本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

瑠璃光院特別公開♪

2010-11-26 04:18:16 | 
さて紅葉狩である。どこでもいいから一度は行っておかないと私は年が越せないのである。関西は概ね12月上旬まで見頃が続くということであるが、いつ嵐が来て紅葉が散ってしまわないとも限らないので、行けるうちにどんどん行ってしまった方がいいのである。で、どこに行くかであるが、確かNHKで岩倉実相院の紅葉を紹介していたので、名物「床もみじ」というのもあるし、そこに決めた。私は行ったことがなかったのでこの際ちょうどいいと思ったからである。叡電岩倉駅から徒歩20分ということだったが、道中工事中で混雑した箇所があった上、元々私は歩くと直行せずあちこち見て廻る癖があるのでその倍またはそれ以上かかった。実相院へは岩倉駅から(或いは四条河原町からでも)実相院行きの市バスが(京都バスも)出ているからそれを利用することも出来た。ところが現場に着くと入り口に「入館後は写真撮影禁止」とあったので、別に拝観料500円を惜しんだわけではなかったが、思い切ってここはパスすることに即断して門前・門内の手頃な紅葉写真を撮って済ませた。とにかく私の場合ブログに載せる写真を撮るために出掛けているので、それを禁止されたのでは話にならないのである。「目で見て感動しろ」と言われても、そんなものは一晩寝ると忘れてしまう。ぁそ。幸い叡電沿線には他にも紅葉スポットが目白押しで行き先選定には困らなかった。沿線地図を見て、次は叡電の支線(←いや実は「叡電」というからにはこちらが本線で、長い鞍馬線の方が支線ということらしい。汗)の終点・八瀬比叡山口駅から徒歩3分という瑠璃光院に向かった。ここもテレビでやっていたからである。もしここも撮影禁止だったらまた鞍馬とか別の名所へ行くつもりでいたが、こちらは拝観料は同じ500円だったが写真撮影フリーで、しかも見た目が狭い割りにアングルは実に豊富だったので、私は充分過ぎる程沢山の写真を撮ることが出来た。ご満悦の私が駅に戻った頃は既に四時近く、早い時間に大阪を出た割には廻った先が二箇所だけというのは少な過ぎたが、五時ともなると「秋の日は釣瓶落とし」で、今度はもしどこかへ紅葉狩りに行くのなら清水寺等「夜間ライトアップ」の場所へ行かなければならないのでそれは止めたのである。w . . . 本文を読む

キモイ。

2010-11-23 16:44:49 | 社会
「キモイ」という言葉は「気持ち悪い」という言葉の省略形として発生したものであるというのが私の理解するところであるが、今はその出自とは無関係に広く使われている「女性用語」である。男も使うがそれは若い女の子に引き摺られて使っているのだろうと私は勝手に解釈しているのである。「若い女性」と言ったところで、私の歳であるから十代(未満?)から三十代くらい迄の幅広い年齢層を指して言っている。私自身は幸いにも街頭などで面と向かってこの言葉を投げ掛けられた経験はないが、無論陰に廻って「キモイ」と言われている可能性は充分にある。私が気づかないだけの話である。これを自分の耳に届く範囲で何回も言われることは、若い女性の内面をこの上なくひどく痛めつける効果があるようで、その他「臭いと言われた」「無視された」などを苦に子供は今一気に飛び降り自殺まで敢行し、遺書には「あんな学校に行くくらいなら死んだ方がマシだ」と書き綴るというのである。昔からそうだと思うがいわゆる「いじめ」なるものは単独で挙行されることはない。「いじめ」は最低でも数人から多いときは学級全体で、ときにはこれに担任まで加わって日々行われている。母親の国籍をからかわれて一人で給食を食べていた子が自殺したが、学校側と教育委員会は彼女の自殺といじめとの因果関係をいまだに認めていないのである。「少子高齢化社会だ。大変だ」とメディアは連日騒ぎ立てているが、その甲斐あって老人は殺されて金品を奪われ、子供はいじめられて自殺に追い込まれているというのが我が国の現況である。「いじめの先頭に立った子供らの親の顔を見てみたい」と人は言うかも知れないが、私は彼らの親が格別極悪だったり非常識だったりする可能性は殆どないと思う。そういう問題ある親だったら、他人の子を云々する以前に自分の子や親兄弟姉妹を迫害しているだろうからである。普通の親の普通の子供が毎日いじめに手を染めているのである。ではなぜ、普通の子供たちがいじめに走るのか。私はその主要な要因の一つは(月並みだが)自衛の防御本能の発露であると思う。今の子供たちにとって社会は怖い社会なのである。「やられる前にやれ」「いじめられる前にいじめてしまえ」である。複数の側に立って一人の級友をいじめている間は自分に矛先が向かって来ることはない。その意識はハンカチ王子の「仲間」意識とそう遠くない場所にあるのだ。 . . . 本文を読む

