たばこについて

たばこを吸わないことにした。いろんなことを考えた。忘れないうちに書いておこう。禁煙したい人へのヒントにもなればいいな。

禁断症状

2006-11-11 10:42:16 | 煙のない世界へ
「ニコチン禁断症状」は、たばこを吸わない人にもたばこを吸っている人にもわからない感覚だ。
それを味わえるのは、ニコチン依存者がある期間ニコチン摂取を止めた時だけだ。

「禁断症状」という言葉は、「普通ならあるものが、何かの事情でなくなった時の非常事態の症状」というニュアンスがあり、ちょっと抵抗がある。
たばこは、ニコチンは、普通なら体の中にないものだからだ。
だから最近では「離脱症状」とか、もっとポジティブなニュアンスの「好転反応」とか言うらしい。
何と呼んでも、この異様な感覚は変わりようがないけれど。

禁煙の指南本には「たばこを止めてもニコチン禁断症状はほどんどありません」と書いてある。
禁断症状を恐れて禁煙に踏み切れない読者を想定してのことだろうか。
でも、ニコチンは依存性の薬物だから、禁断症状は残念ながら、ある。
少なくても、私はニコチンを摂取するのを止めてから、思いっきり体の変調を味わった。

長年ニコチンを体に入れていて依存していた者が、ある時を境にニコチンを断つ。
それは辛いものなのか。
心地よいものなのか。
それは、その時の心身の状態によってずいぶん違う。
たばこに対しての心の準備とか、知識とか、持っているエネルギーとか、そしてそのエネルギーがプラスに向かっているのかマイナスに向かっているのか、などによって。

これは何に例えたらいいのだろう。
このざわざした感覚。
手足が、顔が、ふつふつとニコチンを求めて騒ぎ出す。
一番近いのは「空腹感」だろうと思う。
おなかがすいたときは、食べ物を食べればそれが満たされる。
あたりまえのことだが、おなかの調子が悪いわけではないから、おなかをさすってもどうこうしても、満たされない。
このざわざわ感も、触ってもこすっても、満たされない。
ニコチンを体に入れない限り、このふつふつと湧き出る感覚は癒されない。
波のようにぐぐぐ-とせり上がってくるそれ。
手足から、顔の表面から、じりじりとせり上がってくるそれ。
そして、たまらないのは、眠くて眠くてどうしようもないことだ。
なぜこんなに眠いのか。
ニコチン禁断症状を避けるために、早く寝てしまえ、ということか。
ぼーっとして目の焦点が合わないような気がする。
集中できない。
考えがまとまらない。
目の奥がちかちかする気がする。
手先が、顔の表面が痺れている。
軽い頭痛もしているようだ。
喉がいがらっぽい。
たばこを止めたのに、なぜこんなに咳が出るのだろう?
痰も喉に絡む。

生まれて初めてたばこを吸ったあの日から、数十万本のたばこを灰にしてきた、その恩讐が、これなのか?