【ぐるぐる】のお店「愚流愚里庵」

日常の、ちっちゃいことを楽しんで、楽しく生きられれば良いにゃあ、という事をモサクしてゆきまする。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

空気が読めない。

2007-11-20 23:58:30 | 料理
ども、ご無沙汰してます。


さて、最近色んなところで聞くのが「空気読めない(KY)」という言葉。ネットなんかでもよく「空気嫁(空気読め)」なんてのを目にするし、先日も、ぼぞぎがずご(仮名・自称占い師)が「空気の読めない女はだめよ」とか何とか、エッラソーにゆってました。


インチキ占い師の言うことなんぞに同意するのはシャクなのだけれど、確かに「空気を読む」と言うのは大事なことだと、自分も思う。「空気を読む」とはすなわち、周りに気を遣うこと、人の気持ちを思いやること、会話や雰囲気、その場の状況を良い方向に持っていってコミュニケーションを円滑に、和やかにすること。そういうことが上手に出来る人を見ると素直に尊敬するし、逆に空気が読めずに浮いた言動をしている人を見ると、場合によっては「イラッ」とすることもある。


でもさ。


最近の、やたらと「空気読め」という風潮も、それはそれで何だか息苦しい。確かに気配りって大事だけどさ、そればっかしに腐心するってのは、「周りの人を思いやる」というより「自分一人だけ周囲から浮いてしまう(孤立してしまう)」ことを恐れていることの反映じゃないだろうか、とも思えるのだ。


それにさ、「空気を読む」と簡単に言うけど、そういうのってある程度経験積まないと身につかないんだよね。だからたいていの人は若い頃に「空気を読ま(め)ずに」失敗した経験があると思う(え?そんな失敗したことは一度もない?素晴らしい!そんなあなたはこの文章をこれ以上読む必要はありません)。


でも、それでいーじゃん。そうやって失敗こいて恥かいたり気まずい思いをして、人は学んでいくのだから。それを、若い頃からやたらと空気読め空気読めと言われたら、逆に萎縮しちゃって、「失敗」という貴重な体験ができなくなっちゃうんじゃないの?と(余計なお節介かもしんないけど)思ったりもする。


それに、これは暴論・極論かもしれないけれど、かつて日本が無茶な戦争に突入し、しかも「もう勝てないだろ」というのがハッキリしてもそれを口に出すことができず、二発もの原子爆弾を落とされてやっと「敗け」を認めた、というのは、当時の日本人の多くが「周りの空気を読みすぎた(空気に流された)」からじゃないのか、なんてことをちょっと思ったりする(これは最近読んだ佐藤忠男の「草の根の軍国主義」という本を読んだ影響もあるかもしれないのだけれど)。



さて。



映画の登場人物で「空気を読まない人」というと「男はつらいよ」の寅さんを置いて他にないのじゃないか、と思う(「釣りバカ日誌」のハマちゃんもかなりイイ線行ってるけど、やはり先輩の寅さんにはなかなか及ばない)。


自分は「男はつらいよ」は数作しか観ていないけれど、まぁ~どの作品でも寅さんの「空気の読まなさ」は過激なくらい破壊的だ。あれ、映画の中の話だから良いけど、現実にあんな人が身近にいたらかな~り迷惑だよなァ。


そういえば、渥美清が亡くなってもう十年以上も経ったんだっけ。もしこの21世紀の日本に寅さんが現れたら、どんな感じなんだろうと、ふと夢想する。



「はぁ?けーわいだぁ?空気読めないだぁ?お前さん、バカ言ってんじゃないよ。その~、何だ、KYだかYKKだか知らねェけどよぉ、そんな気ぃ遣って言いたいことも言えない、やりたいこともできねェなんて、息が詰まっちゃうじゃねェか、だろ?大体空気ってのはなぁ、読むモンじゃねえ、吸ったり吐いたりするもんだ。ガッコでそう習ったろうが?おじさんガッコなんてろくすっぽ行ってねぇけどよォ、そんくれぇは知ってますよ?それが、教養ってモンだろうが?ええ?


