているものだから、人間が動きすぎると他の【部分】の動きを止めてしまい、それが人間にとっての利得となっていた【部分解禁】の効果を{結果的に}失わせてしまう」というように}人の営みに合わせて起こっているだけであったのに。人間はその事の責任を、{被害妄想に陥って【多様性による更新】の停止に奔走してきた}科学者や権力者の側と{停止するコトの無い〔この世界〕の動きに怯(オビ)えて魔女狩りのような八つ当たりに躍起になってしまう}知識人の側とで的外れな押し付け合いに{争いによって〔今の環境〕の安定を崩壊させる担い手を担って}明け暮れていて。それ故に、人の意に反するように見えながら人の営みに合わせてくれる〔自然〕に起こる【多様性による更新】として発動する〔この世界〕の動きに、人間は{無自覚なまま「自由を{独善的に}自制しては、他者と{正義漢として}争ってしまう」という【更新】の担い手を担ってしまい}上手く乗(ジョウ)じきれず、{変動を続ける〔この世界〕での}〔自然〕に起こる【多様性による更新】と{自由を総動員して動きに乗じる}共調進歩をするコトが難しかったのですが。

〔今の環境〕の上で特定の【部分解禁】による{その時だけの}利得の追求をするパラダイムを{その時だけの枠組みである〔今の環境〕を再構築しては入れ替えながら}繰り返すコトが最高の進歩だと人類にスリ込んで、人の思考の視界を{無自覚なまま}暗ませていた、『パラダイム変換』の旧概念による呪縛が{何度でも失敗を繰り返す人間の、反面教師としての『パラダイム変換』の真の概念(パラダイム変換は『縛り』を交換しているだけのコトでしかなく、〔今の環境〕が枠組として固定されずに〔自然〕のモノとして随時変化し続けていって、{〔自然〕の【多様性による更新】による〔今の環境〕の変化を一旦止めては利得を追求するのを繰り返すのではなく}人間がその変化に乗じて利得の追求方法を変えていくのが真の進歩だとする考え方)が始まって}崩れ。

人為的に作られている〔今の環境〕を〔自然〕のモノだと人類にスリ込んで、「〔この世界〕は脆(モロ)くて危うく、人間は絶えず危機に直面している」という被害妄想を植え付けていた、『悪の自然誌』の呪縛も{人間の進歩が、〔自然〕により、その維持する【多様性】の部分として捉えられてしまうコトによって、【多様性による更新】が{その維持を目的に}起こってしまうのだとする【“大”全体】の概念(人の営みに於いて{自然からの恵みと言いながら}人為的に作られて用いられていた【単体群での更新機能】は{多様性が形成される上での}摺り合せの為のモノ(利得の追求に利用するには〔自然〕の【多様性による更新】が停止していないとならない:『パラダイム変換』の旧概念はこの事に由来している)でしかなく、人が破綻だとして恐れてきた『多様性による更新』の方が{人の営みに合わせて随時起こり続ける}人間が利用するのに最適な【更新】だとする考え方)が始まって}崩れて。

時間における前後認識の{空間認識に合わせた}反転修正に基づいた{人の営みに於ける思考や認識の視界(方向性)を積み上げていくコト(次のコトが今のコトに縛られてしまう後ろ向き)に限定してしまい、上へ積み上げていく為の枠組みの交換(構造革命)の繰り返しや、今の行いで次の行いを制約して行くコトの繰り返し(連鎖)によって安定を確保して行こうとする危険回避策(スリ込まれた安全意識)の徹底によって、風船を握り潰すように人間(自由)を縛っていく『ブロック積みの世界観』とは違う}『ロール紙の世界観』(何も無い前方を自由に創作して行ける時間認識)の普及が始まり、動いて行く〔この世界〕に人間が{風まかせの風船のように自分やみんなの『幸せな想い』を楽しんだり、最低限の『お金の分配』での生活を満喫(マンキツ)したり出来るように、『古典的な倫理』や『近代的な道徳』の枷(カセ)に縛られた試練に追われて八つ当たりに明け暮れるコトも無くなり、想い(純粋な心)や時間(万物の歴史)や学問(自然の停止技術)をじっくり考察し検証するゆとりを持って}随時適応できるようになって、問題の解決に至るのです。

