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小股の切れ上がった江戸女vs貞淑でおぼこい上方女 朝井まかて「ぬけまいる」「阿蘭陀西鶴」

2017-05-19 15:50:15 | 


木曜の夜、「秘密のケンミンSHOW」を観る。
全国津々浦々、変わった食べ物や、珍妙な風習、そしてけったいな県民性。

中でも、ダントツが大阪。
<おかん><おとん>の上下関係と敬われ方。
なんたって、
話の流れの巧さと自虐の可笑しさは、無敵の王者。

家族の中で<おかん>の地位は不動のトップ。
子供やペットに、付け足し圏外の<おとん>。


そんな<おとん>たちは、神戸の女性を崇め、東京の女性のツンデレに憧れる。

大阪の強いおかんと影の薄いおとんの構図が脈々と受け継がれた。。と思っていた。
が、、
歴史は全く違ってた。

笑っちゃうくらい、なんだこりゃ?!だった。


◇小股の切れ上がった江戸オンナ◇

江戸のオンナをサラッとまとめると、

男勝りで、曲がったことがキライ。
小さい頃から、働くことは当たり前。
恋にかけては、雌豹のごとく。

お上の奨励で、何度結婚しても良し!というお墨付き。
自分の心に正直に生き、
所帯を持てば<かかあ天下>という言葉が定着した。


表紙のように酒を嗜み、花札に興じる。
江戸は男女問わず上戸で、
ひとり酒もワイワイと呑む酒も日常の風景。

江戸の女たちは外食や屋台の立ち食いも、世間様から咎められることもなかった。


↓こんなのも残ってる
<おかみさん>と<うちの宿六>の関係が分かる浮世絵。
飛び道具?おならをかましてみた。。


江戸の風情や気質は浮世絵を見て憧れた。
もっと知りたくて、江戸小説を読み始めた。
時代背景や生活の細部は、物書きのプロがつぶさに調べ物語に絶妙に配置。
四角四面のムツカシイ本より、風景や時代の流れが見てきたかのように分かる。

江戸小説「ぬけまいる」は江戸女の鉄火肌と伊勢詣りの仕組みと
一生に一度の旅が齎す力を描き切っていた。

◇朝井まかて「ぬけまいる」◇

江戸の女たちの物語りは、
読み手の想像力に委ねた上質な結末で終わった。

28歳、大年増直前の生粋の江戸女三人の物語り。
浪人の娘から武家に嫁ぎ武芸に長けた女。
商家の娘が婿を取り、商才で大成功するが若い間男に裏切られた女。
居酒屋を手伝い、嫁に行かず夢を捨てきれない女。

子供も旦那も家も放り、突然幼馴染三人で<お伊勢詣り>に向かう。
いわゆる<抜け参り>。

*抜け参りとは*
丁稚奉公の子供も分別ある大人も仕事を放りだして、
柄杓一つ持って<お伊勢詣り>に行くこと。
柄杓を持ってれば<お伊勢詣り>だと分かるため、
沿道の人々が施しや世話をしてくれる。
旅の路銀はアルバイトで稼ぎ、徒歩で往復二カ月以上をかけて行く。
伊勢のお札を持って帰れば、怒られもせずそのまま元の生活に戻れた。

女三人が荷物持ちの下男も連れず、通行手形も持たずの超無謀な旅。

箱根の関所はこの通行手形がないと通れない。
もし手形を持たず越えようとした場合は、磔(はりつけ)。
良くて、さらし首。。という惨い刑だった。

三十路前だが漲る若さがあり、
分別はあるが怖いもの知らずの無鉄砲、
色んな人に出合い、騙され、諭され、意外な自分に巡り合う。
<抜け参り>は自分たちが見えていなかった絆や夢に気づかせてくれた。
朝井まかて氏の「ぬけまいる」は江戸女の清々しい小説だった。

江戸時代、こんな無謀な者たちが沢山いた。
乞食のような有様でも、お詣りに行った旅は勲章のように晴れがましかった。

生き抜くうえで、
晴れがましい気持ちを抱くことは宝物を持ってることと同じだと思う。
これほど幸せなことはない…

本を読み終え、ナニカ寂しい。
・・・
晴れがましいモノを手にしてる、、?とおのれの腹に力を込めた。。



◇朝井まかて「阿蘭陀西鶴」◇

大阪が生んだ俳諧師であり、
後にベストセラー作家になる井原西鶴と娘おあいの物語り。

二十代から俳諧で名を馳せるも、四十を機に浮世草子を書き始める。

「好色一代男」や「世間胸算用」など
大阪の版元では絶対売れないとされた<好色もの>や
<金儲けのための私利私欲>を題材にしたものを書き続けた。

大阪の版元の予想は大きく外れ、ベストセラーに。
その勢いは江戸にまで及んだ。

西鶴は二十五歳の妻を亡くし、長男と次男を養子に。
九歳の長女おあいと生涯を共に生きてゆく。

ここまで書くと、
江戸の浮世絵師 葛飾北斎と娘お栄のようだが、
全く違った。

おあいは目が見えなかったが、九歳までに家事全ては母親に仕込まれていた。
ただ一つ出来なかったのは、父親西鶴を好きになれなかったこと。

どんなに親が子を慈しむ心でいても、
子供はちょっとした親の言動が許せなかったりする。

読んでいると、思春期の自分の事を描かれてるような気持ちに。
大阪弁で書かれているため、読み慣れるまでは大変だが、、
親子の深く赤々とした情愛が沁み渡る締め括りだった。



「阿蘭陀西鶴」を読んでいて上方の江戸に対する意識が面白かった。
大阪のどの版元でも断られた小説。
打つ手のなくなった西鶴は、
「しょうがない。。」と観念し、江戸の版元に出版を依頼。
これが大当たりするわけだが、江戸は相当格下に見られていた。
正に元禄時代。
江戸は庶民から生まれた独自の文化や食が、花開いた時期だった、、


上方は商人の町。

かなり封建的で江戸とは真逆の価値観。

おなごは器量よしで何も知らない従順な娘がもてはやされた。

家族での外食は体裁が悪いとされ、お茶とご飯だけでも家で食べた。

京は特別で、京に付随する大阪が一番というプライド。


江戸時代の上方と江戸はこんなにも真逆だった。
そして江戸時代が終わりを告げ、天皇が江戸に入ると「東京」に。
京の東と名付けられた。。。。

そして大阪はなぜか<おかん>の天下になった。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
楽しい (たか)
2017-05-20 22:33:58
いつも興味深く拝見しております。
楽しいですね、浮世の世界
な・ななんですか。
強烈な お○○に宿六は・・・(爆笑)
Unknown (小豆 ママ)
2017-05-21 20:24:12
娘の卒論のテーマが井原西鶴なんです
朝井まかて「阿蘭陀西鶴」
今 娘と一緒にブログを拝見し
とても興味を持ちました
早速 読んでみるそうです
有益な情報をありがとうございます

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