だからよ、そんな~細けぇこといちいち気にしねェでよ、まずは深呼吸してみろ、深呼吸!ハイ、息を吸ってぇ~、吐いてぇ~、また吸ってぇ~、吐いてぇ~・・・な?空気は読むモンじゃねえ、吸ったり吐いたりするモンだってことが、分かったかい?青年!」



う~ん、書いてるうちに楽しくなってきた。このまま寅さんの新作のシナリオをぶわぁ~っと書いてみたい気がするけど、それは置いといて。



つまり、何が言いたいのかというと、確かに空気を読むってことは大事なんだけど、一方で、空気を読まない人、読めない人、違う言い方をすると「王様は裸だ!」と言わずにいられなかったり、考え方や感じ方が大多数と違う人、自分の中の「言いたいコト」が押さえ切れなくて、若干トンチンカンなことをしたり言ったりしちゃう人、そういう人を許容するおおらかさ、寛容さ、余裕っつーのも、大事だと思うのよ。そうだろ、青年!




あ、寅さん口調がうつっちゃった^^;




※そういえば、↑のぼぞぎがずご(仮)の番組には前田吟がゲストに出ていて「ドラマや映画では空気を読まない人がいた方が面白くなるんですよ」と言っていた。前田吟もきっと寅さんのことを思い浮かべてたんだろうな~と思うとちょっと嬉しくなった。
コメント (13)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

あまり大きな声では言えないのだけれど。

2007-09-27 15:19:33 | どうでもいいですよ♪






















明日、人妻と、密会します。
















(゜∀゜ )アヒャ。












ナイショだよ。
コメント (13)
この記事をはてなブックマークに追加

ぐるぐる、「パッチギ!」に関するデマを斬る!

2007-08-27 16:08:00 | パッチギ!
おっと、気がつけば二ヶ月近く更新してなかったのねん。



そういえば昨日深夜「パッチギ!」が放送されてました。僕は観ようとしてテレビつけっぱのまま寝てしまったのだけど、やっぱ前回と同じくカットされまくりだったのかな。あれ、冒頭のオックスの演奏シーンなど切られまくりで、あれで「パッチギ!」という作品を判断されてしまうのは何とも遺憾なのだけれど。





ところで「パッチギ!」に関してこんなウワサがネット上で流布しているのをご存知でしょうか?


・井筒は、映画「東方見聞録」撮影中にエキストラを事故で死なせてしまった。

・その遺族に対する賠償金を、映画会社シネカノンが肩代わりした。ちなみにシネカノンの社長李鳳宇は在日で、父親が朝鮮総連の幹部である。

・その結果井筒は総連に首根っこを掴まれ、反日・親北朝鮮プロパガンダ映画「パッチギ!」を撮った。
(注1)


この噂、どうも2ちゃんねるあたりから広まったらしい。んで、結構広まってて本気にしちゃってる人もいるらしい。
はい、この際だからはっきりくっきり清々しく言いますが、これ、デマです。

別に井筒監督を嫌うのは良い。好き嫌いは個人の自由だし、そもそも井筒監督のファンである自分も、テレビなどでの発言を聞いていて「おいおいもう少し言い方考えなよ」とか「あ~またそうやって、作らんでいい敵を作る・・・」と思うことがあるくらいだもの。


んでもね、2ちゃんねるから発信されたような悪意あるデマやあやふやな噂が鵜呑みにされ、広められ、その結果この作品を観ようとする人が減っちゃったり、あるいはこの作品を観て感動した人がそのことに罪悪感を持ったりしたとしたら、たまったもんではないのさ。ちゅーことで、今回はこの噂を検証してみます。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



まず、「東方見聞録」における事故に関しては事実。しかし「賠償金を映画会社シネカノンが肩代わり」というのは、確かな根拠のない、単なる噂に過ぎない。

そして、このデマの一番巧妙で悪質な部分はその次の「シネカノンの社長李鳳宇は在日で、父親が朝鮮総連の幹部である」という部分だ。ここだけ読むと、あたかも李鳳宇氏が朝鮮総連幹部の息子(いかにもボンボンのイメージやね)で、シネカノンと総連に太いつながりがあるかのような印象を持つ。