1000年“先”の今では。上記3の事が常識となり、〔この世界〕の動きとの{【ニーチェ】の「神は死んだ」の宣言による人間の解放から始まっていた}共調進歩(《隠蔽してきた【更新】が解放された〔変動する世界〕に於ける『科学観の随時更新(本当の進歩)』》や、《縛ってきた想いを解放させる『幸せな想い(想い合い)』》や、《各個の『お金』の使い方(個人の上達)に依存した『発展型経済(『生きた水』などの【部分解禁】の上手な使い方(研究開発・利権の独占・【“大”全体】を危険視する啓蒙活動)をする人に誘導されていただけのコトを人の営みの進歩と盲信していたのと同じ道理のモノ)』を補正用に戻しての、【“大”全体】での『お金』の使い方(各方面・分野・部門・役割への必要に応じた配分)に配慮した『配分型経済(多様性の配分を変えながら『生きた水の水槽(大水槽)』から{必要に応じて}様々な『耐性水(ミニ水槽)』を作り出していく事と同じ道理のモノ)』の復活》など)が実現していて、人類にとって有益な〔自然〕に起こる【多様性による更新】が多方面(『生きた水(停止させた環境)』を利用するだけから『様々な耐性水(更新された自然)』を作るに至る『多様性のベース拡大』や、『グループごとに関わりあった多重構造の進化の図』や『反面教師としてのパラダイム変換』から『幸せな想い(想い合い)』や『時間に於ける前後認識の反転修正』や『配分型経済』に至る『多様性のステップアップ』を踏まえるコトによる視野の広がりの先)で活用されているのです。







*『【“大”全体】の概念』の実践は当たり前の事(予告)。【5月18日・木】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪破滅は人間のサガなのか≫追加あり


1000年“後ろ”の時代までは。大多数の人々が、「自分の為になる事だ」と信じ込んだまま、特定の事で{競争をしてでも}頑張ってしまい。さらには、「それに伴ってきてしまう『争い』や、『環境破壊』や、『時間に縛られるコト』は人間のサガであり、防ぐのは難しい」とスリ込まれていたが。


1000年“後ろ”の時代からは。{【部分解禁】を実施してしまって}一様に頑張ってしまうと、その事による{攻撃的であったり、衝動的であったり、集団的であったりする}八つ当りを、{『弱者』や『言い訳の立つ相手』や『身近にいた者』などの}他者に対して無自覚なまま行ってしまいやすいという事(『イジメ』や『セクハラ』や『パワハラ』や『テロ行為』などが横行する理由)を自覚し、

「【部分解禁】も必然の中の一つであるので、{水槽の中の魚の群れで一匹がイジメられてしまうのと同じように}攻撃の対象になってしまうのは、{予見できたハズなのに}必要な予防努力を怠った被害者の責任である」というスリ込みや、

「【部分解禁】は絶大な効果をもっているので、それを利用していくのが得策であり、{《争いのない、『幸せな想い』が自由な人の世》や《個の機能の発見ではなく、多様性の機能が更新されていく科学》や《お金の持つ{経済活動を起こす}絶大な効果に惑わされない、お金の分配制度が整った社会》などの}【“大”全体】の復元(再構築)が困難になってしまったと騒ぐのは、愚者や怠け者の身勝手でしかない」というスリ込みや、

「時間に於ける前後認識の反転がもたらす、みんなの知力を{『ブロック積みの世界観』の共有によって知的歩調の乱れを防ぎ}結集させて事をなす効果は絶大であり、{時間に於ける前後認識が空間と同じ『ロール紙の世界観』によって未来(可能性)が広がるとか、人間が多様化して【“大”全体】が再生するとか勝手に言って}箍(タガ)が外れてしまいみんながバラバラに逸脱してしまっては、何も事はなされない」というスリ込みについての反省を始めて。


1000年“先”の今では。多様性によって機能を発揮する群がいく層にも{関係し合いながら}重なった『立体的な進化の図』の普及によって、多様性の機能が更新されていく世界観が一般化し。

男性(側)が『古典的な倫理』に縛られずに『幸せな想い』を発動させるコトによって、女性(側)への{男ばかりが試練に耐えているという状況認識から起こる}八つ当たりであるセクハラが解消されて、女性(側)の{試練の回避に見えていた}『幸せな想い』に対して男性(側)が{謝罪や感謝や高い評価を口にするだけではなく}自然に歩調を合わせていく社会が形成され。

