1月5日晴天、新年を迎え、家族を伴って岐阜県中津市にある「苗木城及び馬篭宿」へ出掛けました。
苗木城の石垣の魅力にさそわれて、昨年に続き二度目の訪問になりました。
☆ 苗木城跡の城域は城郭の主要部である内部部分が約2万平方、外郭部分を含めると約35万平方に達し
そのうち156,774平方が昭和56年「国の史跡」に指定されました。
☆ 戦国の動乱の中で遠山氏は苗木城を追われますが、関が原の戦い後、再び城主となり明治維新まで苗木領
を治めました。 なお、同じ中津市にある「馬篭宿」にも足をのばしました。
「苗木遠山史料館~天守閣へ」
苗木遠山資料館 風吹門跡
苗木遠山家の資料を中心に、苗木領と苗木城に 風吹門は大手門とも呼ばれ、城下から三の丸への
かかる貴重な諸資料を展示してあります。 出入り口に位置する。
大矢倉跡
大矢倉は三階建てでした。 苗木最大の櫓建築で、2階、3階の壁には矢狭間が設けられるなど、大手門で
ある風吹門や北側からの防御のために作られた。
駈門跡 牢屋跡
明治初年に起きた政争の際には多くの上層武士たち
が、この牢屋に収監され、処断された事件がおきて
いる。
御朱印蔵跡 坂下門
将軍家から代々与えられた領地目録や朱印状など 坂道の下にあったので、坂下門と呼ばれていたが
重要な文書や刀剣類が納められていた。 またの名を久世門とも言う。
菱櫓門跡 千石井戸・本丸口門
苗木城で1番高い場所にあり、どんな日照りでも枯れる
ことはなかったと伝えられており、千人の用を達するこ
とから千石井戸と呼ばれている。 千石井戸の西側に
ある本丸口門は本丸と二の丸の境にあり総欅で建てら
れていた。
武器蔵・具足蔵跡 笠置矢倉門
領主が所蔵していた武器、具足及び旗が納められて ここからの眺望がよく正面に笠置山が見えることから
いた。 笠置矢倉門と言う。
下方からの天守閣
自然の岩の上に建てられている、天守台柱見物。
玄関口門前付近から大矢倉の眺め
本丸跡からの眺望(パノラマ写真)
真ん中の高い山が恵那山
天守閣直下から
天守は二つの巨岩にまたがる形で三層となっていました。 1階部分の名称は、「天守縁下」板縁をいれて
4×5mの広さ、2階部分の広さは6×6m、3階部分は9×11mの広さでした。
この巨岩の柱と梁組は苗木城天守の3階部分の床面を復元したもので、岩の柱穴は既存のものを利用した
ものです。 苗木城3階部分を一部復元し展望台として利用しています。
馬洗岩 武家屋敷跡
周囲45mの花崗岩の自然石である。かって苗木城が
敵に攻められ、敵に水の手を切られた時、この岩の上
に馬を乗せ、米にて馬を洗い、水が豊富であるかのよ
うに敵を欺いたことから名付けられた。
「ここから馬篭宿へ」
下馬篭宿~上馬篭宿へ
中山道馬篭宿
下馬篭宿の土産店
下馬篭宿・風景
坂の家付近
水車が凍りついている。
馬篭宿・町並み
下扇屋
藤村記念館
馬篭宿脇本陣資料館
上但馬屋
高札場 上馬篭宿・向こうに見える恵那山
上馬篭宿・町並み
下馬篭宿・町並みと真正面にうっすらと冠雪した恵那山