聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★聖書の権威について

2006-05-01 | 「聖書について」

 

 友人のクリスチャンから聞いた話ですが、最近新聞報道などで『ユダの福音書』に関する記事が話題になっていることを知らされ、改めて調べてみましたがそのような記事が確かに報道されています。しかし、真のクリスチャンはこのような記事の内容如何にかかわらず、聖書が神の唯一の啓示の書であり、永遠の真理であるという確信が揺らぐようなことはなく、惑わされるはずがありません。その新聞報道の概略は次のようなものであります。その報道によれば、エジプトの砂漠で見つかった約1700年前のパピルス文書を修復・翻訳したところ、この文書はキリスト教の黎明期に教会から異端とされた幻の書『ユダの福音書』の、現存する唯一の写本であることが判明したと発表したというものであります。

 そして驚くべきことに、このパピルス文書では、2000年にわたって裏切り者とされてきた、イエス・キリストの弟子「イスカリオテのユダ」が、実はキリストの真の教えを正しく理解した一番弟子として描かれているというのです。さらに、この書物には、ユダがイエスをローマの官憲に引き渡したのは、イエス自身の言いつけに従ってしたことだと書かれているというのです。私はこれらの報道の真偽について論じるつもりは毛頭ありませんが、これを神のことばである「聖書」につけ加えようとする試みは愚かであり、あるいはこの「ユダの福音書」なるものが神の霊感による書であるかのように言いふらす人がいるならば、全く話にならない馬鹿げたことであります。

 聖書は旧約39巻と新約27巻の66巻で、今から約2,000年前に既に完成(完結)されたものであります。この「聖書」66巻のみが、神の霊感によって記された「聖書」として存在しているのであります。聖書は、大きく分けると、「律法」と「詩歌」と「預言書」からなっていますが、不思議なことに、「律法」と「詩歌」と「預言」の書の中の三ケ所には、それぞれ次のような神の警告のことばがあります。これは、非常に厳粛なことであります。既に完結された聖書66巻のみが、神の唯一の啓示の書であります。サタンは常にこの聖書66巻に何かの新しい啓示(?)と呼ばれるものを付け加えようとし、それは聖書が完成された約2,000年前から今日までそれは続いているのであります。

●「私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。」(申命記4:2)。

●「神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。 」(箴言30:5,6)。

●「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 」(ヨハネの黙示録22:18,19)。


 これらの聖書のみことばは、「聖書」こそ神が人類に与えられた唯一の啓示の書であるということを力強く語るものであり、これを決して忘れてはならないのであります。神は、聖書に付け加えたり、省いたりしてはならないことを命じているのであります。ですから、この聖書66巻に何か新しいもの(人間の教えや考え、思想、神からの啓示であるとの偽り教えなど)を付け加えることは、明らかに神に敵対する行為であり、恐ろしいことであります。下に記したみことばにありますように、神の霊感によって記されたのは「聖書」のみであります。

●「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)
 
●「‥‥すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 なぜなら、預言(聖書のことば)は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。 」(Ⅱペテロ1:20,21)。 


 それから、聖書の主題は何かと言えば、それはただ一つであり、それはイエス・キリストであります。モーセは、はるかに未来を望み見て、そこにメシヤ(救い主:キリスト)を見たのでした。ダビデもイザヤも同様です。その後、キリストが地上に来られて、十字架と復活のみわざを通して救いを実現し、天に帰られたのです。それから少しのちに、パウロも過去をかえりみて、このキリストこそ、むかし預言されたメシヤ(救い主)であることを見出したのです。

 イエス・キリストこそが聖書の大いなる中心主題であることを聖書全巻が一貫して、書き記しているのであります。すなわち、旧約聖書には、キリストについての多くの預言があり、新約聖書には、キリストが来られて、これらの預言が成就したことが記されたいるのであります。聖書には、あなたの直面している問題を根本的に解決する鍵が必ずあります。どうぞ、聖書に親しんで下さいますようにお勧めいたします。