江戸時代の俸禄制度が{学校の都合ではなく学生の側の必要に応じてクラブ活動費が分配されるように}公平に行われる『お金の分配制度』が{絶大な効果を発揮する『生きた水』を作り出しながらそれ自体は繊細で復元も難しい『生きた水の水槽』を参考にして}確立し、{【部分解禁】であり絶大な効果を持つ}『生きた水』の様々な『お金』の使い方を追求した{『生きた水』を過信して破綻を繰り返すように『お金』を過信してしまった}資本主義や、{打出の小槌のような}『生きた水の水槽』が{使いきりの仕様である}『生きた水』から再構築させる無茶を『お金』でやってしまった{『生きた水の水槽』の復元の難しさを『お金の分配制度』で味わった}共産主義のジレンマから解放され、人々が多様性を自由に謳歌していて。

時間に於ける前後認識の正常化(空間と同じモノ)によって、人間の未来(可能性)を見る視野が広がり、人間の生き方が多様化していって、人間による『【“大”全体】の概念』の実践が誰にとっても当たり前となっているのです。







*効果が絶大である【部分解禁】に惑わされない(予告)。【5月14日・日】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪個別性が高い【“大”全体】の構成員の重要性≫

1000年“後ろ”の時代までは。誰もが、『【“大”全体】の概念』の真髄である「『生きた水』や『お金』や『唯一神教』が、どれほど絶大な効果を発揮するモノであろうとも、それが【部分解禁】である限り、そこから『生きた水の水槽』が作れたり、『お金の分配制度』が構築されたり、『【“大”全体】の概念』に至れたりするコトは無い」という事になど、気付くコトも無かったが。

1000年“後ろ”の時代からは。人々が徐々に、『社会とは{繁栄の為に}人間に対して一律な作用をするモノでなくてはならないと決めつけてしまった事によって始まった学歴社会や資格制度』や、『人間とは{平穏の為に}一様に縛っておくべきモノだと考えてしまった事によって始まった古典的倫理』や、『お金を分配する制度を{経済にとっての}邪魔モノだと認識してしまった事によって始まった近代的道徳』や、『唯一神教の世界観の正当化が{人間の使命として}追求されてしまった事によって始まった近代科学』などに縛られた、【部分解禁】であるコトに疑問を抱き始めて。

1000年“先”の今では。{縛られた想いを解放させる}『幸せな想い』の自由化や、{ジプシーのような精神の自由を包容する}『お金の分配要求』の正当化や、{《『パラダイム変換』の理想視による強固な枠組みの形成》や《『悪の自然誌』の盲信による【部分解禁】の認識(自覚)の欠如》や《『時間の前後認識』の逆転による未来の閉塞》などを暴露する}『【“大”全体】の概念』の一般化が、社会制度や民族や宗教に関係なく進み。自分(自分達)の為に平穏・繁栄を{【部分解禁】の絶大な効果を利用して}追求しても逆効果である事から、【“大”全体】の構成員として自分(自分達)の個別性を高めていき、それによって【更新する無限に多様な“大”全体】が発動する時に付随するモノとして、平穏・繁栄が成り立っているのであります。







*1000年の奇跡(予告)。【3月19日・日】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪「保守と革新での敵対・抗争」をしていた抵抗勢力≫

1000年“後ろ”の時代までは、{人間を縛ってしまう『知識のネットワーク化』や、その縛りを交換し続けてしまう『パラダイム変換』を生み出す}『ブロック積みの世界観』や{人間を後ろ向きに進ませ、やった事しか見せず、手付かずの世界に背を向けさせてしまう}『認識と進行が逆の時間認識』が全盛で、「何かをやればやるほど、{『エントロピー論』に於ける「エントロピーは{不可逆的に}増加していくもの」という考え方のように}やれる事(範囲)は狭まり、やらなくてはならない事がドンドン難しくなっていき。見えてくるのは、文化の衰退や、文明の荒廃ばかりで。多くの人間が、閉塞感を嘆き、『力づくでのやり直し』を正論と信じ、『危機・緊急の非常行動』を繰り返してしまう。」という状況が長く続いたのですが。

