本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

新宮・名古屋・飛騨金山(5)♪亀山~名古屋一泊。

2010-10-20 21:49:44 | 
13.亀山から奈良方面に行けないのでは選択肢がない。名古屋か手前の桑名・四日市あたりで宿をとるしかないが、名古屋以外は私は無案内である。

22:27 加佐登(かさど)。
22:31 河曲(かわの)。
22:45 四日市。四日市というと私はコンビナートと喘息を思い出すが友人は「競輪」だという。大阪から行くこともあるらしい。

23:00 桑名。焼きハマグリである。
23:04 長島。スパーランドだ。
23:07 弥富。金魚で有名。

23:31 終点名古屋12番線到着。あとは寝るだけなので、暫く駅構内と駅前を散策(放浪?)していた。駅前は正面と新幹線口両方を歩いた。新幹線口は戦後バラックが林立して、昔は「駅西」「駅裏」という一種差別用語で呼ばれていたそうである。名古屋に限らず、地方都市では新幹線は表玄関ではなく再開発の容易な「裏玄関」に作られたのである。
 新宮で買ったみかんは車中でも食べたが、この散歩で大半を食べ尽くしてしまった。酸味が強くなかったので食べ易かったのである。

00:55 新幹線口(太閤口とも言う)の吉野家で牛鍋丼(並)280円。日本全国同じものが廉価で食べられるということは貧乏人には有難いことである。個人経営の食堂ではとてもじゃないが250円とか280円とかの丼ものは出せないだろう。
 もう日付が変わっていたが宿探しを開始した。吉野家から直接フロントに行ける隣のホテルでは嘘かほんとか「満室です」とそっけなく断られ、それではと2軒目に行った一筋裏手の「第一スターナゴヤ」3F禁煙シングルに投宿出来た。時刻は1時半くらいだったろうか、小雨模様だった。

14.このホテルは「S5,800円」が定価だと玄関の看板に書かれているがそれは名目だけで、いつも「S5,290円」(税込)の割引料金で営業しているようだ。
 風呂に入り、深夜テレビもほどほどに2時過ぎに就寝。朝は6時に目が覚めたが二度寝して7時起床である。

 朝食サービスはなく、牛丼やカレーがなんと900円もした。終日「出入り自由」ということなので、それなら私だったら文句なしに、歩いて数分の24H営業「吉野家」へ行く。(私はホテルでは残ったみかん2つを食べただけである)

 アダルトは券売機でカード、PCも部屋で使うなら一泊千円のレンタル。ロビーに無料のPCがあると書かれていたが探しても見つからなかった。
 ここは困ったことに髭剃りがなかった。「フロントにある」と案内には書かれていたが、私のフロアには1つ200円の自販機があった。お茶パックは如何にも安っぽい緑茶が一つだけあって、それを飲みたかったらバスの水道から自分でポットにお湯を汲んで来て沸かす必要があった。クリーニングは高くて遅いし、ランドリーは私は使わない。マッサージを呼ぶ程リッチではないしで、総じてここは安いだけのことはあって処々のサービスが悪い「素泊まり専科」のビジネスホテルだった。「スーパーホテル」が名古屋駅前にもあった筈だが、あそこは確か駅から少し離れていたと記憶している。

 さて少しでも距離を稼ぎたかったらもう充分に出発してよい時刻だったが、私は新幹線駅前の「ビックカメラ」にカードその他を買う用事があった。あそこは10時開店なのでまだ2時間以上間があった。岐阜にも量販店があったと思うが所在地に自信がなかった。私が知っている「ビックカメラ」は東京と名古屋と京都と大阪くらいのものである。それでちょっと悩んだ。
 雨はすっかり上がって、晴れ間も見えて来た。テレビでは「名古屋の現在の気温は20.6℃」だと言っていた。涼しくなったものである。

 チェックアウトは11時とこれだけは随分サービスが良かったが、あちこちまだ行きたいところのある私にはそれでは都合が悪かった。それで冷たい缶コーヒーを飲んだり非常口からの写真を撮ったりして時間を潰し、きりのいいところで朝9時にホテルを出たのである。