しかし、朝鮮総連の幹部だった(これは正しくない。正しくは京都・南支部の副委員長で、「幹部」と言えるような役職ではない)李鳳宇氏の父親は、70年代前半に総連を脱退している。その事情については「パッチギ!対談篇」(李鳳宇・四方田犬彦/朝日新聞社刊。ちなみにこの本は1998年に出版された「先に抜け、撃つのは俺だ」という本に新たな対談を加えたもの)に詳しいのだけれど、金日成に対する個人崇拝や独裁体制の強化など、理想からかけ離れていく北朝鮮、それに追随する総連に対して疑問を抱くようになったこと、沢山の寄付をしてきたにも関わらず、事業が苦しくなった時に融資をしてもらえなかったこと、韓国から来た親戚を総連幹部に会わせたためにその親戚がスパイ容疑で逮捕されてしまったことなど、理由はいくつかあったようだ。ちなみに彼は総連脱退後、事業に失敗し、多額の借金を抱えつつも地下鉄工事や鉄屑拾いなどの仕事で子供たちを育てあげ、87年に亡くなっている(注2)。

李プロデューサーはそういう経験から政治や組織に対して失望するようになり、それらから距離を置くようになったという(注3)。四方田犬彦は前掲書で、李プロデューサーが92年に映画祭参加のためにピョンヤンを訪れた際、金日成バッジを身に付けることを断固として拒否した(北朝鮮ではバッジをつけずに外出すると一般市民から監視・通報される、つまり行動が制限される)というエピソードを紹介している。

そのような人がプロデュースした映画が、どうして「朝鮮総連翼賛映画」になるというのだろう。

もうひとつ、映画「パッチギ!」と朝鮮総連に関して興味深い話がある。「パッチギ!」にはヒロインらが通う朝鮮高校が登場するのだが、このロケには滋賀県の比叡山高校が使われている。もしこの映画が総連のプロパガンダ映画ならロケ地として喜んで提供しそうなものだが、これに関して李プロデューサーは次のように述べている。



・・・どうしてもロケーションに使いたいもう一つの場所、朝鮮高校にも随分前から撮影の許可を申し出ていた。僕はこの学校の卒業生だし、現校長からその昔英語を教わったことを記憶している数少ない教え子だったので、内心許可は容易に下りるものと踏んでいた。事前に映画のシナリオを送って読んでもらっていたので、僕は手続きの問題だけという軽い気持ちで、二五年ぶりに母校に足を向けた。久しぶりに会った校長に、どんな映画を撮るのかと質問されたので正直に話の中身を説明すると、校長は苦虫を噛み潰した表情で、「困る」、「許可できない」を連発した。当時の朝鮮高校生たちが学校でタバコを吸ってたり、喧嘩に明け暮れていたという「間違った認識」を植えつける映画には協力できないと却下されてしまった。そんな戯言に反論して僕は、映画の主旨や当時の学生たちのリアルな姿や、心の叫びを熱く語ったが、いくら説明しても無駄だった。彼はおそらく事前に送ったシナリオを総連京都本部か総連中央の誰かに見せただろうし、彼自身、朝鮮総連の組織の中ではただの使いでしかなく、一人で英断を下せる人でもなかった。かなり粘った末、僕は母校を後にした。
結局、学校の撮影は滋賀県にある比叡山高校にお願いして、幸いにも許可を得ることができた。辛かったのは比叡山高校の先生に、
「こんな有意義な映画を、なんで朝鮮高校は協力しないの?」と聞かれた時だった。
(「パッチギ!的―世界は映画で変えられる」李鳳宇/岩波書店、p22)(注4)



以上のことを踏まえれば、「パッチギ!」が北朝鮮擁護の総連プロパガンダ映画だなどという主張は単なるヨタ話としか思えないのだけれど、案外それを鵜呑みにしている人が多いので唖然としてしまう。

「パッチギ!」を観た上で「つまらない」と思うのは、これは仕方がない。また井筒監督のテレビなどでの言動に不快感を感じて「こんなやつの映画、観たくもない」と思われるのも、まあ自業自得だ(本音では「騙されたと思って観てみてよ」と思ってはいるのだけれど、無理強いしても仕方ないしね)。しかし、繰り返しになるけれど、ヘンな噂やデマを流されて、そのせいで多くの人がこの作品と出会う機会を奪われてしまうのは一ファンとして許せない。


以上のことは、前々からどこかで言いたかった(けど面倒臭くて先延ばしにしていた)ことなのだけれど、今回良い機会だったので長々と書かせて頂きやした。最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。m(_ _)m



