団塊の青春と昭和の東京

昭和の名残りを求めて since2007・02・10

太宰が愛した跨線橋 ①

2008年11月24日 | Weblog

 0265 三鷹の跨線橋

急ぐ外出でもないので、武蔵境から三鷹までの一駅を歩こうと線路沿いを辿った。
途中、三鷹の跨線橋階段下に最近設置されたらしいガイド表示を見つける。
   
  跨線橋を降りる太宰(昭和23年3月) 富士には“跨線橋”がよく似合う?
太宰治が散歩に使ったというこの古めかしい“跨線橋”を十数年前から知ってはいたが、利用したことは年に1~2度位のものだった。
冬晴れの早朝、この橋から望む富士山は松竹映画のタイトル画面のごとく見事な姿を見せてくれる。
太宰もこの橋から『富岳百景』をイメージしたのでは・・と何かで読んだことがある。
この付近にも“月見草”が生えていたかはわからないが、富士には跨線橋も似合いそうだ。
この橋の階段下に今年設置されたらしいガイドには、トンビコート姿の太宰が下駄履きで階段を降りてくる写真が表示されている。
昭和23年3月撮影の写真がレリーフされていて、橋自体は太宰がゴールデンバットを燻らしながら歩いた60年前とまったく変わらないのがわかる。

今年は太宰が没して60年ということで、地元では作品の朗読会や、関係スポット散策会など、活発な様子が地元メディアやTVでも報じられているし、雑誌の臨時増刊号のテーマにもなっているほどだ。
6月の“桜桃忌”後も静かなブームは続いているのがよくわかる。
若者の活字離れが指摘されて久しいが、30代以下の参加者も多く、新しい太宰ファンが増えてきていることが窺える。
  「太宰が愛した跨線橋 ②」へ (クリック)
           
  
http://blog.goo.ne.jp/gooyokoh1919/d/20090614

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