幼稚園の頃、今で言う年少組に属していた4歳の頃の記憶が膨大に詰まっている。
京都にあったマクリン幼稚園というのに通ったのは、
昭和24年の4月から7月までのわずか4ヶ月。
8月に父親が会社を首になって、東京へ帰ることになり幼稚園も中退した。
その後は幼稚園には行かず、小学校に入るまで遊び暮らしていた。今と同じだ。
その最後の8月に、家の南の北大路通りから東に大文字が見えた。
・・・・・・・・・・・・・・・
昭和48年から大阪暮らしが始まった。
これは足掛け5年続いたが、このときも大文字を見に行こう!と思ってた8月16日が
大雨で、こりゃ中止だろうと勝手に判断して行かなかった。
翌朝、毎日新聞一面に、「雨にしっとり大文字」と写真入りで載ったのには、ガックリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
平成14年 一年だけ大阪で仕事をしてた。
Nikon S2にASA800の高感度フィルムを詰めて、8月16日に京都へ出かけた。
その日もとても暑く、阪急四条河原町駅から鴨川沿いにテクテク歩いて、出雲路橋。
橋のたもとにCafeがあり、大勢の人がビアを飲みながら大文字が浮かび上がるのを
待ってる。
オイラが座る場所なんて、どこにも見当たらなかった。
情けねぇ顔してボンヤリしてたら、どこからともなく、「こちらへ来られませんか?」
ふと、声の方を見ると、まぁ~。
二十歳くらいの女性が、「こちらでよければ、ご一緒に見られませんか?」と。
ンな、ことってあるんかいな?
当方57のお爺だぜ。
「ヨ、ヨ、ヨロシイので?」とよろめく足でテーブルに近づく銀。
なんちゅう美人二人組だ!!
鼻の下がズヨ~んと思いっきり伸びてしまったではないの?
有難く座らせていただいたので、これはお礼にとビアやツマミを差し入れる。
差しつ、差されつを繰り返してるうちに、美しい大文字が浮かび上がった。
ああ、生きてて良かった・・・こんな大文字見物は生涯二度とあるまいよ。
で、しばらく見ていたが、ここは「キッパリ」席を立つことにした。
「どうです?お近づきの印に先斗町で改めて一杯やりませんか?」
と、言えなくもなかった。
しかし、ここは初老の男としての意地を張りたい気持ちが勝った。
「今日は本当に有難うございました。私はお先に失礼致します」と銀。
「もう、お帰りどすか?」とお嬢。
「はい!50年ぶりの大文字はことのほか綺麗でした」と銀。
ひっくり返るほど後ろ髪を引かれたが、気持ちがなえぬうちに退却した。
そうしないと、折角の大文字が汚れるような気がして。
帰りの阪急電車の窓からは、舟形が見えた。
結局、オイラなんて、この程度の男なんだなぁと思いながら。
参考までに、フィルムは露光せずでした。
8年前の思い出です。
また大文字が見られるのだろうか・・・・
京都にあったマクリン幼稚園というのに通ったのは、
昭和24年の4月から7月までのわずか4ヶ月。
8月に父親が会社を首になって、東京へ帰ることになり幼稚園も中退した。
その後は幼稚園には行かず、小学校に入るまで遊び暮らしていた。今と同じだ。
その最後の8月に、家の南の北大路通りから東に大文字が見えた。
・・・・・・・・・・・・・・・
昭和48年から大阪暮らしが始まった。
これは足掛け5年続いたが、このときも大文字を見に行こう!と思ってた8月16日が
大雨で、こりゃ中止だろうと勝手に判断して行かなかった。
翌朝、毎日新聞一面に、「雨にしっとり大文字」と写真入りで載ったのには、ガックリ。
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平成14年 一年だけ大阪で仕事をしてた。
Nikon S2にASA800の高感度フィルムを詰めて、8月16日に京都へ出かけた。
その日もとても暑く、阪急四条河原町駅から鴨川沿いにテクテク歩いて、出雲路橋。
橋のたもとにCafeがあり、大勢の人がビアを飲みながら大文字が浮かび上がるのを
待ってる。
オイラが座る場所なんて、どこにも見当たらなかった。
情けねぇ顔してボンヤリしてたら、どこからともなく、「こちらへ来られませんか?」
ふと、声の方を見ると、まぁ~。
二十歳くらいの女性が、「こちらでよければ、ご一緒に見られませんか?」と。
ンな、ことってあるんかいな?
当方57のお爺だぜ。
「ヨ、ヨ、ヨロシイので?」とよろめく足でテーブルに近づく銀。
なんちゅう美人二人組だ!!
鼻の下がズヨ~んと思いっきり伸びてしまったではないの?
有難く座らせていただいたので、これはお礼にとビアやツマミを差し入れる。
差しつ、差されつを繰り返してるうちに、美しい大文字が浮かび上がった。
ああ、生きてて良かった・・・こんな大文字見物は生涯二度とあるまいよ。
で、しばらく見ていたが、ここは「キッパリ」席を立つことにした。
「どうです?お近づきの印に先斗町で改めて一杯やりませんか?」
と、言えなくもなかった。
しかし、ここは初老の男としての意地を張りたい気持ちが勝った。
「今日は本当に有難うございました。私はお先に失礼致します」と銀。
「もう、お帰りどすか?」とお嬢。
「はい!50年ぶりの大文字はことのほか綺麗でした」と銀。
ひっくり返るほど後ろ髪を引かれたが、気持ちがなえぬうちに退却した。
そうしないと、折角の大文字が汚れるような気がして。
帰りの阪急電車の窓からは、舟形が見えた。
結局、オイラなんて、この程度の男なんだなぁと思いながら。
参考までに、フィルムは露光せずでした。
8年前の思い出です。
また大文字が見られるのだろうか・・・・