槍と銃剣

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魔術師クロンステッド(草稿その5)

2009年12月27日 13時37分41秒 | 大北方戦争+軍事史
魔術師クロンステッド(草稿その4)

 1712年のガーデブッシュの戦いにおいて、クロンステッドの砲兵隊は初めて砲火の洗礼を受けた。そして驚くべき戦果を挙げた。デンマーク・ザクセン連合軍はその素早い動きに驚愕し、致命的な砲弾が彼らの戦列に降り注がれた。これらの砲撃は連合軍の作戦計画を出鼻で挫き、数で劣るスウェーデン軍の勝利に大きく貢献した。結局、戦いは僅か3時間で決着が付いた。スウェーデン軍を率いていたステンボックはカール12世に宛てた手紙の中で、クロンステッドの貢献について「神の加護に次いでクロンステッドと彼の砲兵隊に勝利の感謝を捧げたい」と書き記している。彼の砲兵運用は「魔術師」との異名を得るほどであり、カール12世をして「小さなクロンステッドには黄金の価値がある」と言わしめた。
 1713年3月、彼は野戦砲兵隊の大佐に昇進したが、ステンボックのスウェーデン軍はシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方テニングに封じ込められてしまった。こうしてテニングの陥落とともに彼もまた捕虜となった。しかし上官であったステンボックとは異なり彼は直ぐに釈放され、釈放された部隊伴にスウェーデンに帰国した。そして祖国に戻ると再び1714年スウェーデン領ポンメルンに舞い戻って砲兵隊の指揮をとった。特にシュトーラルズントの防衛に力を注いだが、リューゲン島の戦いで負傷した後、シュトラールズント陥落とともにまた捕虜となった。しかし傷が癒えると彼は数名の士官とともに、厳重な警備をくぐり抜けて脱走に成功してオランダへと逃亡し、海路でユーテボリに帰国した。そして帰ってきた彼をカール12世は全砲兵を指揮する砲兵総監に任命した。

魔術師クロンステッド(草稿その6 おわり)

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