名のもとに生きて

人の一生はだれもが等しく一回かぎり。
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王室の血友病 遺伝子鑑定

2015-07-30 07:40:27 | 出来事

この回では血友病のロシア皇太子の遺骸からのDNA鑑定で、王室の血友病の詳細が判明した過程を記述します。


⑴二つの墓穴と遺骸のDNA鑑定

①一つ目の墓穴


1918年7月17日の午前1時頃、ニコライの家族7人と従僕4人は監禁されているエカテリンブルクのイパチェフ館の地下室で、銃殺、銃剣による刺殺、銃床による撲殺により殺害された。
殺害後、レーニンの革命政府は、元皇帝を銃殺したことと、元皇帝の家族らは安全な場所に移したという虚偽を公表した。
しかし遺体も家族らも忽然と消え、所在はようとして不明のままであった。

殺害から10日後の新聞記事
家族はどこかにいると書かれている




殺害から8日後、白軍がエカチェリンブルクを制圧。直後から皇帝一家の捜索が続けられたが発見できなかった。
林の中に一家の衣服や持ち物が焼かれた焚き火のあとが発見された。
その中にあった燃えかすとしてアレクセイのセーラー服の断片が採集された



1991年、皇帝らのものと思われる9体分の遺骸(約900個の骨片や歯)が掘り起こされ、DNA鑑定が行われた。
ニコライは皇太子時代に日本に来訪した際、誤って斬りつけられた(大津事件)ことがあり、このときの血染めのシャツの血液を採取したが、あまりにいろいろな人が触れたためにDNAを分析するには不適切な試料だった。この検体からは血液型だけ特定できた。

図の番号は下の図の番号と符合する
穴の深さ2メートル、大きさ2.5メートル四方
400ガロンの石油、400ポンドの硫酸、2本の斧が遺体隠蔽に用いられた





1.XY染色体アメロゲニン遺伝子の検出による性別判定

2.STR(Short Tandem Repeat:4塩基の配列が反復し、反復回数に個人差がある遺伝子)の検査による親子判定

3.ミトコンドリアDNAによる母系解析




最初に発見された9体の埋められてた所
道の下だったのが盲点になり、白軍は見つけられなかった



STRの分析により、9体のうちに親2人とその子供3人が含まれ、アメロゲニンの検査によりその3人は皆女性であることが判明。

さらに、mtDNA解析によって、この親子が一体誰であるかを調べることができる。
それは、現在存命の母系の血縁者と一致することで、その先祖であることを証明できるものである。
皇后アレクサンドラの母系の血縁者であるエディンバラ公フィリップ(英エリザベス2世女王の夫)の血液の提供を受け、その一致することが確かめられた。

エリザベス女王とエディンバラ公

エディンバラ公の母アリスはアレクサンドラの姉ヴィクトリアの娘。生まれつきの聾唖であったが読唇で数カ国語を理解した。ギリシアの王子アンドレイオスと結婚

一方、皇帝ニコライの方も、母系の遠戚と比較し、ほぼ一致したが、一部にヘテロプラスミーが混在していた。ヘテロプラスミーは三世代以内に消失するため、ニコライの弟であるゲオルギー大公の墓を開けて検体を取り出し、調べたところ、こちらもヘテロプラスミーが確認された。これにより、この遺骸がニコライであることが強力に確かめられたかたちになった。



発見された遺骸のうち家族のもの2体が足りない。
この段階でアレクセイと皇女1名の遺体が見つかっていない。
それまで度々、偽アナスタシアや偽アレクセイが何人も現れていたが、この2体が見つからないということで、ほんとうに彼らは生存していたかもしれないという可能性を拡げることにもなった。

左から アナスタシア、オリガ、マリア、タチアナ
5人の子供達はちょうど2月革命で宮殿を包囲されていた頃麻疹に罹っていた。治った後で髪の毛が抜け始めたので、どういうわけか全員丸坊主にした。6月頃のこと。そのときに面白がって撮った写真が、遺骨の判別に役立つことになった。頭蓋骨頂部の形でマリアが除外されたのだが、ロシアの専門家が行ったこの修復の過程に精密さを欠いたとしてアメリカの学者が異議を唱え、身長やある部分の骨端部の成長具合により、不明遺体はアナスタシアのものだと主張した。



