GREEN BABY DIARY

グローコウマの物語

長谷川町子が亡くなった日 60歳

2017年05月27日 | 物語
先日 ラジオでpantaさんが喋っていた

久しぶりに頭脳警察のサウンドを聴いた

もっと聴きたくなって

心を発散したくなって

ユーチューブで聴いた

大学生のころ

学校なんか辞めてしまえ

と思っていたころ

ライブハウスで聴いたサウンドがはらわたに染み渡る

目が見えにくくなったせいか

音に敏感になっている

気のせいか

ラジオで流れる英語もよく聞こえる

三里塚空港が開港されてしまった日 60歳

2017年05月20日 | 物語
ビッグコミックオリジナルの購読をやめた

拡大読書器で漫画を読むのが辛くなった

一コマ一コマをずらして文字を拡大しながら

絵と文字を見るのはかなり疲れる

数ページの一つの漫画を読むのにどれだけの時間かかるのだろう

オリジナルを読み始めたのは大学の学生寮に住んでいた頃

同室の奴が読んでいたのを回し読みで読み始めた

40年以上も前のことだ

あの頃から欠かさず読み続けている

13号分も積まれた状態で

完読できないままになっていた

もう限界だ

本日 資源ごみに出した

そして新たな号も買うのをやめた

名残惜しいけれど

できなくなることがまた一つ増えた

旅の日 60歳

2017年05月16日 | 物語
昨日は眼科通院日

眼圧は右目が21で左目が8

下がった

特に左目がかなり下がった

左目の中を診てもらったが

低眼圧によって網膜が剥離していることもないとのこと

オペ後で目薬処方でこんなに下がったのは初めてのこと

以前のオペ後の経過と違っている

今回のオペは良好な結果をもたらしている

右目はもっと眼圧が下がればいいのだが

眼圧はこのまま上がらずに維持されればいいのだが

最近 景色が靄がかかったように霧の中の景色のように 

湯気で曇った眼鏡を通して

擦りガラスを通して

物が見える

3年ぐらい前からそのような兆候が出てきていたが

悪化しているような気がする

ドクターによれば

中心が見える右目も

白内障の症状が進んできて

緑内障による視野欠損と視神経の減少とともに

見えにくくなっているとのこと

いずれにしてもこれ以上悪化しないことを切に願う


母の日 60歳

2017年05月14日 | 物語
「この子 ぼんやりやから」

「この子 ちかめやから」

何度 傷ついただろうか

我が子にそんな言葉を平然と他人の前で言う

母親と称する人物がいる

もう10年以上も会っていない

堪忍袋の緒が切れたからだ

そんな想いを抱きながら

今日の毎日新聞の記事を読んだ

日曜プライムくらぶに掲載の日曜ですよという

小川糸さんが書かれたコラム

うんうんと納得して読んだ

忌野清志郎が亡くなった日 60歳 

2017年05月02日 | 物語
昨日は眼科通院日

眼圧は右目が23で左目が16

前回よりも下がった

前々回とほぼ同じとドクターは言った 

±2ぐらいは誤差の範囲内だろうということだ

でも右目はもっと下がってほしいところだ

最近 右目の霞んで見える程度がひどくなったように思うからだ

暗い光の感度が低くなってきたように思う

前回の視野検査の結果では明らかにならなかったようだ

ドクターが以前言っていたように思う

自覚症状と検査結果とは必ずしも一致しないと

左目の中心部が見えていたらと最近つくづく思う

33歳ごろ地下鉄の駅名の表示板の輪郭線が

ずれて見えることに気付いたことが発端だった

町医者を経て紹介状を持って大学病院に行った

そのとき診てもらったのが今も診てもらっているドクター

左目の黄斑部は

最近テレビ等で図で見せられるような網膜の隆起程度ではなく

火山が噴火して黄斑部の下部にできた新生血管が破裂して

出血して噴火口のように口が開いていた

治療の施しようもなく

この範囲が広がらないことを願うばかりだった

おかげさまでその後広がることもなく

出血部は黄斑部で固まったままで噴火口を形作っている

その当時 左目も右目も眼圧が高いねと言われて

左目の黄斑部の経過観察とともに

左目と右目の眼圧の長い長い経過観察が始まった

左目と右目の緑内障だけならと思う

左目の黄斑変性の完成型がなければ

左目の真ん中が見えれば

とタラレバを言ってみたところでどうしようもない

加齢黄斑変性と世間では言うけれど

俺の場合は若年性黄斑変性かと自ら造語してみる

いずれにしても

このままの視野が維持されることを願う