しかし、1000年“後ろ”の時代からは、{意図した実験や観察に左右されない}『一般理論的思考の世界観』と{【更新する無限に多様な“大”全体】に基づいた}『【“大”全体】の概念』の重要性が認知され、{人間を含む多様性が無地の世界に描かれていく}『ロール紙の世界観』と{人間の目に手付かずの世界が未来として見えてくる}『認識と進行が同じ時間認識』が生じ始め。

そして、1000年“前”の今に至り、{個人の個別な個々の想いによって、人間を『古典的倫理』による強迫観念から救い出す}『幸せな想い』や{ゲームの駒やカードのようにお金の再分配を繰り返して、人間を『近代的道徳』によるお金の滞留(タイリュウ)から救い出す}『お金の共有意識』が浸透して、この平穏と繁栄がもたらされているのです。

すなわち人類とは、{新たな段階という縛りなど無い}『無限の手つかずの世界』を“前”に見ながら、{自由の範疇にさえ縛られない}『幸せな想い』と{エンドレスなゲームへの参加から解放された}『お金の共有意識』をみんなで想い合って、多様な世界の一つの多様性として生きていけるモノではあるのですが。しかし、そこに至る道は永く困難なものであり、そこ近づけば近づくほど、{保守と革新などが対抗し合いながら}抵抗する旧態な勢力関係(敵対・抗争)は増え続けてしまうものなので。わずか1000年で、ここに至れたというのは、奇跡であったとしか言いようがありません。







*「エントロピーは増加していない」という観念(予告)。【3月12日・日】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪認識と進行が同一な時間認識の有効活用≫

1000年“後ろ”の時代までの「人の営みを中心した{認識と進行が逆の}時間認識の以前・以後」に於いては、人為的な何かをしてからの以後が未来で、人為的なコトがまだされていなかった以前が過去と認識されていて、エントロピーは{不可逆的に}増加していくものであったのですが。

1000年“後ろ”の時代からの「自然を中心とした{認識と進行が同じ}時間認識の“後ろ”・“前”」となってからは、人為的な何かを続けて来た“後ろ”が過去で、人為的なコトが{止まった時点から続く}無くなった先の“前”が未来と認識され始めて、エントロピーは{観念に於いて}減少していくものと見えてきて。

1000年“前”の今では、人為的な{【部分解禁】を利用する}事が消失した{【“大”全体】が回復してからの}時点からその時間が始まる《腐りきった為に腐らなくなる『生きた水』》や《『ロール紙の世界観』や『一般理論的思考の世界観』に基づいて『多次元図で表現される進化論』や『E=mc²を普遍的基軸とした物理法則』が包括される科学観》や《『パラダイム論』に於ける『パラダイム変換』というモノを「枷に自ら縛られようとする人間」の反面教師とした人類史観》や《『知識のネットワーク化』に縛られない人間の進歩観》や《幸せとなって邪念が無くなる『幸せの想い』》や《みんなの多様な夢を誰もが大切にして各個人の多様な夢が達成される『お金の共有意識』》が有効利用されていて、平穏と繁栄が享受されているのです。







*意識世界のプロローグ(予告)。【3月11日・土】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪2つ目のプロローグ≫


{「人間を社会的に適応化させる」という事の為に作られたハズの}『古典的倫理』が、人間に自由な想いを自ら禁じてしまう{試練に縛られた}強迫観念をいだかせ。

{東日本大震災の津波避難での、「より高い危機意識を持つんだ」という{変化に耳を傾けようとする}危機意識(セオリーに縛られない自覚)を持って避難したであろう{釜石の奇跡と言われた}釜石東中学校と鵜住居小学校の場合に対しての、「より高い危機意識を持っているんだ」という{雑音に惑わされまいとする}危機意識(過剰な自意識)を持って避難してしまった{大川小学校の悲劇と言われた}石巻市立大川小学校で起こってしまったような}「違う見解の情報や違う言い分の他者が{正しい行動(判断)をしようとする者にとっての}邪魔なモノ(悪)として認識されてしまう」とか、{男女間や宗教間などに於いて必ずと言っていいほど起こってしまうような}「他者(異性や異教徒)が{善良な試練に取り組んでいる自分に対する}悪人に見えてしまう」とかの不適応化が人間に起こしてしまい、良識を自認する人間ほど{無自覚なまま}ドンドン不適応化していって、{悪を強引にでも浄化して(正常化して)しまおうとする}差別意識や{悪者を力尽くにでも排除して(消滅させて)しまおうとする}正義感が人間社会に{必然のように}蔓延してしまい。

