居酒屋ええ滑空鉄道。

このブログは一部フィクションがあり以下略。

そうだ、京都へ行こう。10月の旅。その1。

2006-11-05 | でんしゃ
京都のはずれ、叡山電車一乗寺駅近くに恵文社一乗寺店という本屋さんがあります。
この本屋さんは品揃え、センスの良さで有名でして、一度は見に行っておかなければならないと夏頃から恋い焦がれてというという柄でもございませんが、折り見て行こうと思っていたお店です。
過日、ついに今年最初で最後の夏休みを1日強奪してというかよこせこのバカ店長!というお話は置いておいて、連休を手に入れましたので行って参りました京都へ。
仕事を終えて家でシャワーを浴びてから高崎線に乗り込んで、目指すは東京駅のムーンライトながら。大宮駅のポイント故障で20分弱の遅れ。最後は車掌と殺伐とした応対をしつつ東京駅をダッシュした時は出発2分前。近頃JR東日本の乗務員応対、遅延等は眼に余るものがある。大いに苦言を呈しておく。
どうにも私は京都と相性が悪いのか、京都へ幾たびに体調を崩してみたりだのなんだのとろくなことが起きません。
まあ今週のハイライトは最終日だった訳ですが、すでにこのとき風邪と熱で意識が朦朧としておりました。

京都へ素直にいけば良いのですが、そこは哀しいけれどテツヲタの習性。この際名鉄のパノラマカーを見ておこう、と少し寄り道をする事にしました。
事前にネットサーフィンとかをして運用を調べてみたりとかしましたが、風邪にやられた頭ではメモを見ても理解できません。
とりあえず払暁の豊橋駅に降り、まあ名古屋に行けばどうにかなるべ、と重い頭で軽く考えて始発の名鉄特急にのったのは午前6時。名鉄特急の快走っぷりに目的を忘れるところを引き戻したのは途中で退避していたパノラマカー4連×2。いやあ、一気に目が覚めましたよ。

そしてついに対面したのは忘れもしません....何処の駅か忘れましたが、たぶん東岡崎。先ほどのパノラマカーは回送電車でここで4連にわけて始発の普通電車になったのでした。ええ、ハタチの良い大人ですが、先頭ダッシュしましたよ。もっともだいぶ余裕でしたが。

歴戦の疲れが隅に見えていましたが、その走りは名鉄特急としての誇りを感じる事ができました。

しとせん?しどせん?

2006-03-11 | でんしゃ
どうしても「しどせん」を「しとせん」と読んでしまう俺です。

引っ越しを大慌てでけりを付け、時間がないので高崎から新幹線。なんとか間に合ったドリーム高松・松山で「夜を往け~」と中島みゆきの歌も高らかに、向かった先は四国は高松。
1月にも行っているのだけれど、何度訪れても高松はいいところです。なにとはないのですが、居心地がいいのですよ。
今回は平日なので狙いは志度線の増結車。
考えてみると志度線の旧型車で27-28号以外に乗ったのは初めて高松に行った3年前ぐらい?前以来だったわけでして。
バスの中で疲れから足がつってみたりしてたので今回は歩く気全くナッシング。今橋駅のベンチに座ってまったり観察するつもりだったのですが、気がつけば房前までいってみたりしているし。そのあと白山から学園通りまで歩いてみてるし。挙げ句に瓦町から高松駅まで歩いてるし。でも不思議と疲れを感じないのですよね。

さて、房前から今橋まで戻ってまったり観察をしていたのですが、この日はとにかく寒かった。そりゃ前日素敵な一夜を過ごした中之条に比べたらまだ暖かかったのですが。
朝10時頃まで10分おきに吊掛の電車が新性能車と連なって通勤客を運び、駅員の方達が手際よく切り離して行く様は見ていて飽きません。
すべてが終了した後、遅い朝ご飯を食べに高松の町中へとうどん屋を求めて向かった私の心はもうお腹いっぱいでした。



流れぶった切るけど、ダービッツていつのまにトッテナムに移籍してたの?

遠い昔。

2006-02-10 | でんしゃ
「牛久まで!」
出札で駅員に告げる。
人の良さそうな老駅員は硬券を一枚取り出して日付をスタンプしてハサミを入れた。
ラッチを抜けてホームに出ると、春の夕陽がやさしく包んでいる。
まもなく、遠くからボールドウィンの汽笛が聞こえてきた....