国際劇場上映中♪

2010-11-22 12:45:28 | 
システムと言い制度と言うが、何か建物があって各階があり、間仕切りがあってデスクと椅子があり、PCその他備品等々があることをもってシステム・制度と呼ぶのではない。無論それらもシステムの重要なファクターだが、それがメインではない。システムの基本は人脈=人と人の繋がり、その在り様である。人間社会の基本は個々の人間とそれぞれの連関なのである。小泉父の治世下、恥も外聞もなく権力とタイアップして狂乱の劇場型報道を繰返して来た報道各社は、これを通じて誤った「自信の如きもの」を身につけた。とりわけ目に余るのは今や社内でも枢要な地位を占めるに至ったTBSの岩*、岸*らとその手下たちである。読売のナベツネなどはあれだけの人物だから何か言えば速攻で叩かれるが、奴らは小物だからそういうことはない。それをいいことに、奴らは「公平・中立」の名の下に日々大法螺を吹きまくっている。あれだったら「武部は親友だ♪」と自分の番組内で明かしていた「朝ズバッ!」のみのもんたの方が正直でなんぼかマシである。私は現・管内閣などは爪の先程も支持していないが、その私の目にも、報道各社は今やすっかり一列横並びで自民党の(大して賢そうでもない)「戦略」に呑み込まれ、自民党のお先棒を担ぐ役割しか果たしていないように見える。「みんなの党」もまるで自民党の手先のようだし、この「アンシャン・レジュ-ム」は一体何だろうか。民主党はお粗末極まりないが、その前の自公政権はもっとひどかった「筈」ではなかったのか。今またあの「古き良き時代」に回帰したくなるような「雰囲気」をメディア総体が懸命に醸造しようとしているかのようであるが、しかし何のために!?食うためにか・・私は頭が悪いから奴らのアホさ加減のその意味がよくわからないのであるが、これを与太噺的に紐解くならば、かつて民主党を持ち上げて自公を政権の座から引き摺り下ろした同じ報道が、今度は民主党を総攻撃して自民+αを復権させようとしているということではないか。こうして報道の誘導で「二大政党による政権交代」を周期化しても自分たちは食うに困るわけではなし、逆にネタは無尽蔵となり、霞ヶ関を筆頭とする役所の連中も大喜びだろう。アメリカの二大政党制なるものも、つまりは根っこの部分はそんなところにあるのかも知れない。人間のやることには全て必ず裏があるのである。 . . . 本文を読む