②二つ目の墓穴

しかしその後の2007年、殺害から90年ののちに、アレクセイと皇女ひとりのもの(推定ではマリア)と思われる遺骸が、両親らの発見された地点から70メートルほど離れた林の中で発見された。
44個の砕かれ焼かれた骨片(管状骨、子供の頭蓋骨片、歯、著しく損傷した骨盤骨)や銃弾、日本製の壺の破片。
最初に発見された遺骸と比べて、こちらのものは損傷の程度が極めてひどかった。
遺体は硫酸をかけられ、切り刻まれ、焼かれていたためだ。
壺のかけらは硫酸が入っていたものだった。
ここでも、遺骸を焼き、その地を掘って埋め、埋めた跡を消すためにその上でまた焚き火をした。

第3皇女マリア

マリアは2歳下のアナスタシアと過ごすことが多かったが、穏やかな性格なマリアはやんちゃなアナスタシアに押され気味だったようだ。将来は兵士と結婚してあたたかい家庭を持ちたいと願っていた。少し太り気味なことを本人も家族も気にしていたが、ロマノフ家系独特の美貌を姉妹の中では最もよく継承している。弟アレクセイと顔立ちがよく似ている。
男性を持ち上げられるほど力持ちであり、病弱なアレクセイを動かす時には惜しみなく活躍した。素朴で親しみやすく、エカテリンブルグでも警備兵と談笑し、姉や母に厳しく叱責された。生涯にわたってマリアに憧れ続けた従弟ルイス・マウントバッテンの存在や、姉オルガの縁談相手のルーマニア王子が破談後にマリアとの婚姻を望んできたこと、父と弟をスタフカに尋ねたときにある将校に恋し、お手製のプレゼントを贈るなど、10代の女性として魅力的な日々の中にいた。アレクセイとともに埋められていたのはマリアだという説(ロシア)とアナスタシアだとする説(米)がある。当初、皇后を皇太子とともに埋める手筈だったので、生前の恰幅の良さからマリアが皇后と間違われたのではないかと私は思っている。当時、皇后は心労のため大変痩せ細ってしまっていた。遺体は皆衣服を剥がれ、顔は銃床で砕かれ、硫酸もかけられたので、判別し得なかったと思う。


マリアとアレクセイ




第2の墓穴 3本の白樺に囲まれた場所
埋めたチェキストは白樺に印をつけておいたという





骨片


斧か鋸のような刃物でカットされた様子がわかる



まずは考古学者による分析
以下は2009年3月11日のPLOS oneの記事より。

Based on duplicative anatomical units such as the midline portion of the occipital, no less than, or a minimum of two people were present among the recovered remains.
One person present among the remains was of female sex, based on clearly visible sciatic notch dimensions, with a biological or developmental age of approximately 15–19 years.
The sex of the other person was probably male, again based on the incipient breadth of the sciatic notch, and the biological age ranged from 12–15 years.
Given the limited fragmented material coupled with the lack of representative diagnostic anatomy, it was not possible to determine the racial or ancestral type or estimate living stature from the remains.
Three silver amalgam fillings discovered on the crowns of two molars recovered from the grave suggest that at least one person was of an aristocratic status.
The overall age of the burial site was most likely greater than 60 years old based on culturally diagnostic material found contextually with the bones.


さらに、遺伝学者によりDNAの分析も始まる。

DNA鑑定は独立した3つの研究機関で行われた。

1.mtDNA
2.autosomal STR
3.Y-STR


Y-STRは、男性のY染色体のDNA上の配列を比較することにより、父子関係を調べるものである。ここでは、ニコライ、アレクセイ(仮定)、存命の子孫であるアンドリュー・アンドレーエヴィチ・ロマノフのもので比較をする。

DNA鑑定の結果は以下である。
(出典:同上)





The mtDNA results alone can be considered conclusive. The new samples matched exactly the mtDNA data of Tsarina Alexandra (and the HVI and HVII data of a living relative, HRH Prince Philip), indicating that these samples were maternally related to her. If one includes the anthropological information about these samples: specifically that one of the samples recovered from the second grave was most likely the femur of a young woman (sample 147), we can conclude that these samples were from the missing children of the Tsarina since the femora from the Tsarina and her three other children were recovered and accounted for in the first grave.

Autosomal STR genotypes were developed to form a family pedigree of the Romanov family. The DNA profiles of the two samples from the second grave fit perfectly into the family tree of the Tsar and Tsarina with all of the alleles of the two samples explained by Mendelian inheritance.

A 17-marker Y-STR haplotype from the remains of Tsar Nicholas II matched exactly to the Y-STR haplotype from femur of the male sample (sample 146.1) found in the second grave. The same 17-marker haplotype was also observed to match a living Romanov relative.



⬆︎Y-STR検査 見事に一致!