============

古今和歌集、完全写本見つかる=漢字、仮名序文付きで最古-甲南女子大
時事通信 10月20日(水)18時7分配信

 最初の勅撰(ちょくせん)和歌集として知られる「古今和歌集」の歌がすべてそろった完全な写本が見つかったと、甲南女子大(神戸市東灘区)が20日、発表した。鎌倉時代初期の写本とみられ、序文として編さんの意義や目的を漢字で記した「真名序」と、ひらがなで記した「仮名序」がある完全な写本としては最古という。
 同大の米田明美教授(日本文学)は「古今和歌集が現在の形になるまでの経緯など、和歌の研究上、貴重な資料だ」と話している。
 古今和歌集は10世紀初頭、天皇の勅命に基づいて紀貫之らが選者となった最初の勅撰和歌集で、平安時代の貴族にとって必要な教養とされた。
 見つかった写本は上下2冊で、縦約16センチ、横約15センチ。どちらも220ページ前後あり、約1100首すべてがそろっている。古今和歌集はこれまで多くの写本が見つかっているが、鑑定の結果、書風や上の句と下の句の書き分け方の特徴から、鎌倉時代初期の1220年ごろから1240年ごろの間に、写されたと推定されるという。
 歌の数などから、小倉百人一首の選者としても知られる鎌倉初期の歌人、藤原定家が若いころに筆写したものをさらに写したとみられるが、誰が書き写したかは特定できないという。
 写本は、1982年に大学が都内の古書店で428万円で購入。貴重書専用の書庫に保管されていたのが2008年9月に見つかり、鑑定作業を進めていた。 

============

行政訴訟却下 小沢VS東京地裁 第2R突入
【政治・経済】
2010年10月19日 『日刊ゲンダイ』掲載

「重大な瑕疵」と即時抗告の構え
 東京地裁の判断は、案の定、NOだった。東京第5検察審査会の起訴議決をめぐり、小沢一郎民主党元代表側が求めていた検察官役弁護士の指定の仮差し止めなどについて、東京地裁(川神裕裁判長)が18日、申し立てを却下する決定をしたのだ。
「検察審は準司法機関であり、行政訴訟にはそぐわない。議決は行政処分には当たらず、行政訴訟の対象とならない。刑事手続きで争うべきだ」――。これが地裁の却下理由である。小沢側が行政訴訟を起こしたのが15日。わずか3日で“門前払い”。何事もチンタラの行政に比べ、司法当局の迅速判断には“脱帽”ではないか。
 もちろん、小沢サイドは黙っていない。「議決には重大な瑕疵(かし)があったのに、起訴前に救済されないのは遺憾」として、近く即時抗告する構えだ。
 判例がなく難しい話だが、地裁の判断を専門家はどうみているのか。元東京地検検事の落合洋司弁護士はこうみる。
「検察審査会は刑事手続きの一環としてとらえられており、今回のような事態(行政訴訟)を想定していない。(新たな“犯罪事実”が加わるなど)審査会に問題があるとはいえ、手続きの不備、違法性などは公判で争う余地が十分ある。裁判所はそれらを含めて判断するはずだ」
 検察審の密室性、運用のあり方と、今回の行政訴訟は次元が別ということらしい。もっとも、小沢側だって、司法当局の出方は分かっていたはず。それなのにあえて反撃に出たのはなぜか。
「ここまでは、小沢弁護団も織り込み済みでしょう。今回の起訴議決は政治家に適用された初のケース。それだけに慎重な判断が求められたのですが、2回目の議決で告発容疑にない新たな“犯罪事実”が盛り込まれるという異例の展開となった。そこで審査のおかしさを世間にアピールするために、あえて却下を覚悟の上で行政訴訟を起こしたのでしょう。最終的には裁判でとことん争う覚悟ができていると思いますよ」(憲法学者)
 小沢VS.司法の闘いは始まったばかり。「憲法違反」と指摘する声もある。旧体制の一方的な攻撃に、小沢陣営はとことん反撃すればいい。心ある有権者は理解するはずだ。