{多様なハズの人間(各個人や人間たち)に特定の【更新機能】を画一的に(一律に・一様に)発揮させて、特定の事に貢献させようとした}『近代的道徳』により、人間(みんな)が自分(個人)の{多様な}夢の事より{各個人への再分配が繰り返されるハズの}『お金』を稼ぐというコトを優先し、{多様性を失った【部分解禁】のような経済発展が起こり、人間の【更新機能】が暴走し}人の営み(経済社会)に適応しない偏った多様性を発揮させてしまう人間が増え続けてしまい、「経済の為に人間が差別され、排除される」というシチュエーション(場面・状況)が増え続けていくのですがが、それでも{結局は}「不適応な人間が多数を占めてしまう」という人間社会の破綻が{必然のように}進行してしまうのです。


そして、その事を暴いてくれたのが、{《作為的に抜粋した観察》と《人間社会に於ける人間とは違う生命(生物)の存在意義を無視した生命(生物)の擬人化》によって{破綻を招く人間の営みと同じ事が、自然でも起こっているのだと}意図的に作られているという事を前提に、{『パラダイム変換』を理想の進歩と考えてしまうコトが「人の営みに於いて破綻を繰り返してしまうコトが必然であるかのように、人間が縛られてしまう事」の反面教師であるのと同じような}反面教師として見た時の}『悪の自然誌』であり、{庶民に再分配される為に集められたハズのお金が、エリート(権力者)へとドンドン流出してしまう、非生産的な経済構造の、{普遍的な扱いを受けている『無秩序の度合いとしてのエントロピー』が、「『ブロック積みの世界観』や『認識と進行が逆転した時間世界』が人間社会の{破綻から逃れられない}閉塞の原因であるコトを、誰もが見て見ぬ振りをしている事」についての隠れ蓑であるのと同じような}隠れ蓑として見た時の}『株式市場』であり。

その反省から導き出されたのが、{人間に強迫観念をスリ込む『古典的倫理』から解放されて、自分にとっての幸せな世界観(想い)を構築する}『幸せな想い』であり、{一人々々の一律なお金儲けによって一様な経済集団(企業や国家など)を乱立させてしまう『近代的道徳』から解放されて、多様な各個人による競合しない社会集団(補足し合う企業や国家)の形成がなされる}『お金の共有意識(各個人の夢への公平な出資を行う共有財産が合意によって形成される為のモノであり、エリート(権力)によってお金が分配される{封建制度に別の理屈をくっつけたような}共産主義とは全くの別モノである)』でありまして。

この事と{別記した}現実世界のプロローグが周知された{1000年“前”の}今だからこそ、人類は平穏と繁栄を享受することが出来ているのです。







*現実世界のプロローグ(予告)。【3月9日・木】

1000年“前”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪1つ目のプロローグ≫


《意図された[実験]や恣意的な[ネットワーク化]から導き出される{その場しのぎの}『特殊論的思考の世界観』》や、《【更新する無限に多様な“大”全体】から切り崩される{その場しのぎが繰り返されてしまう}【部分解禁】》の問題を暴いたのが、「『パラダイム論』から導かれた『パラダイム変換』」を人間の問題行動とする『パラダイム論』であり。《土台(その形や大きさ)に依存した世界の{人間本位の}『ブロック積みの世界観』》や、《人間が営んで行く時間を未来(後)とし、自然な状態での時間を過去(前)とする{人間本位から妄想が生み出された}『認識と進行が逆転した時間世界』》の問題を暴いたのが、「『エントロピー論』から導かれた『無秩序の度合いとしてのエントロピー』」を人間の問題思考とする『エントロピー論』でありまして。

『パラダイム論』による反省から導き出されるのが、《特定の[実験]や偏った[ネットワーク化]を依拠としない『一般理論的思考の世界観』》であり、そして《【更新する無限に多様な“大”全体】に基づいた『【“大”全体】の概念』》であり。『エントロピー論』による反省から導き出されるのが、《多様性が重複し、役割が掛け持ちされた世界の『ロール紙の世界観』》であり、そして《自然な状態での時間を未来(“前”)とし、人間が営んで来た時間を過去(“後”)とする『認識と進行が一致した時間世界』》であります。