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




(注1)浅川晃広は雑誌「諸君!」2005年4月号に「『パッチギ!』は朝鮮総連翼賛映画か」という批評文(PHP研究所「『在日』論の嘘――贖罪の呪縛を解く」に収録)を寄せていて、これが噂を補強する助けになったみたい。ちなみに浅川氏は元韓国籍で後に日本国籍を取得した人なのだが、この「パッチギ!」批判は的外れというかなんというか、、これについてはまたの機会に。

(注2)もひとつちなみに、李プロデューサーの父親は「パッチギ!LOVE&PEACE」のアンソンの父親のモデルにもなっている。さらにちなみに、名前は「リ・チャンス」、つまりアンソンの子供の名前はここから来ている。

(注3)「パッチギ!」ヒット後、李氏や井筒監督は朝鮮学校支援などの集会に呼ばれるようになった。これについて李氏は次のように語っている。

・・・昔だったら、枝川の朝鮮学校の存続を訴える集会に来て何かしゃべってくださいと言われても「映画は映画ですから」と避けていたと思うんです。『パッチギ!』で変わったとしたらそこかもしれません。
自分がなぜここにいるのかということを問う映画でしょう、『パッチギ!』というのは。そう考えると、自分がこれからどこに向かうのかなっていうことを考えていかないといけないんですよね。
まあ、僕が集会に出かけていったからって、別に何を応援できるわけじゃないんですけど、ただ、そういう気持ちがここ数年強くなってきました。そういう行動が「政治的」と言われると、政治の一端なのかもわからないけど、人間誰しも社会的存在ですからね。会社員であろうが個人商店であろうが。社会的存在であるからには、「還していく」ことを考えていこうと思い始めたんです。(「愛、平和、パッチギ!」井筒和幸・李鳳宇/講談社、p222)

(注4)しかし、このような頭の固い総連上層部に対して、朝鮮学校の現場レベルでは「パッチギ!」はかなり好意的に受け取られ、朝校の教師が生徒に勧めたりもしたらしい。そうした流れもあって「パッチギ!LOVE&PEACE」では枝川の朝鮮学校がロケ地に提供されたようだ。





コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

サバが安いと幸せな気分になる。

2007-06-28 02:09:16 | 料理
昨日はサバが一尾百円だったので二尾購入。サバって鮮度が落ちやすく(身がグズグズになってしまう)、なおかつ見た目で鮮度が分かり難いのだけれど、今回のはまあまあの鮮度でした。

とりあえず、三枚におろして~。骨抜いて~。塩ふって~。

それから、「さて、どうすんべな~」としばし考え、小麦粉とカレー粉まぶしてソテーに。なおかつ、思い付きでスライスした新玉ねぎに塩をふってしんなりさせたやつをもみもみしてつけあわせに。



ん~、んまい。
コメント (13)
この記事をはてなブックマークに追加

不法占拠。

2007-06-22 00:17:18 | どうでもいいですよ♪
・・・そこは君の家ぢゃないよ。
コメント (13)
この記事をはてなブックマークに追加

ちょっとじまんそのに。

2007-06-17 23:31:03 | パッチギ!
6/15、渋谷シネカノン「パッチギ!LOVE&PEACE」上映後のトークショー(井坂俊哉・中村ゆり・波岡一喜)&握手会・サイン会に行ってきた~(中村ゆりは仕事の都合か、トークショー終了後帰っちゃったけど)。

アンソン井坂もバンホー波岡も、めっちゃ気さくでオットコ前な好青年やった~。

ちなみにトークの内容は、井筒監督がいかに現場で厳しいかということについて(笑)。前作のキャバレーの場面で、アンソンがケンドーコバヤシを瓶で殴った直後にバンホーが「ワハハ!」と笑うシーンがあるのだけれど、一秒くらいのそのシーンでなかなかOKが出ず、3時間くらいかかったらしい。「お前、履歴書に『笑えません』って書いとけ!」とか言われたそうな(笑)。
コメント (8)   トラックバック (5)
この記事をはてなブックマークに追加

ちょっとじまん。

2007-06-16 22:58:04 | どうでもいいですよ♪
ニンテンドーDSを買いました。今ハマっているのが「えいご漬け」。

別に外国に行く予定も仕事で英語を使う予定もないけれど、字幕に頼らないで洋画を鑑賞できたら、良いよね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ラブピー」そのに。

