第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

『自分のために生きてみよう』②

2010-07-17 17:36:57 | 俺とは(終)


前に書いた、『自分のために生きてみよう』の続きです。

『自分のために生きてみよう』を書く前に、人間や病気などを理解する事について、
書き、その上で、自分自身が「幸せ」だと思える事について書きたいと思います。

まず、
人間や病気などを理解する事というのは、
体験からしか話せないけど、
健康なとき、自分を理解して欲しい。という欲求が、頭のどこかにあった。
自分を理解しない相手から、何か言われたら、不満がつのり、ストレスに
なるのだと思う。
病気になれば、尚更、自分を理解して欲しい。+病気を理解して欲しい。と
健康なときよりも、理解を求める事に拍車が掛かってしまう。


病気になってから、
自分を理解してくれ、病気を理解してくれと、約6年、言い続け、相手が理解
していない。又は、理解しようとしないと感じたら、家族を含め、怒りで暴言や
暴力行為をしていた。
約、6年が過ぎた頃から、相手は、自分の事や病気の事が分からないんだ。
と思えるようになった。
それは、
自分自身に向き合い、自分自身に問い、自分自身を見つめ直す。ことが出来る
居場所があったからだ。
その居場所は、妻や子供がいる、この家庭である。
これは、
『居場所』があるからこそ、俺が俺自身に問い、見つめる事が出来る。の記事で
書きましたが、それに気づいたのは、本当に、つい最近です。


相手が、自分の事や病気の事を理解出来ない。というのは、投げやり的、開き直り
ではなく、自分自身が、「何者であったのか」と今、考えれば、通じていたと思います。
自分自身が「何者なのか」を知っていれば、相手が理解出来ない事も自分自身で
理解出来る。

ですから、
今の自分に、
精神障害者
発達障害
キチガイとか
言われても、自分自身が「何者なのか」理解しているから、気にならないのです、

それよりも、自分自身の今の問題は、
衝動性です。
衝動性が出てるな。と意識的に分かるときもあれば、分からないまま出る事が
あります。
分からないまま出るのが、問題なのです。
分からないまま出た、事例が、
衝動性を自然に、引っ込ませるために。で書いた記事です。

どうも、
分からないまま出る、衝動性は、思考・感情・身体に関係しているのではないか。と
最近感じています。
感情が優先すれば、分からないまま衝動性が出やすくなる。思考が優先すれば、
衝動性は出ない。感情が優先して衝動性が出た場合、身体が、それに引っ張ら
れ行動する。
それとともに、性格上の「こだわり」が関係しているように思える。
これは、臨床心理士の方と話し合うとき、そのメカニズムを解明すれば、自分で
コントロール出来ると、言われてますが、簡単に、その事が分かると思えないので、
分からないまま衝動性が出た場合、妻から「出てる」と言ってもらう事にしている。
そうする事によって、自分自身、衝動性を抑える薬を飲んで、とにかく寝る事に
しています。
寝ているときは、衝動性を発揮したがる「感情」ですが、それと闘いつつ、薬が
効いてくると、抑えられ、眠ります。
起きてから、その衝動性が出た状況を自分自身の中で、なぜ出たのかを考え、
出る状況がはっきり、分かるときは、その状況になる前に、自分自身、回避しますが
出た状況が、曖昧なときは、今度は、「突き止めてやる」と思いつつ、日々の生活を
することにしています。
このメカニズムを、自分自身の中で、突き止め、自分自身でコントロール出来る事
が、今の課題です。

こう言った事を考えながら、行動していると、
これも、「こだわり」だと思いますが、
ある人が片方の人に、分かる。分かる。と言うのがある。
それは、
内容によりますが、自分自身に病気や課題を抱えている方に、安易に「分かる」
とは、言わない事にしています。
実際、相手の苦しさ・辛さが分からないからです。
この時の、「分かる」というのは、自分自身、嘘だと思っているからです。
しかし、
その苦しさや辛さは「理解するように努力する」と言うようにしています。
それは、
『分かる』ことと『理解できる』こと。の記事にも書いた通りです。


自分自身、日々、辛いことだけを考え、行動して、いたのでは、身が持たないので、
「幸せ」って何かな?と考えるようにしてます。
同年代の方なら、知っていると思いますが、



この歌詞の最後に、
「アホとあほのおもいやり」と歌っています。

今の自分自身、「幸せ」ってなに?と問われたら、
「アホとあほのおもいやり」と答えるんだと思います。
「幸せ」ってなに?とは、自分自身、今は、この程度です。


長々と書きましたが、
自分自身のために生きられない人間が、他人のために生きられない。
他人のために生きられない人間は、夫婦関係であっても生きられない。
他人のために生きられる人間は、夫婦関係を含めた家族の中で生きられる。
家族の中で生きられる人間は、社会の中で生きられる。
やっぱり、
自分自身のために、生きられないと、どこででも、生きられない。ということだと
思ってる。


開き直りや、投げ捨てるような
自分自身のために生きるのではなく、今の自分に言えるのは、
自分自身に向き合い、問い、見つめ直して、何者かを知った上
でのことだと思っています。

あくまで、自分自身の体験上から書いています。
それぞれの人間の考え方や理解の仕方が違えば、生き方も違ってくることを
追加して、おわります。




『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。


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