そんな風景を想像してみた写真ですが、これは1950年ではなく2006年の小湊鉄道。
小湊鉄道は昔からの駅舎が多く残り、私が好きな鉄道の一つです。
この馬立駅に初めて来たのは3年前か4年前でした。その頃は有人駅でしたが今年はすでに無人駅となっていました。
あの日、上総牛久から歩いてきた私を迎えてくれた老駅員の方は今はどうしていらっしゃるのでしょうか。
足早に暮れてゆく空の下、飛行機を見上げて後輩とはじめて来た日、銀塩やローカル線の行く末を話した、ある一月の夕暮れでした。


Leica lllc+Elmer50mmf3.5 Konika Pan400 D76 23℃ 6′00

ゆき。

2006-01-12 | でんしゃ
過日、学生時代の後輩と養老渓谷駅まで行ってきた。
この日は日本海側各地で大雪になった寒い日だった。
寒い吾妻からあたたかいであろう千葉に行きたいと思い立って
でかけてみたわけだが、やはり昼間はとてもあたたかかった。

小湊鉄道への旅はこれで2度目である。前回も冬だっただろうか。
昼飯を食べてから訪れた機関区の片隅に、数年前と変わらぬ姿で
蒸気機関車3両が静かに眠りについていた。ていうか、きちんと
整備してくだされ、小湊鉄道様。

午後の一番列車は養老渓谷行きだった。
なかなかの乗車率で五井をでたが途中の上総牛久までにほとんどの
方が降りてしまった。
上総牛久からは鄙びた田園風景を走り、やがて山間を行く頃には
2両編成の車内は片手で数えられるほどの乗客になっていた。

やがて日陰に雪が残っているのに気がついた。関東の中でも千葉は
温暖な地という印象を持っている私には千葉で雪が降ったという事に
驚いた。列車が山を分け入るにつれて雪は広がって行き、終点の
養老渓谷は雪景色だった。

帰途、夕暮れの馬立駅に立ち寄ってみた。前回訪れた時も夕暮れ時で
その時は老駅員が硬券を売っていた、なんとも言えない優しさがあった
駅だった。その記憶があったので再訪したのだが、無人駅になっていた。



コニカC35フラッシュマチック+コニカセンチュリアスーパー200

くろこ。

2005-09-19 | でんしゃ
部屋の中に電車のキットが積み上げられていても一向に低くなる気配がない今日この頃。
さらにとある雑誌のオマケキットが3つ積み上がりました。
この電車、プロトタイプが真っ赤ならキットも真っ赤。そのまま組まないで空想の車両を作るのでしょうからこの色はとにかく困ったものです。ここまで真っ赤だとサーフェイサーがきちんと効いてくれるのかしら、と不安になります。
それよりも目下困っているのはこの電車、何色に塗ったものかしらということ。
空想の鉄路・「群馬電鉄」として白と赤-通常の3倍で動くあのお方色-で塗るか、湘北鉄道として白と水色にするか、それとも...となかなかきまりません。悩む前にさっさとお組みなさいって。
昭和30年代の電車て結構何色でもそれなりに似合っちゃうような気がするんですよね。亡き日立電鉄の3000型に塗られた新旧日立色や琴電の600形と700形。福井鉄道の600形はとりあえず置いといて、銚子電鉄の1000形も見慣れれば案外悪くないかな、と思えてきます(思えるだけ?)。銀座線風にオレンジも捨てがたい。
電車の色でいつも思いだすのが東急の赤帯。日中の視認性を上げるために前面に入れたものだけど、視認性の向上もさることながらノッペリとした前面がずいぶん引き締まったように思えたものでした。そういう意味では筑波エクスプレスの車両は銀一色の前面だから日中の視認性てどんなものなんでしょう?
明度・彩度の差が大きければそれだけ目立つ訳で、目には鮮やかな色が印象として残ります。日立のオレンジとか琴電の赤とか。

などと、このフィルムを取り込んでいたら子供のカッパの色が鮮やかで色の事をちょっと考えてみました。

コニカC35+MAXビューティー400@嵐電

じゅくせい。

2005-09-03 | でんしゃ
あいかわらず去年福鉄に行ったときのフィルムが出てきません。
いったいぜんたいどこに行っちゃったんでしょう。
井上陽水氏は「探すのをやめた時 見つかることもよくある話で」とのたまっていらっしゃることですし、
まあそのうち出てくるのでしょう。今年中にもしかしたらまた夜逃げ..もとい異動命令きそうだし。
そうこうしているうち、フィルムが出てきました。
いえ、正しくは「現像してなかったフィルムに去年行ったときの福鉄が写っていた」というべきでしょうか。
中判で撮ったままほっぽりっぱなし。現像したつもりでそのままカメラバックの底で熟成されておりました。
よくもまあカビずに画像ものこっていたもんだ。あとは35mmのポジがどこにあるかです。
さて福鉄の80型です。こうして見るとなかなかスマートな電車です。福鉄色も最近の明るい色の電車に
見慣れた目には古く、地味に見えます。でも西武生にジョージア色の派手に塗られた電車が居たのですが、
こちらの色の方がこの電車には似合っているように思います。
また福井にいきたいなあ。

うみ。

2005-08-21 | でんしゃ
海なんてウチから自転車で20分だった。
僕は湘南の海は好きじゃなかった。
海岸沿いを走っていてもゴミだらけの砂浜。夏はヨソのナンバーで車は渋滞。
海は濃い青緑。南の島の澄んだ青とはほど遠い。
群馬に来て、バイクの湘南ナンバーに気がつかれる度にみんながうらやましがった。
なんでこんなトコがいいんだか。そう思ってた。