上記の事と{別記する予定の}意識世界のプロローグが周知された{1000年“前”の}今だからこそ、人類は平穏と繁栄を享受することが出来ているのです。







*次なる“想い”の新たな追求の始まりに託された未来(予告)。【1月15日・日】

1000年“先”の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪《画一的な“想い”》の呪縛≫

1000年“後ろ”の頃までの時代には、人間の誰もが《画一的な“想い”》に呪縛されていながら、何の疑いも抱かないでいた為に。《『お金』の共有意識》を拒絶したままで、一般庶民である自分(たち)に再分配されるハズの『お金』を、世の中の《【部分解禁】による進歩と破綻の繰り返し》に右往左往し踊らされて、エリート(胴元の権力者)へと流出させ。{結局は}自分自身も《【部分解禁】による進歩と破綻の繰り返し》に明け暮れてしまって、《【更新する無限に多様な“大”全体】の構成員》としての発動を何一つ行えないまま、〔人間世界〕の《【部分解禁】による進歩と破綻の繰り返し》に加担してしまい。{更には}世界の形成(物事の進行)のチョットのやり直しにも破壊が必要となる『“盤ゲーム”の世界観』を安易に受け入れて、世界の形成(物事の進行)の変更や再構築に破壊をまったく必要としない『“ロール紙”の世界観』を拒絶し、時間の前後認識を反転させるコト(煩(ワズラ)わしさ)を従順に受け入れてしまい、その煩雑(ハンザツ)さ(理不尽な常識)への疑問を決して口にしない朴訥(ボクトツ)な姿勢(烙印)を{教養の名の下に}自画自賛して。{挙げ句の果てには}そういった事による《[進歩]と[破綻]の繰り返し》や《[繁栄]と[戦争]の繰り返し》を必然の大前提とした[小説や映画]や[マンガやゲーム]などが創作され、人の手による人類へのスリ込み(洗脳)が行われていて、それを{みんなで}楽しみ、喜んでしまっていたのです。


≪《幸せな“想い”》による始まり≫

1000年“後ろ”の頃から“先”の時代になると、「人間が『宗教的影響』や『陥り易い思い込み』などによって{『完全(特殊)理論的思考の世界観』や『“盤ゲーム”の世界観』を基にして}作って来た『古典的な倫理』を、自分で実践し、{強迫観念に至った画一化された“想い”によって}相手にも求めるてしまって、精神的問題(犯罪的行為の自己肯定)が頻発する」という{避けられないと思われていた}事(人間の業)について目が向けられていて。{身近な}男女関係に於いて「自分にとっての《幸せな“想い”》という“想い”を自由(個別)に思えるようになれば、相手に同じ“想い”を{画一的に}求めてしまうような精神的問題(性犯罪行為の自己肯定)はそう頻発する事はない」という事(性問題での重要な答え)が注目され、成人向けの雑誌(ビデオやゲームなど)に於いて「読者(利用者)に《幸せな“想い”》の“想い”を自由(個別)に思ってもらう」というコトが重要なテーマとして作られるようになって、男女関係の多様化(非画一化)が進むと。「個々の人間にとっての《幸せな“想い”》という“想い”をみんなが自由(個別)に思うコト」の有用性に気付き、その事(人間の業)に対しても答えが見えて来て。さらには、「『一般理論的思考の世界観』や『反面教師としてのパラダイム変換』を経て《『お金』の共有意識》と『“ロール紙”の世界観』へと至る《【“大”全体】の概念》という“想い”」の有効性にも注目が集まり、世界中で悪化していた[偏見や差別]や[貧困やテロ]や[環境破壊]などの諸問題に、解決の手立てが見え始めたのです。


