伊予小松ライオンズクラブ  2R-4Z

“のんびりゆったり”の伊予小松ライオンズクラブのBlog

お知らせ≪ガバナーメール第9号≫

2008年05月27日 22時21分44秒 | Weblog
 クラブ事務局   今日の天気

≪ガバナーメール第9号≫  2008年5月27日

   ライオンズクラブ国際協会336-A地区  地区ガバナー 三谷 智省

 ツツジからアジサイへと季節の彩が移り変わって参りました。クラブ会員の皆様方もクラブ新体制移行の時期を迎え何かとご多忙のことと存じます。
 さて、昨日CSFⅡ世界報告について、我が地区の達成状況を濱田利男CSFⅡ地区コーディネーターより、皆様方にご報告させて頂きました。皆様方のご尽力のお蔭さまにて100%まであとひと息という所まで来ています。コーディネーターから「最後のお願い」としてご提案させて頂いていますが、ぜひ、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
 CSFⅡは、国際協会がその総力を挙げ3年間のキャンペーンとして取り組んでいる尊いプロジェクトです。わたくしも今期二大重点目標の一つとして掲げさせて頂きました。と申しますのも、それは地区をお預かりするガバナーとしての責務であり、このキャンペーンの成功に貢献することは、ライオンズクラブ国際協会に所属する者の大きな誇りであると確信しているからです。
 確かに、私達が暮らしている地域のニーズに合った奉仕活動を行うことは、とても大切であり意義のあることです。それはそれで大いに貢献して頂くと同時に、自分たちが所属している組織は「国際」と言う全世界をカバーして奉仕活動を展開している団体であることも事実です。この組織に所属しその恩恵を受けている限り、世界に対して貢献することも大事なことです。今や私達を取り巻く状況は世界的にグローバルに動いています。地域と世界は密接に関わっています。ぜひ、この認識のもと最後まで叡智を絞りCSFⅡへの更なるご協力をよろしくお願い致します。


小松町・・・その5

2008年05月23日 15時09分33秒 | Weblog
 クラブ事務局    今日の天気

≪小松藩会所日記≫ 西条の生活情報誌「彩西VOL.008」より

 この文書は、三代藩主直卿公が、毎日の執務を記録させたことから始まる。江戸時代の役所の業務日報といえるものである。一部欠落はあるが、享保元年(1716)から慶應2年(1866)まであり、現在176冊が所蔵されている。記録は毎日奉行が行うか、あるいは右筆によって記された。

 会所は、御殿の正面櫓門(やぐらもん)の前あたりにあって、通称「会所」と呼ばれ、小松藩行政の執行機関であった。その建物は、現在「仏心寺の庫裏」として移築されている。
   ※仏心寺……………代々の小松藩主の菩提寺  
   ※庫裏(くり)……寺の台所。転じて、住職や家族の居間。

 日記の内容は、毎日の天候に始まり、藩士と領民の日常生活から、災害、信仰、事件、御触書など、藩の表向きの顔とともに、現代に通じる「江戸時代に生きた小松の人々」の記録集となっている。小松藩史を知る上で、全国的にも類例の少ない、貴重な藩政資料である。

 なお、昭和62年(1987)からの「小松町誌」編纂事業にあたり、小松古文書研究会や、練馬古文書研究会をはじめとした、町内外の多くの方々のご協力によって、6年近くの歳月をかけて「会所日記」全冊が解読済みとなっている。


小松町・・・その4

2008年05月21日 10時42分14秒 | Weblog
 クラブ事務局    今日の天気

≪東西南北の地蔵尊≫ 西条の生活情報誌「彩西VOL.008」より
三代直卿公の時代享保8年(1723)天然痘が流行する。
悪病侵入阻止のために、町の東西南北に各々結界地蔵として、
「東町地蔵、西町地蔵、岡村の地蔵、新屋敷村北端の地蔵」が
それぞれ建立されたという。

≪宝寿寺:四国八十八ヶ寺62番札所≫ 西条の生活情報誌「彩西VOL.008」より
天正13年(1585)の豊臣秀吉による四国攻めで焼失し、
延宝7年(1679)一宮の地(現在の一宮神社)に移る。
大正12年(1923)国鉄予讃線の開通にあたり、
境内を鉄道に譲り線路の南の現在地に移転した。