2007-06-01 00:51:51 | パッチギ!
こんばんは、スティング大好き御大こと塾長(←こう呼ぶと御本人は「やめなさいって」とイヤがるそぶりを見せる。でも、目は笑っているのでホントはそう呼ばれて喜んでいるのだと思う)に喧嘩を売って、返り討ち、というか軽~くいなされてしまった(映画研究塾の映画日記参照のこと)ぐるぐるでごんす。ちくそ~、負けないもんっ。


それにしても、、ネットでこの作品に関する感想を読んでいると「自虐的」とか「日本人=悪(加害者)、朝鮮人=善(被害者)という図式で描かれている」とかいう意見が少なくなくて、「何だかなあ、、」と思ってしまう。


まあ、こーゆー話をしだすとメンド臭いけど、、確かに長い間、日本人は「自虐的」であったとは思う。ただしそれは、いわゆる「歴史観(自虐史観)」とかだけではなくて、、

これはいつか別の機会に論じようと思ってたネタなんだけど、、戦後の日本(人)って、ずっと欧米に対して劣等感を持ってて、自分たちが劣っているという意識にさいなまれている面があったと思う。例えば、「日本人離れした(=西洋人並)」という表現は長らく「ほめ言葉」として使われていたという事実は象徴的だ。

もっと言うと、最近韓国や中国での反日デモやなんかに反発して、ネットの一部では熱いことになってたりするけれど、例えば80年代にアメリカで安い日本車が売れていることに反発し、日本車をぶっ壊すデモンストレーションとかあった時は、今「反韓・反中」が盛り上がるほどに「反米」は盛り上がらなかった。あるいはヨーロッパで日本の家屋を「ウサギ小屋」と揶揄された時も(もっともこれは誤解だったらしいけど、当時はその誤解が解かれないまま広まった)、日本人の多くは、怒るというよりも「ハァ、、おっしゃる通りです、ハイ(ペコペコ)」みたいな感じだったと思う(あー、今思い出したけど、日米貿易摩擦を解消するため「アメリカ製品を買いましょう」とかホザいた首相もいたっけ・・・)。

今だって、韓国・中国での反日的な言動に敏感な人たちは、どーしてアメリカ産牛肉輸入問題についてはそれほど騒がないのかな~と思う。

何つーか、今保守化とか右傾化とかゆわれてるけど、ホンマかいな?。極論かもしんないけど、長い間欧米コンプレックスを抱えてた日本人が、積もり積もった鬱憤を(プラス、経済や将来に対する不安から精神的余裕がなくなって)中国や韓国にぶつけてるだけじゃないの?と思ってしまう。だからっつって今の中国や韓国に問題がないと思ってるわけじゃないんだけどさ。なんか、視野狭窄的っつーか、余裕ねーなーって感じ。



話がそれました。



つまり、「パッチギ!LOVE&PEACE」ってそんな「日本人が悪い!反省しろ!」みたいな映画か?あるいは「在日朝鮮人は可哀想な人たちなんだ」ってなことを言いたい映画か?ということ。

だいたいにおいて、この映画に描かれている朝鮮人差別に関しては、実際まんまをそのまま描いただけ。

例えば、、冒頭の某大学による朝高生襲撃事件は実際にあったこと(駅での大乱闘が新聞沙汰になったこともあるらしい)。また外国人登録証を携帯していないというだけで処罰されたのも、それをネタに警察が嫌がらせをしていたのも本当(昔は罰金刑だった。今はそういう嫌がらせは減ったらしいけど、携帯が義務づけられているのはそのままだし、違反が発覚したら過料を取られることになっている)。

芸能界で在日コリアンが出自を隠すというのもそう。確かにソニンのようにデビュー時からコリアンであることを明らかにしている人もいるし、あるいは、和田アキ子や、それこそキョンジャ役の中村ゆりみたいに後になって明かす人もいるけど、だからって在日コリアンに対する「タブー視」がなくなったわけではないと思う。

つか、別に「在日の芸能人は出自を明らかにしてはいけない」と主張している主体があるわけではないんだよね。「誰が言っている」わけでもないけれど、無言の圧力、暗黙の了解となっている。それが日本の「差別」の特徴なのだろうな。