尖閣ビデオ。

2010-11-15 20:57:15 | 
仙石が大音声で罵倒した『流出犯』は結局逮捕も起訴も出来ないまま帰宅を許されたわけであるが、この間自民党は何の手柄も上げず『敵失』のみで地方選3連勝で笑いが止まらない状況にある。アメリカにはWikiLeaksというのがあって、これはウィキペディアがYouTubeの『放送局』機能を特化した内部告発専門チャンネルで(←後註:これは当然無知による過ちである。ちゃい。ウィキリークスとウィキペディアとは無関係だ)米軍による中東の虐殺ビデオもメガバンクによる不正資金流用ビデオも何でも出て来るところが凄い。日本だとこうまでは行かない。せいぜい出て来るのはsengoku38程度のさもしくかったるいリークであるが、管・仙石体制をいよいよ窮地に立たせるくらいの効果は既に充分発揮したようである。一海保職員の恣意的な反乱が引き金となって打倒される政権というのも前代未聞で情けないことこの上ないが、このままではじりじりだらだらそうなっていくしかないだろう。この窮状を打破出来るだけの『起死回生の一手』などあの無能の管に用意出来るとも思われない。報道各社の扱いであるが、昨日TBS特番に出て来た田原の爺さん一人が『ビデオ流出であせっているのは中国だ。日本政府は痛くも痒くもない』とはしゃぎ廻っていた。田原は自分だけが持つ『人脈(=情報源)』が何よりも自慢らしいが、そんなものは眉唾もので誰も信用していないのである。そんな大切なものが田原個人の恣意独断に任されていていい筈がない。笑。NHKも先程田中均と立花隆の二人を呼んで何かしゃべらせていたが大したことは語らなかった。こうして見て行くと、我々一般庶民の『知る権利』と言ってみたところで、そんなものは単なるお題目以上のものではないように思われて来る。 . . . 本文を読む

日中首脳会談。

2010-11-14 21:44:12 | 政治
22分間の日中首脳会談である。中国側は「非公式の公談」(←『会語』と言って『会談』以下の格付け)という扱いだそうである。胡錦濤国家主席は愛想笑い一つ見せず、その顔は努めて無表情を作っていた。あれが現段階に於ける中国側の譲歩の限界だったのだろう。両者の握手は言わば「虚礼」そのものであり、かつての小泉父と金将軍との握手だってもっと「友好的」だったように思えて来るから不思議である。「10分間なら」とホスト国・日本のたっての希望を先方が受け入れたものを、管が更に伸ばしに伸ばして12分間の延長をかちとった結果の正味22分間という時間である。原稿棒読みの管が誇れるものはこれしかない。対する中国側はこのところ一時の強硬路線を引っ込めて、中国漁船の体当たり映像を流してみたり、或いは荒海に於ける日本側海保職員の中国船員救出映像を流したりしている。この様変わりは何かと言えば、中国指導部の中にも当然対日強硬派もいれば穏健派もいるということだろう。軍部がどうだとか経済界がどうだとかいろいろ当てずっぽうで推測する者がいるが「見て来たようなことは言うな!」ということである。管内閣の支持率急降下を受けて、民主党と自民党の支持率が拮抗し始めたそうだが、私に言わせればこんなものは「目糞鼻糞」の類である。 . . . 本文を読む

タブレットPCってか!?

2010-11-12 18:32:01 | web・メディア
管は無能である。少なくともあまり頭がいい、頭が切れるという印象はない。仙石は自らに忠誠を誓う者らへの恫喝と人心掌握術は心得ているようだが、それ以上のものはない。無能な管を尻目に一人でこの間国政を引っ掻き回し窮地に陥れたラスプーチンの如き感がある。以前この高僧役は竹中だった。中国船長の逮捕は石垣海保の専断・独断だったのかどうか、そもそも指揮系統がどうだったのかを我々は知り得ない。突然の「釈放」は明らかに仙石・政府からの指示によるものであるが、それを我が政府は「海保の独自判断によるもの」と無理矢理強弁させている。自民党・丸山は仙石との「電話会談」を国会で暴露したり、情報漏洩職員の弁護を裁判にもならないうちから早くも買って出たりと矢鱈目立っているが、これは用意周到が過ぎるのではないか。テレビには出るわ、国会で自分を「いい加減」呼ばわりした仙石の告訴を準備するわで、これもスタンドプレーばかりで調子に乗り過ぎであるが、もう止まらないだろう。小泉せがれが丸山からは一歩引いた発言をしていたことに私は注目している。この自民党のプリンス・御曹司にはそれ相応ブレーンが付いていて、間違っても『軽挙妄動』はさせないようだ。馬淵国交相は一体傘下の海保職員らを掌握しているのか。そもそも民主党政府は検察ー警察総体を掌握しているのかどうか。彼らの『人心』なるものはいったい奈辺にあるのか、これも大いに疑問である。第一彼ら民主党新政権は今やいったい何をしたい政府なのかさえも不鮮明になってしまった。いずれにせよこの中国漁船問題はあちこちに飛び火しそうな雲往きだが、自公以下野党各党にもこれを「徹底追及」するだけの腹は据わっていないように見受けられる。これでは仙石にもsengoku38にも舐められるだけだろう。お先真っ暗である。 . . . 本文を読む