しばらくして小さな電車の話を描いた。海岸をトコトコ走る小さな電車。

今年の初春、江ノ島に行った。ゆっくり見に行くのはいつ以来だっただろう。
江の電は車両が変わっていた。好きだった306Fの姿はもうなかった。
海は昔と同じ、紺碧の海だった。どこまでも静かだった。

ふるすくらっち。

2005-08-20 | でんしゃ
福井鉄道300形。全部で3編成がある福井鉄道の主力車両。
元は静岡鉄道の300形。静岡鉄道が長沼工場で作った自社製の電車。
電車は普通は専門の車両メーカーで作られるが、これは地方私鉄の工場で職人たちによって作られた。
電車はただ組み立てればいいというものじゃない。作るには設計から製造から、技術を求められる。
だから普通は専門のメーカーで作られる。でも静岡鉄道は自分達で作った。
ノッペリとしているようで、しかし角と裾を丸くしぼってユーモラスともいえる親しみやすい顔。
製造からまもなく40年。風雪厳しい北陸の地でいまなお主力を張っている耐久性。
作った方々の技術と情熱に心からの敬意を。

ゆうやけ。

2005-08-18 | でんしゃ
そういえば夏の夕焼けを見たのはいつ以来だっただろう。
吾妻の夏はほとんど毎日夕立になる。雨が降らなくても夕方には曇ってくる。だから吾妻に引っ越して最初の夏は夕焼けを見た覚えがない。
子供の頃、夕方が嫌いだった。遊んでいた友達とサヨナラしないといけない。友達のウチなら夕食のいい匂いがしてくると何か野暮をしているような、なにか落ち着かない気分になる。それから自分のウチが気になってくる。どこか自分の所在が不安定な時間。
それだからだろうか、夕方になってくるといまでも何か落ち着かなくなる。
トワイライトゾーン、逢魔が時、西部劇の決闘、夕方がらみはロクなイメージしか出てこない。そういえば夢の中で巨大多足歩行牛丼と戦ったのも夕方だったし、この間はどういうわけか小学校の中でテロリストと戦うはめになったのも夕方だ。
どうも夕方にいいイメージがない。

でもさ、家族とかが帰ってくるのを待ってくれている、あったかい時間も夕方なんだよね。

しょうねんのなつ。

2005-08-17 | でんしゃ
現像を引き取りに高崎駅前の大型カメラ用品店に行ってきた。
今日現像から帰ってきたフィルムはアグファ ULTRA100。店頭在庫最後の一本でした。もうこの店には入荷しないでしょう。
独アグフアフォトがケルンの裁判所に破産手続きを申請したのが去る5月27日。私はアグフアのフィルムを使わないから直接の影響はなかったけど、世界第三位のフィルムメーカーがなくなることに感慨を覚えた記憶がある。
時代は銀塩からデジタルへと急速に変わってきているとはいえ、まさかフィルムメーカーが倒産するところまできているとは思わなかった。どうも別会社としてフィルムをつづけるらしいという話もあるようだが、はたしてどうなるのか。そんなこともあって、アグフアULTRA100最期の1本に手がのびてしまった。
このカメラ屋もついこの前まで小さかったデジカメ売り場が今ではメインとなり、銀塩カメラとフィルムは奥に押しやられてしまった。お客さんもデジカメに人だかりはできているし店員も常時複数人が張り付いているが銀塩は店員の姿もなし。もう銀塩の時代は終わったのだろうか。
私も時代に乗り遅れまいとデジカメを必死にいじくってみた。なるほど確かにピンぼけはしない、撮った画像がすぐに確認できるし撮り直しも簡単だ。これは普通のお客さん-旅行のスナップとか子供の記録とかなんとなくカメラを持っていたい人はデジカメの方がいいと思うだろう。
でもやっぱり私にはどうにもデジカメはなじめなかった。デジタル1眼もいじくって便利さと解像力の進歩に驚いたが、やっぱりどうにもなじめなかった。
いいことなのか、わるいことなのか、わたしにはその場で写真が確認できる、というのがなじめないようだ。
銀塩はその場で写真はわからない。1枚必撮、失敗はできないと言う緊張感。現像に出して返ってきて、ほとんど駄目でがっかりしても1枚だけ思った通りにできたり、予想外の画になっていたり。銀塩にはそんな楽しみがある。でもそんなのは時代遅れになったのかもしれない。

勝山駅で自転車を借りて線路沿いの道を走ると小さな駅に着いた。気だるい昼下がり、線路沿いの小道には今時珍しく柵がない。実家の団地近く、やがて宅地になった田んぼでザリガニを獲っていたのはいつの日だろう。遠くにツリカケの音が響いてきた。