タイトルに さん が三回ならんだね。
いや、そんなことはどうでもいいんですが、元ロブサン・サンボーさんというのは、本名西川一三さん。
先日お亡くなりになったそうです。
http://mainichi.jp/area/iwate/archive/news/2008/02/09/20080209ddlk03060287000c.html
福岡生まれで、名門修猷館を出てから南満州鉄道に就職。ここまではエリートコースといっていい人生ですが、あるとき満鉄をやめて内モンゴルにあった興亜義塾という学校に入りました。
そっからのことは、西川一三さんの『秘境西域八年の潜行』という大著に詳しい。
最近はそれのコンパクト版も出たそうですが。
興亜義塾ってところは工作員を養成するところだったらしいのですが、「蒙古人になる」訓練を受けた西川さんは、大戦末期、軍の秘密命令を受けて、「チベットに巡礼に行く蒙古僧」という触れ込みで、スパイ行にでました。そのときに使った偽名が、ロブサン・サンボーだった。
それからの波乱にとんだ物語の面白さと言ったら!
この興亜義塾の卒業生、西川さんの先輩に木村肥佐生さんという方も、西川さんより先ですが、同じようにスパイ行にでました。
木村さんはもうだいぶ前に亡くなっています(1989年)が、木村さんはダワ・サンボーという偽名を使っていたそうです。こちらの方が詳細なノートをつけておられます。
このお二人、チベットやモンゴルに興味を持つ日本人のあいだでは有名な存在です。
西川さんのほうは、2001年に東京でひらかれた、「日本人チベット行百年記念フォーラム『私たちは、なぜチベットをめざしたか』」に招かれました。
あの西川さんとはどんな人なんだろうと思って、ぼくもはるばる東京まで出かけていきました。
舞台の上なのでよく分かりませんが、他の出演者と比べても、けっこう長身であるようです。
ごつごつとした感じで、目の光が強いように感じました。
このフォーラムの様子は出版された本で読むことができますが、その会場にいた人間の多くに強烈な印象を残した一言を西川さんは発しました。
私はチベット人は大嫌いです。
このフォーラム、タイトルからも分かるように、「チベットが好きな人向け」のフォーラムです。会場にはチベット人もいました。
出演者も、チベットの研究者とか、チベットに長く滞在したライターばかりです。
その中で、西川さんの「大嫌い」発言ははっきりと浮いていました。
会場にいるチベット人の方々に気をつかってのことでしょうか、司会の方がなんとかとりなそうとするのに、西川さんはかたくなでした。
で、会場が引いたかというと、そうでもなかったように思いました。
どっちかというと、沸いた感じ。
この発言、たとえば、上にリンクを張ったAmazonのレビューでも記されていますし、「チベット式」というブログでも、追悼記事のなかでそのことを書いています。あれ、今気づいたけど、この長田幸康って人は確かフォーラムの実行委員ではなかったっけ?うん、たしかそうだ。
ためしに「西川一三 大嫌い」で検索してみると、「ダヤンウルス」というサイトのフォーラムのレポートが引っかかりました。あ、そのときの西川さんの写真が載ってますね。
もうひとつ、「チベット旅行記」という旅行記でも、この発言が取り上げられています。ページ中ほどの、「デプン僧院」という節にあります。
どの方も、この発言を一種「痛快」なものと捉えているようです。
自分はチベット人じゃないから?
