●「イエスは涙を流された。」(ヨハネの福音書11:35)。
聖書は旧約新約の全聖書合わせて、31.000節ありますが、この「イエスは涙を流された。」という一節は、聖書の中では最も短い一節として知られています。英語では、「Jesus wept 」で、僅かに二語だけです。新約聖書の原語であるギリシア語では僅かに三つの単語しかありません。「エダクリュセン・ホ・イエスース」です。私はこの短い一節の意味を深く解説しようなどとは毛頭考えていません。私のよな凡人には、神の御子であられるイエス様がラザロの墓で流された涙の深い意味を十分には理解できませんし、それに説明を加えるなどということ自体、何か恐れ多いことのように感じるのであります。しかし、この短い一節は、ラザロだけでなく、神様の全人類に対する深い憐れみに満ちたみ思いが凝縮されているような箇所ではないだろうかと、最近ふと考えることがあります。(因みに、日本語の新改訳聖書では、自分が調べた限りでは、一番短い一節はルカ20:30です。)
人間は、いろいろな時に涙を流すものであります。悲しみ嘆く涙、同情して流す涙、後悔した時の涙、嬉しい時に流す歓喜の涙、その他言葉では到底説明のできない涙もあります。雄大な大自然の美しい景色を眺めていて、その背後にある創造者の神秘的な力に圧倒されて、何かわけもなく涙が頬に流れているという経験をされた方もおられると思います。私が若い頃のことですが、無人島の松前小島の灯台で働いていた頃、まだ夜明け前の早朝に起床して、東の水平線から海面を真っ赤に染めて静かに昇って来る太陽を眺めていて、なぜか涙が目からあふれ出て来たのを40年過ぎた今でも記憶しています。そして人が涙を流す時には必ず何かの感情が伴なうものであります。涙は、ある意味で心の中の真実を表すものであるように思います。もちろん、俳優は演技力によって、涙を自由に流すことができるようですが、これは例外的なことです。
15年ほど前になると思いますが、父が78歳の時、胃癌で亡くなりました。父が息を引き取ったのを悟ったそのとき、母は突然病室のベッドに伏していた父の亡き骸にしがみ付くようにようにして泣き伏していたのを思い出します。自分たちが子供のころから、病弱で随分苦労の多かった母でしたが、それでも、貧しい開拓農家で父と共に懸命に開墾のために鍬を振るい、農作業に汗を流して働き続けたのです。子供たち5人を育てるために極貧のどん底にあって、その苦労は、並大抵のものではなかったと思います。
そして、どんなに苦しい時にも母が声を出して泣いていた姿を見たことはありません。時々、悲しいかな、貧しさゆえに夫婦喧嘩をしている母の目に涙があったのを見たことがありますが、それは多くの場合、子供を守るためであり、常に子供の味方であり、母の優しさから来るものであったように思うのであります。その母がこの9月1日に肺炎のために病院で、静かに息を引き取りました。私は兄から電話で訃報を聞いても涙が出ませんでしたが、なぜか今頃になって、時々、自分が子供の頃の母の愛を思い出しては感慨に耽り、涙することがあるのです。悲しみだけではない、ことばに表せない複雑な涙です。
日本ではなぜか、泣いたり涙を流したりすることは、女々しいことで男のすることではないと昔から言われて来ました。男は「顔で笑って、腹で泣け」などと言われて来たのであります。私もそのように言われて育ったせいかどうか分かりませんが、大人になってから声を出して泣いたという経験がないように思います。確かに最近は、女々しいと思われても仕方がないような若い男性も多くなって来たように思うこともあります。しかし、世界の文学を紐解いてみても、男が泣いたり、涙を流すということは決して珍しいことではないのであります。聖書の中の章や節は近代になって聖書の印刷業者によってつけられたものですが、なぜこの三語だけを一節としたのでしょうか。その印刷業者もまた、「イエスは涙を流された。」というこの聖句に感銘を受けたのではないだろうかと推測される方もおられます。
イエス様が涙を流されたのは、死んだラザロの墓の前で、姉妹のマリアが泣き、一緒に来ていたユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった時です。死という冷厳な事実の前に、人は無力であり、人間の愛は引き裂かれ、泣く以外にどうすることもできないのであります。この事実をご覧になって、イエス様は「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて」(33節)涙を流されたのであります。イエス様が「涙を流された」のは、人間的には同情の心から出たものと思われますが、受肉されたイエス様の真の人間性を示すものであると思われます。主イエス様は「私たちの弱さに同情できない方ではありません。」(ヘブル4:15)と書かれています。しかし、イエス様の深い同情と苦悩の涙には、それ以上に、ラザロを死の支配から解放し、神のご栄光を現すための真の力が秘められていたものと思われます。そして、「霊の憤りを覚え」、イエス様の霊に激しく燃え上がった憤りは、「人類の最後の敵である死」(Ⅰコリント15:26)に対する挑戦の意味が秘められているのではないでしょうか。