============

国民のための小沢派か 私欲の反小沢派か
【政治・経済】
2010年10月21日 『日刊ゲンダイ』掲載
小沢一郎と民主党は運命共同体

 小沢一郎はこのまま葬られてしまうのか。残念だが、状況はその方向へ急ピッチだ。検察ばかりか裁判所、弁護士会まで一体となった疑惑だらけの検察審「強制起訴」議決。これに勢いづいて、自民党など野党は補正予算と引き換えに「小沢喚問」を要求し続けている。
 メディアはメディアで「問題から逃げるな」と民主党執行部を突き上げ、小沢を離党させ、はぐれガラスにしようと粘着質の追い込みだ。議員にとどまる小沢をますます悪人に仕立て上げ、イヤミで「党内は小沢離れも」と書くことも忘れない。そのせいで朝日や共同通信の世論調査は、6割が「離党しろ」、5割が「議員辞職しろ」だ。
 まさに小沢は雪隠詰めである。これに気をよくしてか、民主党内の反小沢派の頭目である仙谷官房長官は、悪人ヅラに磨きがかかり総理気取りも板についてきた。いずれ、小沢が強制起訴され「刑事被告人」になれば、弱腰の菅首相をけしかけ、小沢切りを決断させるのは目に見えている。
「刑事被告人」になった小沢は、表立った政治行動を取れなくなるし、裁判闘争に精力と時間のほとんどを割かざるを得なくなる。離党しなくとも、復権への展望は描けず、“生殺し”状態だ。
 こうして小沢の政治生命は奪われていくのである。

●小沢なら今度の補選も負けない
 だが、本当にそれでいいのか。小沢あってこその民主党だということを忘れちゃいけない。06年に小沢が代表になる前の民主党はサークル活動集団にすぎなかった。それを筋肉質の体育会に変身させ、参院選、衆院選で勝利し、ついに政権交代へ導いたのが小沢だったのではないのか。ここぞという節目の選挙で、自民党政権に打撃を与え、党内を奮い立たせてきたのも小沢だ。
 今度の24日投開票の北海道5区補選だって、小沢だったら違う展開になっている。
「北教組事件で民主党議員が辞職したやり直し選挙なので、民主党はそもそも劣勢。だから岡田執行部は街頭演説など形だけでヤル気がありません。
 これが小沢さんだったら、官公労が動けない分を連合がカバーするようにし、鈴木宗男さんの新党大地に頼んでテコ入れをする。水面下で組織を動かすでしょう。今回、公明党は自民党の町村さんですが、小沢さんが民主党の選挙を仕切っていたら、公明党だって動きが違っていたと思います」(政治ジャーナリスト・野上忠興氏)

●エンジンのない車で走るのか
 ここで自民党の町村を落とせば、7月の参院選大敗の暗いムードが変わるが、菅政権にはその発想がない。11月の沖縄県知事選も候補者が立てられず不戦敗のブザマさだ。菅政権は、自分たちが火をつけた普天間問題なのに、無責任に逃げるだけ。小沢だったら自ら先頭に立って自民党と戦ったに違いない。
 9月の代表選で分かったように、小沢の政治に対する覚悟は本物だ。自民党を離党してからのこの20年間、連立政権に入って裏切られもしたし、小政党の野党暮らしもあった。浮き沈みがあっても真の政治主導を実現するため、歯を食いしばってきたのだ。その情熱と執着力が、民主党を大きくしてきたし、政権運営には不可欠な要素なのだ。前出の野上忠興氏は、「小沢さんの発想力や考え方、権力と官僚の使い方は、他の政治家には真似できません」と言ったが、仙谷や菅は、それを葬り去ろうとしているのだから気が知れない。
 小沢は、車に例えればエンジンだ。外からは見えないが、エンジンが壊れたら車は動かない。民主党議員は格好よくスポーツカーのように走るのが好きだが、エンジンなしでどうするのか。民主党と小沢一郎は運命共同体なのだ。その政治生命をそぐことは、イコール民主党の消滅を意味するのである。

============


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。