ここまでの経過のドキュメンタリー動画があるので詳しくはこちらを⬇︎


http://youtu.be/3eAdBHwUr5w
こちらはpart1です。全部でpart5まであります。

上記ドキュメンタリー動画より


研究室にはアレクセイのイコンが飾られた



5ヶ月を経てSTRの分析結果が説明されているシーン。
上から、アレクサンドラ、アレクセイ、ニコライのSTR比較
(動画Part5にて解説されています)


さて、ここでようやく遺骸が特定できたまでで、血友病の同定についてはここからになる。
しかし、ここまでの経過はとても重要な道のりだった。この過程を経てようやく、家族が取り戻せたのだ。
研究に携わった遺伝学者Terry Meltovは、

“This family has been reunited finally.”

と語る。実体はなにも現れないが、皇帝一家がようやく、過去に存在したものとして証されたことで、彼らが一つに繋がった悲願の瞬間でもあった。


粉砕された小さな骨のかけらから、自分は一体誰であるかを無言のまま強く語る。そして証明される。
さまざまな嘘の証言や、なりすましの者の言葉を全てを否定し去り、覚たる存在性を発し続ける骨片に、悲しい叫びを聴く想いがする。
小さな欠片に過ぎなくても生きた証。握りしめたい、いや、亡くなった自身こそ、この欠片を固く握りしめたい想いだろうか。自分の証がもはやこの欠片に、その核に不動のものとして封じられている。


⑵血友病の遺伝子検査

ここからが血友病の遺伝子の同定の話である。
アレクサンドラのDNAとアレクセイのDNAを、両者の骨片から抽出する。

まず、血友病のうちの80%を占める血友病Aを引き起こす、F8遺伝子をコードする26エクソンと、血友病Bを引き起こすF9遺伝子をコードする8エクソンを分析する。結果は、F9遺伝子エクソン4の3bp上流に局在するイントロンにおけるA>Gが認められた。この遺伝子変異がスプライシング異常を起こさせ、大量の異常mRNAを合成し、このことは少なくとも3例で報告されている重症血友病B患者の例と一致する。なお、このスプライシング異常はアレクセイの姉アナスタシアにも見られた。つまり、アナスタシアも母と同様、血友病保因者であった。
血友病は重症から軽症まで段階はさまざまであり、重症に部類されるのは血液凝固の能力が健常者の1%以下である。
アレクセイと母系でつながる王室の血友病罹患者たちはみなこのタイプだったことが判明した。





アナスタシアとアレクセイ
人を面白がらせるのが得意なアナスタシアは、一番歳が近いこともあってアレクセイは最も慕っていた
ただし最もアレクセイに優しかったのは長女のオリガだった



アレクセイの遺骨の状態は、その処分のされ方が酷く、鑑定は不可能かとも思われていた。しかし、本人特定ばかりでなく骨片の内部の血液も採取できたため、血友病の遺伝子変異まで特定することができた。
たった一箇所の遺伝子変異が、王室に現れた。しかもちょうど世界が激動している時期に重なった。そのことが、社会、国家に少なからず影響を与えることになった。ほんのささいな気まぐれのような遺伝の変異に、本人の人生も周囲の世界も翻弄されたのは、皮肉な運命といえよう。

革命に巻き込まれて命を落とした子供は、アレクセイだけでなくたくさんいたと思います。けれども彼は皇太子であったがために、酸をかけられ、刻まれ、焼かれました。死後の、本人の知らぬことではあっても、すべての夢を砕き尽くすかのごとき残酷さに鳥肌が立ちます。しかし、技術が醸成するのを待っていたのか、90年を経て沈黙を破り、わずかに残った遺物を晒し、なにがその身に起きたのかを証明した、様々な偶然の鎖がつながれてここに至ったことを、言葉なき強いメッセージとして受け取りました。






アレクセイの90年の眠りに
⬇︎


Abendlied

Abendlied, Op. 69, No. 3 (Josef Rheinberger)

Bleib bei uns, denn es will Abend werden, und der Tag hat sich geneiget.

