アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

華厳 三稿 序の章

2017-03-26 03:40:33 | 物語

 華厳       作・GOROU

序の章
 
 天平と呼ばれた時代、
 時の聖武天皇に二人の内親王、阿部と井上がおりました。
 そして、聖武天皇の妃は、後に民間出身で初めての皇后となる藤原光明子でした。この天皇と皇后は生まれた時から夫婦になる事が決められ、三人の賢女にそのように撫育されて大切に育てられました。
 三人の賢女とは、県犬養美千代(光明子の母)と元明女帝(文武天皇の母)と元正女帝(文武天皇の皇后)である。
 文武天皇が薨去した後、皇位を継承したのは母の阿部皇女と呼ばれていた元明天皇でした。
 元明天皇は「一品の氷高内親王は、若いうちからめでたいめぐり合わせにあい、心広く憐れみ深い性質を天から授かっており、若く物静かで艶やかで美しい」と勅し、娘の氷高皇女に天皇の位を譲位した。歴代天皇の中で唯一、母から娘への女系での皇位継承が行われたのである。
 三人の賢女、美千代と阿倍と氷高は、黄金と勾玉を慈しみ磨くようにして聖武と光明子を育て上げ、万全の態勢を構築した後に首(おびと、聖武)を即位させたのだ。
 聖武天皇と光明子の娘、阿倍皇太子の生きた時代は、光輝く華厳の世界をこの世に実現する為に存在していたのだ。

 今も昔も奈良盆地の夏は蒸し暑い。
 暑気払いにと、皇太子と姉は東宮御所の中庭にある瓢箪池の中州の四阿(あずまや)で、薄衣一枚の姿で涼みながら唐の伝奇小説を読んでいた。
 女性で初めての皇太子の名を阿部と言い、姉の名を井上と言った。
 井上は伊勢の斎宮に任じられていたが、何かと理由をつけて皇居に里帰りし
て、妹と遊んでいた。
 二人は腹違いだったが、それはとても仲の良い姉妹でした。
 姉の母は県橘広刀自で、妹の母は皇后・藤三娘光明子でした。
天平と呼ばれた時代を象徴する、名の如く光り輝く女性でした。
 藤三娘とは、藤原不比等の三女を誇りにして良くこの署名を使ったからそう呼ばれたりしたのです。
 当時の政治は、皇族派の長屋王と公卿派の不比等の四人の息子との綱引き状態でした。
 阿倍の母・光明子の母は県犬養美千代ですから、井上の犬養唐家とは姻戚関係にありました。そのせいもあって、家格がかけ離れていても幼い時から共に遊んでいました。

「お姉様は何をお読みになっているの?」
「祝英台よ。わたくしはこんな恋をしてこんな風に同じお墓に入って、生まれ変わっても番の蝶になりたい」
 腹這いになっていた井上が半身を起こして阿部を見詰めた。
「皇太子、あなたは?」
「木蘭。・・・ああ、わたくしも木蘭のように男装の将軍になって、蝦夷を討伐したい」 皇太子と言っても女性ですから適う筈の無い夢のまた夢でした。
「ああ熱い!」
 皇太子は朱の欄干に凭れて大きく背伸びをして、その後。「百合」と、側に侍っていた真備の娘を呼びました。
 片膝をついて畏まっていた百合が、顔を上げて皇太子に視線を寄せました。
「池に水を」
「畏まりました」
 百合は立ち上がって、架け橋を伝って岸の中衛府屯所に走って行きます。
 水が引かれてはいるが、池の所々の水溜まりに鯉などの魚が群れて飛び跳ねていた。 

 二人は弟の皇太子だった基が誕生日を待たずに崩御した事で運命が大きく変わりました。
 井上の弟に安積親王がいたが、家格の問題で立太子を見送られ、女ながらも阿部が皇太子を継いだのです。
 もし、基が長生きをしていたら。阿部は藤原氏の誰か、聖武が寵愛する藤原南家武智麻呂の長男豊成、母・光明子我寵愛していたの次男仲麻呂に降嫁していた筈でした。
 力関係から言ったら仲麻呂だったに違いありません。聖武は、今時の言い方をしたら尻に惹かれていたのからです。
 阿部は二人を好きでしたが、恋などと呼べる代物では有りません。彼女は夫にするなら、式家の大将軍宇合の長男弘嗣が好ましいと思っておりました、阿部に岡惚れしていた弘嗣ならば東夷征討に連れて行って呉れるかも? と夢想していました。

 井上には意中の公卿がいました、天智天皇の孫白壁王です。
 白壁王ならば家格の低い井上でも嫁げる可能性は大でしたが、もしかしたら伊勢の斎宮に任命されていたかも知れない阿部の代わりに斎宮に任命されてしまいました。
 井上が度々平城皇居に里帰りをしていたのは、白壁王との逢瀬を期待していたからでした。

