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小さな旅・・・北九州市 若戸大橋

2020年04月19日 16時28分40秒 | ハチパパのひとり言

毎週楽しみにしているNHK総合テレビ日曜朝の番組「小さな旅」。今日は北九州市若戸大橋のたもとで生きる人々の物語。

北九州工業地域の一角、石炭の積出港として栄えた町若松(現北九州市若松区)と、製鉄所のある町戸畑(現北九州市戸畑区)をつなぐ真っ赤な吊り橋・若戸大橋が、昭和37年完成した。当時東洋一とうたわれたこの橋は、戦後日本の重工業復興を担ったこの地区の誇りであった。その後石炭の衰退により時代は変わっても、人々は橋に見守られながら暮らしてきた。労働者たちの憩いの場「角打ち」発祥の地で今でものれんを守る男性、ソウルフード「天ぷら」を作りつづける老舗、60年近く橋のたもとで理容室を守る80代おばあちゃんなど、赤い橋のたもとで懸命に生きる人々の物語が放送された。 (NHK北九州放送局の内容紹介をヒントに記載)

この放送をみていて思い出すことがある。昭和38年の暮れ高校3年生の私は、浜松駅から夜行列車の急行高千穂号に乗って、九州の玄関口小倉駅を目指した。帰省客でごった返す車内は京都駅でデッキから乗れず、窓から乗り込む人もいて立錐の余地もなかった。私は立ちっぱなしで13時間半、小倉駅に着いたときは疲れ切ってしまった。

広島駅から先は電化されていなくて、蒸気機関車に乗り換えたのであるが、関門トンネル通過で顔が煤だらけになってたのも気づかず、出迎えの叔母さん(父の妹)が「トイチどうしたのその顔!」と言って、白いハンカチで顔を拭いてくれた。

小倉にはもう一人父の妹が住んでいて、何故小倉に住むようになったかはもう覚えていない。年上の叔母の旦那さんは小倉競輪場の中で食堂を経営していた。そしてもう一人の叔母の旦那さんは「月世界」という大きなキャバレーのバンドマスターをしていてサキソフォンを吹いていた。「月世界」は博多にもあって、福岡出身の同世代の人に聞くことがあると殆ど知っていると答えた。

高校で吹奏楽部に入っていた私は、おじの伝手で「月世界」に入れてもらった。おじの華やかなビッグバンドの演奏と、黒人歌手の唄う「16トン」は今でも忘れられない。卒業して2年目におじさんの真似をしてビッグバンド「楽団ジェリーメン」を結成、55年経った今も浜松で演奏活動をしている。

今日は若戸大橋が私の青春時代の思い出を脳裏に蘇らせてくれた。施設に入っている叔母一人を除けば、従姉妹家族が住み続けているが長年会っていない。

 

 

 

 

 



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