ここにいなさい、私たちのもとに
日は傾いた、夜になるから




辛くもあり楽しくもあった生の日々も、
残忍な死の儀式も、
全てが終わる
あとは夜が訪れる
白樺の樹々が見守るなかで
森の大きな懐のなかで
おやすみなさい 永遠の夜を





⑶ 血友病の症状

ここでは血友病の一般的な症状を上げて行きます。

特徴的な症状は、筋肉や関節の出血です。皮膚の下、鼻や口の中の出血は止血がしにくく、対処の困難な場所です。

出血症状は活動が活発になる乳幼児後半で、転んだりぶつけたりで、臀部(おしり)や前額部(ひたい)などに皮下出血がみられるようになります。頭を強打すると重篤になる可能性があります。
内出血を起こすと血液が組織内に流れ出し、グレープフルーツ大の血腫となり、周囲の神経を圧迫するので想像を絶する痛みが持続します。10日から14日がピークです。敗血症を起こしたり、臓器出血を起こしたりすれば死に直結します。

現代では、止血剤やホルモン、血液製剤などが投与されます。家庭で投与することも可能です。また、運動会のまえなど、けがのリスクのある時はあらかじめ予防的に事前投与することもあるそうです。非出血時に定期的に製剤を注射することにより、血友病性関節症や、滑膜炎を予防します。

出血時には凝固因子を注射し、止血します。出血早期に注射する必要があります。

関節内の出血を繰り返すと炎症が起こり、長引くと関節が壊され変形し、痛みを伴います(血友病性関節症)。
筋肉内では筋肉痛のようにだんだん熱を帯び、腫れてきます。

現代では、症状に合わせてすみやかに治療すれば、死に至るということはなさそうです。
その点、100年前の各王室ではなすすべもなく、死が背中合わせでの生活になりました。

以下、『ニコライ二世とアレクサンドラ皇后』ロバート・K・マッシーの著作から引用します。

ひとたび関節内に出血すると、血は侵蝕力を持ち、骨や軟骨や組織を破壊する。骨の組成が変化すると、手足が曲がったままの位置に固定してしまう。この状態に対する最善の治療は不断のマッサージだが、それも再び出血する危険がある。その結果、アレクセイの通常の治療法には、熱い泥水浴と共に、手足を伸ばすための重い鉄製整形外科器具による治療も含まれていた。


皇后にとって現実の出血よりもっと悪いことは、血友病がダモクレスの剣のようにいつ危険が振りかかってくるかわからないことであった。血友病には現状維持ということがない。アレクセイが一時普通に元気に遊んでいるかと思うと、次の瞬間には転んで瀕死の出血を起こすかもしれないのである。
ヴィクトリア女王がそうであったように、アレクサンドラも過保護になった。スペインの王室では、血友病の息子に詰め物をした着物を着せ、遊びに行く庭園の立木には衝撃を防ぐ当て物をした。、、
、、息子に普通の行動をとらせると同時に適正な保護を加えるというこのバランスは、母親に過酷な緊張を強いるものであった。子供の眠っている時以外は緊張の連続であり、このため彼女は疲れ切って戦場神経症のようになった。、、、

最悪の時期の十一日間アレクサンドラはほとんど息子のベッドから離れることはなかった。息子の顔は血の気がなく、体はねじれ、眼は吊り上がり周りに黒い隈が出来ていた。皇后は一度も着替えず、ベッドに入りもしなかった。、、この十一日間に、彼女の金髪は色褪せて行った。





マッドバス(泥水浴)中のアレクセイ
アレクセイの日記から一時期毎日のようにやっていた様子がわかります



ロシアの皇帝一家の文献しかもちあわせていないので、各王室での葛藤は残念ながら知り得ませんが、息子であり、たったひとりの皇太子を守り抜こうとする母親の、病人以上に苦しむ姿、さらにアレクサンドラの場合、その苦しみを息子にもたらしたのが自分の遺伝によるものであると知っているために、大変な重圧だっただろうと思います。そこで盲目のようになって掴んだのがラスプーチンでした。皇后は誰にも相談できなかったのです。皇太子の病気は口外できない、隠し通さねばならなかったために。
気の毒ですが、結局、息子の治療いごいのことでもラスプーチンにすがってしまったことにより革命を急進させ、結果、我が子全てを失う羽目になったのは悲劇という他ありません。

それにしても、11日間も苦しみ続けるというのは、しかも気を失うほどの強い痛みだとは。
ニコライが母后への手紙のなかで、アレクセイが15分おきに痛みで気を失うと書いています。想像するに、陣痛が11日続くかのようなものでしょうか。
もう、ヒトでなくなりそうな心地がします。

血友病で生まれてきた王子たち、そして彼らを支えた親たち。一方で、王后であり、皇后でもあらねばならなかった。
両親の苦しみの甲斐もなく、父親より先に亡くなった者5人、全員が母親より先に亡くなっています。(同時に亡くなったアレクセイを除く)
母はどれほど悲しかったことか。
子供に先立たれるのはどんな場合でも悲しいけれど、自分が保因者であったことに一層くるしめられるのです。
何より、自分ではなく子供の死が隣り合わせというのは生きた心地がしなかっただろうと、心から同情します。























写真は感謝してお借りします






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