8月21日に書いた記事「挑みます!」は、俺自身をアホだと認めた上で、
諦めないという姿勢を書いたものです。
その背景には、妻や子供達が支えてくれているというのがあります。
到底、俺1人で、勝手に出来るものではないからです。
8月24日に、ニコ生で、「ひきこもり社会日本 ~非モテからリア充へ~」を
見ました。
この番組に、自由意見をメールで、送りました。
「ひきこもり」の結論は、出なかったが、「ひきこもり」という事に目を向けさせる事
は、出来たし、感心を持つ事も出来たのではないだろうか。
今、俺は、この本を、コツコツと読んでいます。
社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書) | |
斎藤 環 | |
PHP研究所 |
齋藤 環先生は、
『時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環』を読んで。の記事を書いたが、
「ひきこもり」に対しても、見識が高い方である。
「引きこもり」について、
俺自身、詳しく知っている訳では、ないので、偉そうな事は言えないけれども、
「ひきこもり」という言葉に甘んじて、
誰かのせいにして、
何かのせいにして、
諦めるのは、止めよう!
自分自身の問題と捉えて、前向きに、進む。
これは、
俺自身に、言い聞かせてます。
『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。
① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。
この記事(今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。
どんなことでも言えることですよね。
人や何かのせいにしているうちは、何も変わらないと思います。
それも、人に言われたからといってそういうことに気付くわけでもなく、自分自身が心からそう思えるようにならないといけないんですよね。
ある程度の経験も大事なのかな。
引きこもってないで、出来る範囲でいいので、何か経験してほしいね。
いつか気持ちの変化が起きた時、「ひきこもっていた時間」もいい経験になるんだと思う。
自身のこともありますが、子供のことで少し悩んでいることがあるので、そのことを思いながら書いてみました。
さくらこさん。
コメントありがとうございます。
>それも、人に言われたからといってそういう ことに気付くわけでもなく、自分自身が心か らそう思えるようにならないといけないんで すよね。
俺自身の体験からしか、お話出来ないんですが、心からか、どうかは別として、周りに支える人達がいて、自らが気づく必要があると考えています。
>ある程度の経験も大事なのかな。
引きこもってないで、出来る範囲でいいの で、何か経験してほしいね。
いつか気持ちの変化が起きた時、「ひきこも っていた時間」もいい経験になるんだと思 う。
ん~
「ひきこもり」の中で、俺のように病気で「ひきこもり」の方を対象に考えた場合、今の現状で、俺自身が社会適応・社会復帰してないので、いい経験になるか、どうかは、分からないですねえ。
これは、俺自身が社会復帰後、どう考えられるかという事だと思います。
俺自身の体験からしかお話出来なくて、コメントされた答えになっていないかも知れません。それについては、申し訳ないと思います。
ただ、俺自身が、このブログで言ってるように社会適応・社会復帰出来るのか、どうか、見守って頂きたいと思います。