んん、、だんだん何を言ってるのか分からなくなってきた。


つまり、、この作品は別に「日本人は謝罪しろ」とか「在日朝鮮人は可哀想なんだ」っていうんではなくて、当たり前のことを当たり前に描いただけだと思うんだよね。



例えば、、日本の社会にはまだ女性差別ってなくなってないっしょ?でもだからっつって男である自分は女性の前で「あなたたちを差別してごめんなさい」なんて言わないし「差別されている女性は可哀想だ」とかいう風にも思わない。

これはヒジョーにビミョーな問題なんだけど、、昔に比べたら、在日コリアンに対する差別って減ったとは思う。実際、在日コリアンであることを隠さずに暮らしてきて、なおかつ「差別を受けたことがない」って人もいっぱいいる。だから、あんまり「差別」ってことを声高に叫ぶのも、何か違うと思う。

んでも、だからっつって「差別がなかった」みたいな、正反対の方に針がブレるのも違うべや、と思うわけさ。


あかん、、今回は「愚流愚里庵」始まって以来のまとまらない内容。


つまり、、あんま反日とか、日本人が悪く描かれているとか、考えずに、素直な気持ちで観て欲しいんだよな~ってことなのでした。まる。
コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

「パッチギ!LOVE&PEACE 」

2007-05-31 23:22:10 | パッチギ!
一応、「みんなのシネマレビュー」にレビューも書いたのだけれど、補足というか、「まだまだ語り足りねーぞ!」ということで、こちらで「パッチギ!LOVE&PEACE」に関する、短期集中連載(に、なるかも)。



<ネタばれあり>



今作のクライマックス、芸能界入りし、特攻隊映画のヒロインに抜擢されたキョンジャが、その完成披露試写会で自らの在日朝鮮人という出自を明かし、徴兵を拒んだ父への敬意と感謝の気持ちを述べるシーン。


思うに、あれってチャップリンの「独裁者」における「世紀の六分間」に共通するところがあると思う。というか、色んな面でこの二作品は似ている。

かたや在日朝鮮人、かたやユダヤ人と「差別される側」を主題にしているという点、時事的な事柄にストレートに切り込んでいる点、思想性・政治性・メッセージ性の強い作品と見なされている点、など。


「ちょwwwwwwwおまwwwwwwwあの大傑作と比べるのかよ!」と突っ込みを入れられるのは承知の上だし、自分でも強引かな?と思わなくもない。


んでもさ、今でこそ傑作とされ、ファンの評価も高いけど、「独裁者」も公開当時はずいぶん物議をかもしたり、叩かれたりしたと思うんだよね。実際製作中に脅迫を受けたりしてたらしいし、それまでのファンにも「こんなストレートで物騒な作品作らなくても、今まで通りコメディ撮ってれば良いじゃん」とか言われてたと思う。


しかし、チャップリンは「独裁者」を撮った。挙げ句のはてに「売国奴」「アカ」呼ばわりされ、アメリカを事実上追放されることになる。


そりゃ、井筒さんが国外追放されるなんてことはないだろうし、ナチと石原都知事を同列に語るのはアレかもしんないけどさ。でも「心意気」の部分は同じだと思うのよ。映画的にどうかとか、今までのキャリアがどうかとかではなく、「作らざるを得ない」からこそ作られた作品。



ちなみに井筒監督は、あんまりチャップリンは好きじゃないみたい。以前「ボクはチャップリンよりキートン派ですね」とテレビで言っていた。


でも(本人は自覚していないだろうけど)、井筒さんとチャップリンにはひとつ共通点があるのだ。


それは、人間が大好きだということ、それが作品に滲み出ているということ。


ホントは「愛と平和」なんていう大袈裟な「メッセージ」とかではなく、そーゆーところを見るべきなんだと思う、井筒作品も、チャップリン作品も。
コメント (2)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

竹の子ご飯ウママママ~

2007-04-30 01:29:06 | 料理
今年二回目の竹の子ご飯。ちゃんと竹の子ゆでて、ダシ(昆布・鰹)もとって、作ったよ。ちなみに緑のやつはスナックえんどう。作った本人が言うのも何だが、美味し。
コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加