ヨハネの福音書11章の初めに、「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。」(ヨハネ11:6)とありますが、初めてこの箇所は読む者には戸惑いを感じさせるのではないかと思います。愛する者の病気の知らせを聞いて駆けつけない者はいないはずであります。しかし、主イエス様は、ラザロの病気の知らせを聞いても、なお二日間同じ場所にとどまり、ラザロが確実に死へと向かうのをわざと待たれたのであります。一体、それは何のためだったのか。死にかけている病人を癒すよりも、死んで墓に葬られて四日も経て、腐敗を始めて臭くなっているような人を生き返らせた方が、さらに神の偉大な力と栄光を現すことができるのは間違いのないことであります。この二日間の意図的な遅延は、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子が、それによって栄光を受けるためです。」(ヨハネ11:4)とのイエス様のおことばが実現するために必要なことであったのです。
この11章では、イエス様がベタニア村のマルタ、マリア、ラザロの兄弟を愛されたことを、人間の情愛を指す動詞(フィレオー)を何度か用いています。イエスは温かい心の生身の人間として、彼らを愛されたことを示しているのでしょう。その愛が死によって引き裂かれ打ち砕かれる事実に、同情と共感の涙を流されたのです。このイエス様の涙は、主が私たちの悲しみを御自分の悲しみとしてくださっていることを示しています。聖書には「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12:15)とありますが、イエス様も泣く者と共に泣かれたのであります。神の愛(アガペー)は、人間の情愛(フィレオー)を否定するものではないのです。マルタやマリヤが、やがてラザロがよみがえることを知って喜ぶことを主イエス様は十分知っていたはずなのに、「涙を流された」のです。悲しんだり、涙を流すことと信仰は決して矛盾しないことを教えているのではないでしょうか。悲しい時には悲しみ、泣きたい時には泣いてもよいのです。
イエスはラザロを生き返らせるために墓に来たのですから、イエス様の流された涙は単にラザロの死を悼んでの涙ではないように思います。確かに同情の涙でもありますが、罪のために死を免れない人類の不信仰と不幸に対する深い憐れみの思いが含まれていた涙ではないであろうかと思うのです。しかし、イエスは涙を流された後、憤りを覚えながら、じっと墓を見据え、大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と、力強く死者に命じたのであります。すると、死後4日もたって遺体も腐敗し始めていたラザロが生き返って、手と足を長い布で巻かれたまま墓から出てきました。彼の顔は布切れで包まれていたので、イエス様は、「ほどいてやって、帰らせなさい。」と言ったのです。これは、何と驚くべきことでしょうか。そして、これらの事実を目の当たりに見ていた多くのユダヤ人が、イエスを信じたのです。ラザロの墓の前で、「涙を流された」イエス様と、死人に向かって「ラザロよ。出て来なさい。」と命じられたイエス様とは決して矛盾することなく、完全な人間であられ、また完全な神であられたイエス・キリストを十分に現しており、また調和を保っているのです。
新約聖書には、イエスが他に二度ほど涙を流され、また泣かれた事実が記録されてあります。一つは、イエス様が最後にエルサレムに入城されるとき、その都のために泣かれたのです(ルカの福音書19:41)。エルサレムが、彼らの不信仰のために紀元70年にローマ軍によって滅ぼされるのを予知してのことであろうと思われます。もう一つは、十字架を目前にして、ゲッセマネの園での祈りの時のことと思われますが、「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。 」(ヘブル人への手紙5:7)と、記されています。この時、イエス様は血のしたたりのような汗を流して祈られました。キリストは、全宇宙を造られた創造者であり、今も万物をご自身の力で保持しておられる偉大な御方であります。このような御方が人の姿を取られ、この世に下って来られて、人々のために汗を流され、涙を流され、最後には罪人である私たちのために十字架で尊い血を流されたのであります。私はこのようなイエス・キリストの愛に対して大きな感動を覚えずにはおられないのです。あなたは、どのように思われるでしょうか。
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