たばこについて

たばこを吸わないことにした。いろんなことを考えた。忘れないうちに書いておこう。禁煙したい人へのヒントにもなればいいな。

機は熟した

2007-01-14 21:43:11 | 煙のない世界へ
こうして私は自分のたばこを吸い始めた理由を知り、それを解決し、その当時高校生だった私を解放することができた。
そしてそれから十数年続いた、ニコチンという毒物を体に入れて体に慣れさせるための無駄な浅はかな努力を認め、ねぎらい、これも解放することができた。
たばこはいいものだと思って吸っていた理由も、実は依存症からくるものだと知った。
散々吸った今、たばこを何故止めたいのか、理由もはっきりした。
機は熟し、あとはたばこを止めるだけだ。
ここまで来たら、止めるしか道はないだろう。
たばこに憧れて幸せに吸っていた頃にはもう戻れない。

いろいろな方法を試した。
代替両方、禁煙マラソン、禁煙グッズ、禁煙本、催眠療法、カウンセリング、禁煙道場、その他たくさんのこと。
その都度は失敗したかに思えたけど、いろんなことを試し、繰り返していくうちに、私はあるひとつの考えにたどりついた。
それは、「たばこは吸う必要がない」ということだった。

では吸う必要がないのに、なぜ私は吸っているのか?
吸いたくないのに、なぜ私は吸っているのか?
それは、吸わされているからだ。
目的を持ち、周到に用意された意図によって、吸わされているからだ。
私だけではない。
世の中にいったい何人の喫煙者がいるのか知らないが、みんな、全員、吸わされているのだ。
誰に、か。
何のために、か。

それは、そうすることによって得をしている人がいるからだ。
吸う人には何のメリットもない。
たばこを吸っても幸せになれない。
それなのに、たばこにいろんな価値をつけて、あたかも幸せになれると思わせるために、さまざまな罠をしかける。
それは、そうすることによって得するからだ。
そうすることによって金を得られるからだ。

そう考えた時、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
「怒り」は普通はマイナスの感情ではあるが、私はこの「怒り」からたばこと訣別する力をもらった。
あまり健全な方法ではないかもしれないけれど、まぁいいだろう。
やめるのだから。