今日は鏡開きの日、ですよね。
どうも、地域によってこれも様々らしく、我が家は1月15日派だった。
でも、最近は餅が黴びるのが嫌で早めの11日鏡餅を下げている。
毎年この時期同じようなことを書いているが、去年のコメントに
リチャード氏の玉水があった。
たますいは怪しげな用語であって、これはギョクスイと読むらしい。
まったくどっちでもええように思うけど。(^^;
玉子と言えば寿司屋で赤だしは、アサリにしますか魚にしますか
それとも玉子にしますか、と聞かれる。
昔は必ずアサリと言っていたけど、最近玉子と言うようになった
この歳になって玉子に目覚めたわけ。遅すぎる?(笑)
でも、寿司ネタで玉子を頼むことはない。
あれは、どうみてもお菓子のように思える。
その旨さにまだ、目覚めてないのだ。(^^;
一年ぶりに牛肉フォー(PHO BO)の美味しい店に行った。一品勝負の店で、牛肉に独自の下味をつけたフォー(平ウチの米粉麺)が癖になる。
以前は会社の近くだったので、足しげく通ったが、会社が移転したため、通勤ルートと反対位置になり、家からも遠く、久しぶりの休日訪問になった。
注文をするなり、一人の娘さんが笑顔で話しかけてきた。「おじさん、今日は絵を持ってきたの?」
思い出した。この店は、正面の2階部分が窓の無い大きな黄色い壁で、ちょっと絵になるなあ、と描いたことがある。すると目ざといベトナム人「お、描いてるで、この店を」と店から3人ほどの店員が出てきた。しばらくのぞいていたが、一人が「その絵、完成したら頂戴ね」という。わたしは「はいはい、こんどね」といいかげんな返事。その娘だ。その後店に行った時「絵ができたらちょうだいね」「はいはい、今度ね」のやりとりがあったが、こちらは社交辞令のつもりだった。
1年も経っておぼえていてくれたことにびっくり。どうも経営者の娘のようだ。で、店の絵に執着するのだ。
食べ終えて、お金を払うと花のような笑顔で、今度あの絵を持ってきてね、という。どこまでも愛想がいい。
店を出て、腹ごなしに近くのお寺でも立ち寄ってみるか、と歩き出す。10分ほど歩くと、後から来たバイクが私の前で止った。「おじさん、乗ってよ、こっちの方向でしょ」とさっきの娘。1時10分だ、パートの時間が終わったのかな。日本じゃ有り得ない若い娘の老人へのおもてなしの心。
バイクの後に乗ると左手で自分のカバンを押さえ、右手で娘の脇腹に軽くつかまる。日本じゃワキバラじゃなくセクハラかな・・
「着いたよ、私の家はここなの」あくまでさわやかな笑顔だ。「そうですか、どうもありがとう」
と、これだけの話です。
日本式の親切なら「おじさん、バスで帰るの、じゃバス停まで送るわ」となるところでしょうか、しかし、自分の家の前で降ろす、中途半端なほったらかしの親切のほうが、わたしにはいい、親切の軽さが心地いい。
心地いいといえば、娘さんの脇腹の感触、妻と違ってまったく贅肉が無かったなあ~。親切への感謝は指先の感触と共に残ったのであります。
玉子って、とき流し?ってことですか?
ちゃんとしたすし屋に2~3度しか来店した
事が無いので、よくわかんなぁ~いです(^_-)-☆
玉子は好きですけど、愚石さんとは違う理由で
私も「廻る寿司屋」で玉子はめったに食べません
すしのネタではないような気がしてまして・・ん?
同じ?! (゚д゚)!
指先の感触!(^^;
若さはそれだけで価値があるということですかね。
個人差はありましょうが。(^^;
早く絵を差し上げましょう。
その次の展開に期待が募ります。(^^;
年を取ると若い子の手を握るだけでも嬉しいものですね。(^^;
白身と黄身が混ざらずに固まった状態。
卵とじでは有馬温泉。(^^;
月見うどんもそうですが、あまりに黄身が柔らかいと
きみがわるい。(笑)
基本、生卵苦手人間ですから。
だからスパゲッティカルボナーラを食べようと思ったことが無いのです。(^^;