このお彼岸期間中に、お墓参りに行かれた方も、多いのではないでしょうか?
一方、「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句もあります。
つい先日までは暑い!暑い!と言っていたのが嘘のようで、ここ青森では、朝夕などは、もうすっかり寒くなってきました。
今日は9月25日。明日26日で、もう秋の彼岸も終わります。
<写真・彼岸花>
そもそも、「お彼岸」とは、どういう意味なのでしょうか?
彼岸には春彼岸と秋彼岸があり、それぞれ、春分の日(3月21日頃。その年により変動)、秋分の日(9月23日頃。その年により変動)を中日として、その前後の3日を合わせた7日間を彼岸といいます。
【 秋彼岸 】
9月20日:彼岸入り
9月23日:彼岸の中日(=秋分の日。祝日)
9月26日:彼岸明け
春の彼岸を「彼岸」「春彼岸」と呼ぶのに対し、秋の彼岸を「のちの彼岸」「秋彼岸」と呼び分けることもあります。
春分と秋分は、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですが、お彼岸にお墓参りに行く風習は、この太陽に関係しています。
仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸といい、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)といいます。
そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました。
では、お彼岸は日本だけのものなのでしょうか?
お彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事です。
日本では、正月など神道にまつわる行事を行う一方、仏教を説いた釈迦の教えも受け入れてきました。
お彼岸は「日願」でもあるため、太陽の神を信仰する神道と結びつきやすかったという説もあります。
また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、お彼岸は大切な行事となりました。
彼岸の中日である「春分の日」「秋分の日」は国民の祝日です。
祝日法による趣旨は……
・春分の日=『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』
・秋分の日=『祖先を敬い、亡くなった方々を偲ぶ日』
という意味があります。
では、何故「暑さ寒さも彼岸まで」と私たちは言うのでしょうか?
秋の彼岸を過ぎると、太陽の出番が少なくなり、暑さも和らぎます。春はこの逆ですね。
春分と秋分は、いずれも二十四節気のひとつで、暦の上では春と秋の折り返し地点となります。
そして、春分と秋分に昼と夜の長さがほぼ同じになり、春分以降は昼が長く、秋分以降は秋の夜長に向かいます。
●春分は春(立春~立夏の前日)の折り返し地点
⇒春分以降、昼が長くなってゆく⇒寒さが和らぎ暖かくなる
●秋分は秋(立秋~立冬の前日)の折り返し地点
⇒秋分以降、昼が短くなってゆく⇒暑さが和らぎ涼しくなる
ただし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではありません。
暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高いのですが、厳しい残暑や寒さも目処がつくため、「暑さ寒さも彼岸まで」というようになりました。
お彼岸は迷い、悩み、煩悩に惑わされている人間が、悟りの世界と通じる時でもあります。
自然に寄り添う暮らしの中で、暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になるように……
「暑さ寒さも彼岸まで」には、励ましの意もあったのです。
さらに、仏教的に突っ込んで言うと、お彼岸(ひがん)には、
煩悩を離れて悟りの境地に至ろうとする仏教思想と、日本の伝統的な先祖供養の信仰が結びついて、祖先の霊を供養する日となりました。
「お彼岸」は、「彼岸会(ひがんえ)」とも言います。
「お彼岸」は「彼岸会」の親しみを込めた一般的な呼び方で、その内容は変わりません。
彼岸という言葉は梵語(古代インド語、サンスクリット語)の「パーラミター(波羅蜜多)」のことで、 本来の意味は[彼岸に到る]という意味があります。
そして、お彼岸はいつから行われているのでしょうか?
古くは『日本後記』の中に大同元年(806)に、早良親王のために僧を集めて法要を開いたとあります。
千数百年前から、脈々と「お彼岸」の営みは、続いているのですね。
あいにく今日、日本列島は、お天気が悪いようですが・・・・
今晩あたり、たまにはゆっくりと夜の空を眺め、ご先祖様たちの生き方に思いを寄せてみるのもいいかもしれませんね。。。
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