お知らせ……中国・四川大地震救済速報

2008年05月19日 14時32分56秒 | Weblog
 クラブ事務局   今日の天気

≪中国・四川大地震救済速報≫  2008年5月16日

   ライオンズクラブ国際協会336-A地区  地区ガバナー 三谷 智省
 
 前略 先刻、日本ライオンズ連絡事務所、加計336複合地区ガバナー協議会議長を通じて、谷野国際理事からLCIF発信の標記の文書が別紙の通り入りました。この情報は国際協会のHP日本語版のトップページにもアップされております。http://www.lionsclubs.org/JA/index.shtml
 12日の大地震発生後5日が経ち、刻々報道されるニュースにその規模の大きさに驚き、また生存者の安否を気遣っておりましたが、国際協会の迅速な対応と、150万米ドルの寄付の情報を得て、暗闇の中に大きな光明を見た感じが致しました。
 また、世界最大の奉仕団体に所属するライオンズクラブ会員の一人として、国際本部の決断に対して敬意を払うと共に、「自分たちは善意に溢れる素晴らしい組織の一員である」という誇りをより強く感じることが出来ました。
 336-A地区としての対応は、未曾有の大規模災害であり、国柄も違うので、複合地区レベルで審議して頂き、日本ライオンズ全体の動きに合わせ検討していく所存です。
 もう一度書きますが「自分たちは善意に溢れる素晴らしい組織の一員である」という自覚を強め、本日お願いしました「仲間作り・会員増強・維持」に役立てて頂ければと存じます。
 先ずは、一刻も早く皆様方にお知らせ致したく送信させて頂きます。 草々


  LCIF速報 

ライオンズ、中国・四川大地震の救済に150万米ドルを寄付
中国国内唯一の国際ボランティア奉仕団体として、ライオンズクラブは差し迫ったニーズと長期的ニーズの双方に対応

2008年5月14日米国イリノイ州オークブルック発 — ライオンズクラブ国際財団(LCIF) は本日、中国国内でのライオンズ主導による救済活動に150万米ドルを投入する旨を発表しました。

ライオンズとLCIFは、5月12日の月曜日、中国中央部の四川省を襲った大規模地震による被災者の救済に向け、迅速に対応しています。香港・マカオのライオンズが60万米ドルに上る資金を集めた一方、LCIFでは切迫したニーズに対応すると同時に、医薬品、 衣服、毛布、浄水機器、さらには仮設住宅を提供するに当たり、その皮切りとして50万米ドルの交付金を交付することを決定しました。これまですでに5千張りのテントが住居を失った被災者のために送られており、今後さらに多くのテントが届けられる予定です。また、ライオンズは、香港と中国内における自らの広大なネットワークを駆使し、救援チームを被災地域に派遣することで、必要な物資の搬入と現地での救済活動にも力を入れています。

「中国国内で唯一の国際ボランティア団体として、ライオンズクラブ国際財団は現地のライオンズと一致協力して当面のニーズを見極め、対応できるよう取り組んでいます。被災地域内にはライオンズの草の根的なネットワークがあるので、救援物資を最も必要としている人々の手にかなりの早さで届けることができるのが幸いです」ライオンズクラブ国際財団理事長のジミー・ロス氏はそう語ります。

世界各地で発生する自然災害に対するのと同様、各国のライオンズ会員から寄せられる献金額は、最初の一週間で40万米ドルを超えるものとLCIFでは見ています。こうしていち早く集められた金額は、逼迫したニーズへの対応に充てられことになります。一方、今後ライオンズから寄せられる献金は、住宅や学校の復旧・復興作業、そして目の健康維持といった長期的ニーズに応えるために投入されて行く予定です。

ライオンズには、中国政府との協調を通じて人道奉仕を行ってきたという長い歴史があります。2002年以来、ライオンズクラブ国際協会は中国政府に公認された初の、かつ唯一の国際ボランティア団体としてその地位を保っています。さらに中国政府からは、四川・広東両省において二つのライオンズクラブの試験的結成を命じる行政命令が出され、その書面には中国首相による署名もなされました。現在、中国では79のクラブに1655人の会員、また香港・マカオで62のクラブに1429人の会員を擁するまでに拡大しています。