トビタシネマ上映中。

2010-11-11 20:43:54 | 
中国にはビビル仙石だが、野党の攻勢など歯牙にもかけない様相で、小沢さんは「私なら中国人船長は帰さない」とにこにこ動画で言ったそうだが、「小沢さえ除けばあとは怖い者はいない」とでも言いたげな昨今の仙石である。いつから奴はこんなにのさばり始めたのか、民主党という政党も、結局いつも誰か親分に牛耳っていて貰わないと政党としての体裁を保てないところなのだろうか。官房長官でない方の「sengoku38」もこれはかなりのしたたか男で、彼にはまだ裏がありそうである。今の政権にそもそも事件の真相を解明するつもりがあるかどうかも不明であり、野党は皆「政局にしたいだけ」とあっては、こちらとしてもそうそう真面目に付合ってもいられないのである。 . . . 本文を読む

犯人探しは面白い♪

2010-11-06 14:28:50 | 社会
さて、ネタ元は割れたようだから「犯人」は早晩特定されて白日の下に晒されるだろう。処分がどうなるかは目下のところ不明でわからないが、誰にどんな処分をしたところで、彼は明らかに(まるで今流行の「龍馬伝」の如き)「憂国の士」きどりの確信犯に違いないから、自分の素性が割れた場合どうころんでも自身が獄に繋がれるであろうことは百も承知の上の今回の「挙行・犯行」であったと思われる。結局仙石・管らは体面上彼を裁判にかけ「法に基づいて」この国家的ヒーローを投獄せざるを得ないだろうが、その結果「民族の英雄」呼ばわりされるのは管でも仙石でもなく「国家機密」を漏洩した彼の方である。YouTubeにビデオが流された時点で現政府の負けなのであり、この事件で倒閣の時期が加速度的に一気に早まった可能性はある。元々国会議員数人にしか(それも7分間に編集されたビデオをである!)見せないでお茶を濁そうとした政府のやり方自体が我々一般国民の「知る権利」をないがしろにしたふざけ切った方便であるのだから、私個人としては彼の忍者のような「機密漏洩犯」に拍手喝采、座布団1枚進呈したいところである。第一こっちの映像は加工前の生ビデオにより近く、6本で計44分間もあるというのである。その結果「7分間」の方を見せて貰って得意満面だった「特権好きな」連中の面目も同時に丸潰れになったのだからざまあない。いい気味なのである。笑。今や官僚らに操縦されることを無上の喜悦と感じているマゾ的内閣は、官僚のお膳立て通りにへえこらと動いた結果、今度はその飼い犬(の末端もしくは上層部に)急所を咬みつかれたのであるから「どこがシビリアンコントロールか?」「この人たちって本当に大丈夫か!?」という話になって来るのである。今政府の側は「(仮にYouTubeの協力を得て)PCのIDが特定されても、それがただちに流出犯の特定には至らない」だろうとしきりに煙幕を張っているが、これは見苦しい時間稼ぎ以上のものではないのだ。 . . . 本文を読む