≪“想い”の連鎖≫

それから少し“先”の時代になってから、{多様性が有効である為には『多様性のベース拡大』が欠かせないのと同じ理屈で}しばらくは平穏や繁栄の妨げになるとして “想い”の多様化が{自由の名の下に自主的に}拒絶される傾向が続くものの、『“想い”のベース拡大』となる「個々の人間にとっての《幸せな“想い”》という“想い”をみんなが自由(個別)に思うコト」によって{精神的問題(犯罪的行為の自己肯定)がなかなか無くならないという}『人間の業』が{男女関係の多様化(非画一化)が呼び水ともなり}解決してからは、《【“大”全体】の概念》から『一般理論的思考の世界観』や『反面教師としてのパラダイム変換』を経て《『お金』の共有意識》と『“ロール紙”の世界観』へと至る“想い”が始まったのです。


≪“想い”の飛躍≫

それから{また}少し“先”の時代になってから、{『多様性のベース拡大』が有効である事によって有用な『多様性のステップアップ』が期待できるのと同じ理屈で}「個々の人間にとっての《幸せな“想い”》という“想い”をみんなが自由(個別)に思うコト」による{精神的問題(犯罪的行為の自己肯定)の}『人間の業』の解決がベースとなり、《【“大”全体】の概念》の“想い”がスタートとなって、『一般理論的思考の世界観』や『反面教師としてのパラダイム変換』を経て《『お金』の共有意識》と『“ロール紙”の世界観』の“想い”へと至るコトが出来たのです。


≪今という時代の“想い”≫

そして今の時代になって、1000年“後ろ”の時代から始まった{人間が呪縛されていた《画一的な“想い”》から人間を解放させられる}「個々の人間にとっての《幸せな“想い”》という“想い”をみんなが自由(個別)に思うコト」から生じた{『一般理論的思考の世界観』や『反面教師としてのパラダイム変換』を経て《『お金』の共有意識》と『“ロール紙”の世界観』へと至る《【“大”全体】の概念》という“想い”の}連鎖と飛躍が、人類を蝕(ムシバ)んでいた《[進歩]と[破綻]の繰り返し》や《[繁栄]と[戦争]の繰り返し》の必然を止め、世界中に蔓延(ハビコ)っていた[偏見や差別]や[貧困やテロ]や[環境破壊]などの諸問題を解決し、人間に平穏と繁栄をもたらして、ついに結実したのです。


≪次なる“想い”≫

“想い”とは、一旦確定してしまうとその効果は無くなり、{人間を呪縛するだけの}弊害が生じてしまうだけなので、絶えず次の新たな追求が必要でありまして。今の成果は、今までの{《画一的な“想い”》を止めて《幸せな“想い”》という“想い”を追いかけ始めた}次なる“想い”の追求によるモノでありましたから。今から“先”の成果の如何(イカン)は、次なる“想い”の{《幸せな“想い”》という“想い”以上の}新たな追求の始まりに託されているのです。







・平成28年度版







*『パラダイム論の反面教師』から進歩が生じるのです(予告)。【12月18日・日】

1000年後の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪人間自身の【部分解禁】の露呈から平和が始まるのです≫

【“大”全体】の概念が認知され、『パラダイム論の反面教師』が解禁されてから1000年が経(タ)つ間に、それまでの数千年間に渡って人間を縛って来た《『パラダイム変換』と言われる枷(カセ)》との葛藤(カットウ)が{人間世界で}続けられ。

様々な科学分野では、{【部分解禁】とは違って、個の能力(更新機能)が、【“大”全体】の構成員として発揮されるような}真の進歩が模索(モサク)されて、『進化論』に於いて≪{縦が時間で横が種の2次元図である}《平面的な一本の木》で描かれていた『進化の図』が、{縦が時間で横が種で奥行(オクユキ)が目的対処別(グループごと)の3次元体である}《立体的な一本の木》として表示≫されるようになったり、物理学に於いて≪『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』に縛られたままの{測定されない数値をあえて無視してしまっていた}各物理方程式が、『E=mc²』により{『質量』と『エネルギー』は変換され続けているモノとして}再編成≫されるようになったりし。