というより、今風に言えば"KY"なところがかっこよかったって感じでしょうか。
チベットを命を張って旅してきたものの、生ぬるくない言葉として。
ぼくも、この西川さんの言葉はかっこよいと思いました。
チベット人じゃないから笑。
それはたぶん前提としてあるかも。
憧れの人から「大嫌い」だといわれたらたぶん少なからずショックです。
いや、逆に「意志の強い勇敢な人だ」とますます好きになるかも。憧れてるから。
それはともかく、かっこよかったです。
ただ、どうしても気になることが。
西川さんは「チベット人は大嫌い」といいました。
ただ、チベットといっても広い。
ふつうはウ・ツァン(首都ラサがある)、アムド、カムの三つに分けられるそうです。
会場で「大嫌い」だといっていたのは、その後の話からカムのチベット人のことだと判明しました。
何で嫌いかというと、毎日のように強盗に襲われたからだそうです。そりゃ嫌いにもなるわな。
ところが、西川さんは、自著の『秘境西域八年の潜行』では、このカムのチベット人のことをべた褒めしてる。
強盗に遭うのは遭うんですが、気性がさっぱりしていていいやつらだ、と。
彼らとなら仲良くなれる、と。
じゃあ、『秘境西域八年の潜行』ではチベット人が大好きだって言ってるかというとそうではなくて、ラサのチベット人についてはものすごーくきつい評価です。
実はぼくは最初、西川さんが「大嫌い」と言ったとき、ラサの拝金主義や性道徳の乱れとか、そういうことを指して言ってるのかと思ったので、カムのチベット人の話になって「あれ?カムのチベット人も嫌いだったのか」と思ったのでした。
でも、帰って本を読み直したら、西川さん、カムのチベット人のこと好きなんじゃない!
なんで、「チベット人は大嫌い」なんて言ったんだろうなあ。
歳だから、ってことはない。
あの会場にいたほかの人たちのうち、誰一人西川さんがもうろくしているなんて思った人はいなかったはず。当時82歳ですが、かくしゃくとしたものでした。
時間がたったら、ラサで堕落してた連中よりも、自分のものを強奪していったやつらのほうが腹立たしく思えてきたのかな。
どうなのか、ご本人の口から聞けることは永遠になくなりました。
残念です。
ご冥福をお祈りします。
2008年3月4日追記:
その後、いろいろ考えて、西川さんが「大嫌い」だといったこと自体は、別にたいしたことではないんじゃないかという気がしてきました。
いや、そんなことはどうでもいいんですが、元ロブサン・サンボーさんというのは、本名西川一三さん。
先日お亡くなりになったそうです。
http://mainichi.jp/area/iwate/archive/news/2008/02/09/20080209ddlk03060287000c.html
福岡生まれで、名門修猷館を出てから南満州鉄道に就職。ここまではエリートコースといっていい人生ですが、あるとき満鉄をやめて内モンゴルにあった興亜義塾という学校に入りました。
そっからのことは、西川一三さんの『秘境西域八年の潜行』という大著に詳しい。
最近はそれのコンパクト版も出たそうですが。
興亜義塾ってところは工作員を養成するところだったらしいのですが、「蒙古人になる」訓練を受けた西川さんは、大戦末期、軍の秘密命令を受けて、「チベットに巡礼に行く蒙古僧」という触れ込みで、スパイ行にでました。そのときに使った偽名が、ロブサン・サンボーだった。
それからの波乱にとんだ物語の面白さと言ったら!
この興亜義塾の卒業生、西川さんの先輩に木村肥佐生さんという方も、西川さんより先ですが、同じようにスパイ行にでました。
木村さんはもうだいぶ前に亡くなっています(1989年)が、木村さんはダワ・サンボーという偽名を使っていたそうです。こちらの方が詳細なノートをつけておられます。
このお二人、チベットやモンゴルに興味を持つ日本人のあいだでは有名な存在です。
西川さんのほうは、2001年に東京でひらかれた、「日本人チベット行百年記念フォーラム『私たちは、なぜチベットをめざしたか』」に招かれました。
あの西川さんとはどんな人なんだろうと思って、ぼくもはるばる東京まで出かけていきました。
舞台の上なのでよく分かりませんが、他の出演者と比べても、けっこう長身であるようです。
ごつごつとした感じで、目の光が強いように感じました。
このフォーラムの様子は出版された本で読むことができますが、その会場にいた人間の多くに強烈な印象を残した一言を西川さんは発しました。
私はチベット人は大嫌いです。
このフォーラム、タイトルからも分かるように、「チベットが好きな人向け」のフォーラムです。会場にはチベット人もいました。
出演者も、チベットの研究者とか、チベットに長く滞在したライターばかりです。
その中で、西川さんの「大嫌い」発言ははっきりと浮いていました。
会場にいるチベット人の方々に気をつかってのことでしょうか、司会の方がなんとかとりなそうとするのに、西川さんはかたくなでした。
で、会場が引いたかというと、そうでもなかったように思いました。
どっちかというと、沸いた感じ。
この発言、たとえば、上にリンクを張ったAmazonのレビューでも記されていますし、「チベット式」というブログでも、追悼記事のなかでそのことを書いています。あれ、今気づいたけど、この長田幸康って人は確かフォーラムの実行委員ではなかったっけ?うん、たしかそうだ。
ためしに「西川一三 大嫌い」で検索してみると、「ダヤンウルス」というサイトのフォーラムのレポートが引っかかりました。あ、そのときの西川さんの写真が載ってますね。
もうひとつ、「チベット旅行記」という旅行記でも、この発言が取り上げられています。ページ中ほどの、「デプン僧院」という節にあります。
どの方も、この発言を一種「痛快」なものと捉えているようです。
自分はチベット人じゃないから?