ネットの友達♪その後など。

2010-11-04 12:31:59 | 社会
「日本語の説明が難解で雨風呂を始められない」と嘆いていた私らの某ネット友だち(20代前半の女性)は既に一ヶ月も前から中国語でのアメーバブログを開設していて、結構マメに恋の悩みなどを書き綴っていた。今日はその辺の話題を書いてみる。彼女は「blogを始めた」とは言っていたが、アドレスとかは教えてくれなかったので私らは「まだじゃないのか・・」と勝手に解釈していたのだが、私の方で「ルーム(ブログの常設窓口)」や「ペタ(blogの足跡機能)」をチェックしていれば、彼女が既に発進していることは容易に確かめられたのである。多分私の紹介した中国人から開設法を詳しく教えて貰ったのだと思う。その人も中国語だけでblogを書いているからである。私らもそうだが(はあ?)二人ともピグの海外版=ピコにはあまり熱心ではないようだ。笑。彼女は「ピグとも」も52人いてその数は私らの3倍であり、ペタ(足跡マーク)の絵柄もマンモスになっているから毎日数百人は来ている計算になる。ただこのペタというのはこれだけで特化している一種挨拶機能に過ぎないから、ブログのPV数とは直結していない、いわば「虚礼」なのである。まあしかし彼女は頑張り屋で、しかもやることが速い。こちらは完全に脱帽で、最近はこちらの方が「頑張って!」と言われている始末である。あちゃ。ちなみに「頑張りなさい!」という命令形は中国語では「加油!」でいい。*あとはYouTubeへの例のビデオ流出の問題である。オリジナルの投稿はすぐ削除されたということであるが、そこはあなた、何十万もアクセスがあればコピーが氾濫するのはあまりにも当然の推移で、メディアがあんまり騒ぐので私も野次馬根性丸出しでYouTubeに行ってみたのである。『本当の尖閣』で検索すると、二次三次の投稿は幾らでも出て来る。便利な世の中である。笑。ただ私のように映像を分析する気が皆無な者にとっては繰返し見る程の魅力はない。私は頭の2本だけ見て飽きてしまった。原本の投稿者はsengoku38と名乗っているとのことで、私の直感ではこれは歴然とした倒閣運動である。首尾よく倒閣が成るかどうかは私の関知するところではないが、この仕組まれた陰謀は見事である。今の政権は保守派にも官僚にも海上保安庁にも嫌われているのである。無論我々アホな一般市民にも既に充分見放されていることは言うまでもない。 . . . 本文を読む

苔寺・鈴虫寺♪

2010-11-02 20:58:52 | 
大阪ー京都のJR昼特が1枚余っていたので、また京都へ行った。特別に行きたいところもなかったが、とりあえず改札を出て京都駅前のバスターミナルを回っているうちにふとカードの自販機が目に入り、その中から千円の『都カード』(一応新発売?)というのを1枚思いつきで買ってしまった。汗。市バスカードの500円券というのもあったがこれは市バスと地下鉄にしか使えない。『都カード』を売り出しているのも同じ京都市交通局だが、これは『スルッと関西』のカードなので近畿一円の(JRを除く)私鉄や地下鉄・市バスが全部乗れて非常に便利である。但し便利なだけで特典とかお得とかは皆無である。あちゃ。それで、買ってすぐ目の前に『京都バス』(←市バスではない)の『太秦・嵐山方面苔寺・鈴虫寺行』乗り場に今にも発車しそうなバスが待機していたので、何も考えずについうっかり(はあ?)乗ってしまったのである。勿論カードが有効だったからだが、一応の大義名分的理由としては、京都の紅葉状況を自分の目で確かめたかったからである。渡月橋へ行けば凡その感じは摑める筈と思った。猛暑の今年は北の方でも紅葉は異常を来たしており、赤や黄に色づいていい筈の木々の葉が軒並み落ちたり黒ずんだりしているというのである。これが今年だけの異常現象に留まる保証など何ひとつないのであるから困ってしまう。1年のうち冬が四ヶ月、夏が四ヶ月、梅雨が二ヶ月で、残りが束の間の春と秋ということでは、我々の『四季』というものはいったいどうなってしまうんだろうか。・・そういうわけで、私は小雨ぱらつく中、洛西を軽く廻って来たわけである。 . . . 本文を読む