多様な分野でも、{《意図された破綻》と《恣意的な進歩》の事件に庶民が右往左往するコトがなくなり、胴元の経済エリート(権力者)への『お金』の流出が止められて、個々の庶民の夢が『お金』の再分配という投資を受けて実現していくような}真の発展(平穏と繁栄)が探求されて、『古典的な倫理』の縛りが招いていた破綻に於いて≪『試練の想い(想い合い)』の{強迫観念による}不自由さに{無自覚で}反発してしまい、暴走事件が多発している事態を、『幸せの想い(想い合い)』という自由(勝手)の解放による精神の安定によって鎮静させて、人間社会の様々な不安定要因をドンドン解消≫させたり、『近代的な道徳』の縛りが招いていた破綻に於いて≪{証券市場でもそうなのだが}プールされる『お金』が再分配されずに{みんなにとって不都合な}流出が起こっているというのに、《共有意識が排除された『お金』や物事の認識》が一般化されている事によって{全体の為になっている『必要悪』なのだというスリ込みに抗(アラガ)えないまま}誰もが気が付かないフリをして放置されてしまっていた事態を、《『お金』や物事の共有意識》の回復による自意識の復権によって{精神的負担が解消されて}問題提起できるようにして、{《意図された破綻》や《恣意的な進歩》の事件などに右往左往するコトなく}人の営みの様々な破綻要因(人間自身の【部分解禁】)をドンドン露呈≫させたりして。

ようやく、今の平和に至ったのです。







*解放された“想い”に支えられた新時代(予告)。【11月1日・火】

1000年後の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪“想い”の解放から飛躍する『多様性のステップアップ』≫

自分一人で達成できる《特定の形のモノ》の{繋(ツナ)がれたままでの}“想い”を{普遍的価値だと信じ込んで}捨てられないまま、それを追求していたのでは、【部分解禁】の発揮でしかないが。全体によって達成できる《新たな可能性の方向》の{解放された}“想い”を{何処(ドコ)からでも掘り起こしてきて}拾い上げて、その追究をするのであれば、【“大”全体】の発動となり得るのです。

すなわち、【個人的な更新機能】の発揮である「《特定の形のモノ》の追求や《善良な試練》の追求や、《特定の目的》の為の『発明』や『新発見』など」をしているのであれば、それは【部分解禁】の発揮でしかなくて、『多様性のベース縮小』はどうしたって免れず、破綻との『イタチごっこ』に陥ってしまうだけだが。【“大”全体での更新機能】の発動である「『活性はちみつ』と【アロエ耐性水】の普及や『一般理論的思考の世界観』の普及や『反面教師としてのパラダイム変換』の普及や、『幸せの想い・想い合い』の周知や『ロマ・ジプシー』のような『共有経済観念』の周知など」に至れるのであれば、それは【“大”全体】の発動であり、様々な分野への『多様性のステップアップ』の連鎖(飛躍)が期待でき、人間自身の心身の安定(健康)さえも{自然に}促進されるのです。

そして、{1000年前とは違う}今の新時代に於いては、その事が十分に踏まえられていて、何をするにも、なんの分野でも、“想い”の解放が重要視されているので。人間の“想い”に{繰り返し作り返されながら、決して無くならない枠組みの}《理想的型枠の幻想》をスリ込ませ、人間を{決して無くならない型枠に縛られ続ける}電車道で走る快楽(安楽)に溺れさせて、破綻を望む『唯一神教』の世界観の実現に邁進(マイシン)している、{それ自体が《大本の型枠》の製造元である}『ノーベル賞』のようなモノは存在していないのです。







*『多様性のステップアップ』が続く〔知識世界〕(予告)。【9月25日・日】

1000年後の、「キレイな所に戻って来たキレイな人間」のお話しです。


≪始まりの為の歴史的論考≫

『生きた水』による『多様性の拡大』によって【薬品耐性水】という『多様性の連鎖』が惹き起こされ、『多様性の連鎖』を知った人間の知性が『多様性のステップアップ』へと飛躍して、【無限に多様】な『個々』の人間によって【“大”全体な更新】を続ける〔知識世界〕が{ようやく}構築されたのです。

物事に対した時の、「遅れている」と思う《排除の論理》か、「欠けている」と思う《【“大”全体】の概念》かの違いによるモノなのですが。その違いから、『ジプシー』や『アメリカインディアン』への隔離政策(排除行為)や、宗教的先進性をめぐる『テロリズム』や、『核』を『パンドラの箱』と考えた反核運動や、知識人たちが理想の進歩と崇めた『パラダイム変換』や、労働者への『お金』の【無償還元】を阻むエリートたちが『公金マネーロンダリング』の場とした『投資市場』が、{大きな代償を払いながら}長続きしてしまったのです。





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