 話が難解になって来たようなので、少々の解説をお許し下さい。
 この時代、王(女王)と名乗れたのは、天智・天武天皇の孫だけでした。時
の聖武天皇が天武系だったため、天智系は肩身の狭い思いをさせられていまし
た。
 因みに、現代の天皇家は天平時代に虐げられた天智系です。
 
 阿倍の采女で眞備の娘由利が中衛府屯所に駆けつけた時、屯所は一人の衛士しかおりませんでした。
「皇太子殿下が池に水を張るようにと」
 由利の胸は激しく息せき切っていました。走ったからでは有りません。その衛士を知っていたからです。その火長(十人隊長)佐伯五郎を憎からず思っていたからです。
 無言の儘立ち上がった五郎は窓際によって旗を振ると、堤に待機していた衛士が堰へと走りました。
 五郎は由利の下手に正座をし、由利を見上げました。
「姫様、何か、水などお持ちしましょうか?」
「五郎様、戯れ言など言わないで下さい」
 五郎は今度は胡座を組んで由利に微笑みを送った。別にふざけて由利を姫と呼んだのでは無い、由利は正七位だが、いっかいの衛士の五郎は無位の身だった。身分が違いすぎたのだ。
「五郎様にお訊きしたい事が有ります。良い?」
 由利は五郎を媚びを売るような笑顔で見詰めた。
「なんなりと」
「貴男は礫の五郎の異名で呼ばれる分けが知りとう御座います」
「わたしが決して太刀も槍も取らず、石礫で敵に向かうからで御座る」
 遙かなる生駒の山並みを望みながら五郎が答えた。
「それが何故かと? 訊いているのです」
「人を殺すのが嫌だからで御座る」
 由利に視線を移す五郎、険しく悲しい眼をしていた。
「修練を積めば、石ころでも人を傷つけ、殺すことも出来るのです」
「ならば衛士を辞めては? いいえ辞めてしまいなされ、近畿を離れ、例えば吉備で百姓を為さりませ」
 吉備は由利の故郷だ、故郷で五郎と夫婦となって余生を送りたい、儚く適わぬ夢であった。
「わたしは兵士になるために生まれた男。朝廷を御守りするのはわたしの本懐」
 想いを告げた由利の胸の動機は止まりません。扇を開いて顔に風を送ると、少し落ち着きました。
「一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつましじ」
 由利は好きな万葉歌を詠いながら舞った。
 由利の裾裳が翻り、薄衣の太股が露わになった。
 五郎も立ち上がり、刀子を鞘ごと抜いて扇の代わりとして、由利の舞に応えた。
「君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ」

 一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつま
しじ
 君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ

 二人は何度も詠い、舞続けた。
由利は長い日など待てぬと嘆き。五郎は必ず迎えに行くと約束しているのだ。

 衛士の一人が池の堰を切ったので、たちまち池は透き通った水で溢れた。
「皇太子、泳げば少しは涼しくなりますわ」
「ええ、お姉様、わたくしもそう思っておりましたの」
 井上斎宮は薄衣を纏ったまま池に入って行きます。
 阿部皇太子は采女と女孺(にょじゅ、めのわらわ)達を見やって、
「さあ、あなたたちも一緒に」と、薄衣を抜き捨てて、ザブリと頭から池に途飛び込んだ。
 女孺は三人とも、袴と衣を脱いで皇太子に従った。
 二人の采女も女孺にならった。
 由利だけは池に入らずに、皇太子達が泳ぐのを見ていた。吉備真備の娘だった彼女は有る事を知っていたからだ。

 池の辺、その茂みで二人の貴公子、高梓・中衛府中将と天智天皇の孫・白壁王が池に背中を見せた。二人の内親王の様子を伺いながら話をしていたが、思わぬ展開に慌てて顔を背けた。
 当時の高貴な女性は人前で着替えたり、肌を見せる事を恥ずかしがらなかったが、貴公子はあえて直視することを控えるのが嗜みであった。
「天真爛漫とは伺っておりましたが、これ程とは?」
「両陛下は心配されておりましたが、わたくしは、あれはあれで良いと考えております」
「ところで、梓の中将。先ほどのお話はすでに決まっておりますのでしょうか?」
「いいえ、私が両陛下に進言しただけで、決まった分けでは有りません」
「中将(すけ)殿、吉備真備といえば秀才と聞こえておりますが、白猪史真成(しらいのふひとまなり)という書生の名は聞いた覚えがございませんが?」
「真備と真成は大学寮では白虎と青龍に喩えられていた程の青年です、鉈のような真備、剃刀が如き切れる真成、この二人に皇太子の教育を託し、即位成された後の政治も任せるのが良いと思っています」
 高梓は中衛府の実質的な指揮権を持っていた。
 中衛府は東の舎人とも呼ばれており、皇太子の近衛兵をも兼ねていた。
 梓は、皇族派と藤原一門との醜い政争に明け暮れる朝廷を懸念して、阿部皇太子が即位した時には、盤石の体制で大和朝廷を支える覚悟であった。
 白壁王と親しくしているのも、天智系の王達の協力を求めての事だった。が、さすがの高梓も、白壁王と井上斎宮が恋仲とは知らなかった。
 