というより、今風に言えば"KY"なところがかっこよかったって感じでしょうか。
チベットを命を張って旅してきたものの、生ぬるくない言葉として。
ぼくも、この西川さんの言葉はかっこよいと思いました。
チベット人じゃないから笑。
それはたぶん前提としてあるかも。
憧れの人から「大嫌い」だといわれたらたぶん少なからずショックです。
いや、逆に「意志の強い勇敢な人だ」とますます好きになるかも。憧れてるから。
それはともかく、かっこよかったです。
ただ、どうしても気になることが。
西川さんは「チベット人は大嫌い」といいました。
ただ、チベットといっても広い。
ふつうはウ・ツァン(首都ラサがある)、アムド、カムの三つに分けられるそうです。
会場で「大嫌い」だといっていたのは、その後の話からカムのチベット人のことだと判明しました。
何で嫌いかというと、毎日のように強盗に襲われたからだそうです。そりゃ嫌いにもなるわな。
ところが、西川さんは、自著の『秘境西域八年の潜行』では、このカムのチベット人のことをべた褒めしてる。
強盗に遭うのは遭うんですが、気性がさっぱりしていていいやつらだ、と。
彼らとなら仲良くなれる、と。
じゃあ、『秘境西域八年の潜行』ではチベット人が大好きだって言ってるかというとそうではなくて、ラサのチベット人についてはものすごーくきつい評価です。
実はぼくは最初、西川さんが「大嫌い」と言ったとき、ラサの拝金主義や性道徳の乱れとか、そういうことを指して言ってるのかと思ったので、カムのチベット人の話になって「あれ?カムのチベット人も嫌いだったのか」と思ったのでした。
でも、帰って本を読み直したら、西川さん、カムのチベット人のこと好きなんじゃない!
なんで、「チベット人は大嫌い」なんて言ったんだろうなあ。
歳だから、ってことはない。
あの会場にいたほかの人たちのうち、誰一人西川さんがもうろくしているなんて思った人はいなかったはず。当時82歳ですが、かくしゃくとしたものでした。
時間がたったら、ラサで堕落してた連中よりも、自分のものを強奪していったやつらのほうが腹立たしく思えてきたのかな。
どうなのか、ご本人の口から聞けることは永遠になくなりました。
残念です。
ご冥福をお祈りします。
2008年3月4日追記:
その後、いろいろ考えて、西川さんが「大嫌い」だといったこと自体は、別にたいしたことではないんじゃないかという気がしてきました。
でもあとで思い返してってよりそのときのほうがむかつき度高くない?
私ナイロビのディスコで売春婦さんに全財産入りバック置き引きされて「くそう~あのマラヤ(売春婦の意)め!早くエイズでしね!」なんて暴言吐きました。エイズ対策の仕事でかの地にいたのに、、でも今では薄ら笑顔で「ちゃんとコンドームして商売しようね。老後を考えて職業訓練コースも受けとこっか?」って言える位に怒りがおさまりました。時間って大切。
ぶさんさんぼーさんの怒り対象の変容と時間の関係、非常に興味がありますな。
腹が立つのと感心するのとどっちもあって、そのときの気分しだいでどっちかが出ちゃうってことも考えられるかも。なるほどね、マルコさんのコメントを読んでいいこと思いつきました。ありがとうございます!