さっき戸塚駅から乗る時に、盲導犬を連れた女性が乗ってきた。30~40代と思われる。
咄嗟に二つ隣の女性が、盲人女性の腕を引っ張って「どうぞ座って」と、親切に全盲女性に声掛けして私の右側に座った。
盲導犬はゴールデンレドリバーで、ご主人である女性の「ダウン」の言葉にすぐ対応、女性の足元にお座りした。
男の私が全盲の女性に触れるのはどうかと思ったが、それはいい訳ですぐに行動できなかった自分が恥ずかしい。
テレビでは時々盲導犬のドラマや実話を見ているが、本物に出くわして何もできない自分が歯がゆい。
健常者の私は五感をいつも感じられるが、全盲の人は視覚障がい者である。見えないということがどんなに不自由な事か想像を絶する。
10年ほど前に、聾唖の同い年のいとこが亡くなった。病院に勤めながら好きな油絵を描き続け、ヨーロッパにも時々出かけていた。奥さんも同じ聾唖であったが、子どもは息子と娘で二人とも健常者。
その娘の結婚式に呼ばれてスナップ写真をいっぱい撮ってあげたが新郎は聾唖。この時、新婦がお礼の挨拶で「私は彼の耳になります」という言葉が今でも心に残る。正直、生れて来る子どものことを心配したが健常者と聞いてホッとした。
障がい者を持つ家族の苦労は大変だと思う。つい先日NHKテレビで、在宅死のドキュメンタリーを報道していた。80代のお父さんと全盲の娘との介護生活、訪問介護のドクターは、お父さんが死んだらこの娘はどうなると危惧する。
わが家もいずれ老老介護の時が来る。夫婦二人で、下の世話まで躊躇せず介護出来るよう今から心しておきたい。