 数日後、井上斎宮一行は伊勢への路を急いでいた。
 行列は三条大路を進み、平城京師を抜け、暗越街道に入ると急に細くなった。三人通れるかどうかだ。
 牛車に揺られながら、井上は憂いに浸っていた。再び白壁王に会えるかどうか分からない。なんどもなんども平城の方を振り返ったが、想いは募るばかりで、夏の空のように晴れることは無かった。
 街道の右手の丘の上の生駒仙坊から一団の沙弥が現れて、街道に入り、平城へと行脚してきた。
 信心深く、行基禅師を慕っていた井上は、わざわざ牛車から降りて、車も人も道端に寄せて沙弥達の通りすぎるのを待った。
 沙弥達は賛嘆を歌いながら行脚していた。
「百石(ももくさ)に、八十石(やそくさ)そえて、給いてし、乳房のむくい、今ぞわがする」
 井上は今平城で流行っているこの賛嘆を知っていたが、直に聞くのは初めてだった。
 生駒仙坊の沙弥達は、こうやって賛嘆を歌いながら托鉢をしているのだ。
 傍らの乳母が耳元で囁いた。
「姫様、あの者達は公家からは托鉢をうけますが、貧者には逆に食物などを与えるそうですよ」
「ほんとうに、心の澄んだ方達なのですね」
 二人の囁きが聞こえたのだろうか? 三人の沙弥が笠を取って井上の前に立ち止まった。
 二十歳を過ぎたばかりの沙弥が、眼光鋭く、良く通る美しい声で歌った・
「願い奉る御詠歌を」
 触れなば忽ち切れてしまう刃物の如き眼光の沙弥は南家仲麻呂とそっくりだ。と、井上は思った。
 中年の穏やかな沙弥と菩薩が如き悟りを開いた容貌の老いた沙弥が若者と共に賛嘆を歌った。
「百石に、八十石そえて、給いてし、乳房のむくい、今ぞわがするや 今ぞ我がするや 今日せでは何かはすべき 年も経ぬべし さ夜もへぬべし」(注・光明子作との説も有ります)
 老いた沙弥が井上の眼前に鉢をつきだした。催促をしているのだ。
 井上は慌てていくらかの銭を鉢に入れて合掌した。
 眼を開けると老沙弥は穏やかに微笑んでいたが、鉢を更に突きだした。
 慌てて布や着物を持って来させて、老沙弥に渡そうとすると、横から若い沙弥が無言のまま受け取った。
「伊勢までの道中恙無く、ご無事で行きなされ。御母君はお元気で御座いますか」
 そう言った老沙弥はまた微笑んだ。
 井上は菩薩のようなお方だと思った。
 三人は笠を被って再び賛嘆を歌いながら行脚を始めた。
「母上をご存じなのかしら」
 独り言を呟きながらぼんやりと見送っている井上。

 老沙弥と井上の母・広刀自は旧知の仲だった。
 三人は沙弥では無く、歴とした僧侶だった。
 眼光の鋭い若者は、若き日の怪僧弓削道鏡。
 穏やかな僧侶は、薬師寺義淵僧正最大の後継者、東大寺初代別当良弁。
老いた僧侶は、菩薩と謳われた行基禅師、その人だった。

 我に返った井上が牛車に乗ろうとすると、道端に騎乗の公卿がいた。白壁王だ。
 下馬した白壁王が井上の前に跪いて書簡を捧げた。
 恥ずかしさと嬉しさで顔を紅く染めた井上が書簡を受け取った。
 その書簡には短歌が書かれていた。

 恋ひ死なむ、後は何せむ、生ける日のためこそを、妹見まく欲りすれ

 うろたえる井上に、気を利かした乳母が紙と筆を渡した。
 筆を構えて返歌を詠もうとするが、どうしても浮かんで来ない。仕方が無いので、好きな短歌で代用した。

 うつつには 逢ふよしもなし、ぬばたまの 夜の夢にを 継ぎて見えこそ

     2017年3月26日    Gorou