ライオンズの中国における奉仕活動は、1997年に『視力ファースト』プログラムと共に始まりました。『視力ファースト』はLCIFの手がける失明予防プログラムであり、予防可能な失明への取り組みと治療を目指すものです。LCIFでは『視力ファースト・チャイナ・アクション』と名付けられた実行計画に基づき、アイケア・サービスの強化と予 防可能な失明撲滅のため、これまでに3000万米ドル以上を投入してきました。そして、 これを受ける形で中国政府から2億米ドルに達する補助金が拠出されています。これらの資金により4600万件に及ぶ白内障手術が中国とチベットで実施され、眼科手術用設備が農村地域内104ヶ所に導入されただけでなく、訓練を受けたアイへルス従事者が、従来そのような専門家のいなかった地域に配置されるまでに至っています。このように、LCIFは貧農地域の人々に対して持続可能なアイケア・サービスを提供しているのです。

ライオンズによる救済活動支援のためにご献金いただく場合には、ライオンズ中国大地震災害救援基金と明記してください。いただいた献金により、当面のニーズへの対応から長期的復興活動に至るまでの幅広い活動が支えられることになります。尚、米国内居住者の場合、献金額は課税控除の対象となります。

小松町・・・その3

2008年05月15日 17時17分37秒 | Weblog
 クラブ事務局    今日の天気

≪MARUBUN≫ 西条の生活情報誌「彩西VOL.008」より
大正12年、小松駅開設と同時に現在地にて創業。創業者文吉氏の名前から「丸文」の屋号が生まれた。
店内にはMARUBUN「5つの約束」が揚げられている。人にやさしい、環境にやさしい店づくりをめざす。
できるだけ地産のものにこだわり、あくまで本物を追求する、週末には行列のできるイタリアンの名店。

…………………………………………………………………………………………………………

  ◇伊予小松ライオンズクラブ例会場(第1例会・毎月第1火曜日)
    MARUBUN2階で毎月1回、美味しいイタリアンを頂いております(^^)v
 
  ◇マルブンHP http://www.marubun8.com/
  ■マルブン小松本店  西条市小松町新屋敷甲407-1 TEL0898-72-2004
  ■マルブンダイニングキッチン  松山市三番町3丁目2-7 TEL089-986-6478 
  ■ピッツェリアマルブン  松山市南高井町1370-1 TEL089-975-3838 


 

小松町・・・その2

2008年05月12日 15時51分52秒 | Weblog
 クラブ事務局    今日の天気

≪荒木書店≫ 西条の生活情報誌「彩西VOL.008」より
 織田信長に反旗をひるがえした荒木村重の子、荒木角兵衛重勝は、一柳直末・直盛に仕え、一柳家相続・分地の際、直頼に従い小松に来たという。
 江戸後期、「銭屋」の屋号で本町に店を構え、明治から大正にかけては、家伝薬製造販売の「肝涼圓」という店を営んだ。昭和に入って、先代が本屋を営むようになり、現当主荒木 勉氏は、荒木家16代目の当主として教科書販売を専業としている。
 小松藩八代藩主一柳頼紹公の命により編纂された古文書「小松邑志」に、荒木氏家譜が伝えられている。
  【文化財指定の脇差】以前見せて頂いた織田○○からの拝領の品

     

小松町・・・その1

2008年05月09日 15時45分09秒 | Weblog
 クラブ事務局    今日の天気

常盤神社「おいべっさん」
商売の神様。天保12年(1841)八代藩主頼紹の時代、東町の現在地に移築される。当初は、町の繁栄を見守るべく西向きにたてられていたが、大正13年、国道を氷見へ真っ直ぐに通すため、社殿を北向きにして境内を国道に提供した。その時植えられたソメイヨシノ桜が今年も見事に花を咲かせ、町の人々を喜ばせている。・・・当クラブも毎年お花見をさせて頂いております。

  西条の生活情報誌「彩西VOL.008」より