居酒屋ええ滑空鉄道。

このブログは一部フィクションがあり以下略。

僕は3丁目の電球です。

2006-03-29 | かめら
やいこらてめ、異動してこのかた1年半、一覧注文書すらやってねえし、売り場作ったことねえだろ、棚触りゃあわかるんだ、こちとらお見通しでぇ、無理な仕事をしないとか売り上げ悪いのはライバル店がデキタからとか抜かすのはきっちり売り場作ってから言いいやがれ、話はそれからだ、こんな焼けてる本をお客様に売るのか、てめ俺よりも担当歴長いだろうが、なにやっとんねん、なにが優秀な担当だ、おかげでこっちは小さい店ながら売り場の本全入れ替えなんつう無茶せなあかんぜよ!と、前担当者を小一時間問いつめたい(死語)今日このごろ。

写真は昭和40年代、各地にあった集合住宅です。近所の悪ガキたちが家の前の通りでマルバツをして、ケンパ、ゴム段、カンケリ、ケイドロをした、あの町はどこにいったのでしょう。
今年ハタチでウブなヤングガイの私はどのような遊びであったかは想像もつきません。
ただ、海岸へ向かうローカル私鉄のとある駅の裏で見つけたこの建物から、昔日の子供たちの笑い声に思いをはせるのでした。


コニカC35+コニカセンチュリア400

しとせん?しどせん?

2006-03-11 | でんしゃ
どうしても「しどせん」を「しとせん」と読んでしまう俺です。

引っ越しを大慌てでけりを付け、時間がないので高崎から新幹線。なんとか間に合ったドリーム高松・松山で「夜を往け~」と中島みゆきの歌も高らかに、向かった先は四国は高松。
1月にも行っているのだけれど、何度訪れても高松はいいところです。なにとはないのですが、居心地がいいのですよ。
今回は平日なので狙いは志度線の増結車。
考えてみると志度線の旧型車で27-28号以外に乗ったのは初めて高松に行った3年前ぐらい?前以来だったわけでして。
バスの中で疲れから足がつってみたりしてたので今回は歩く気全くナッシング。今橋駅のベンチに座ってまったり観察するつもりだったのですが、気がつけば房前までいってみたりしているし。そのあと白山から学園通りまで歩いてみてるし。挙げ句に瓦町から高松駅まで歩いてるし。でも不思議と疲れを感じないのですよね。

さて、房前から今橋まで戻ってまったり観察をしていたのですが、この日はとにかく寒かった。そりゃ前日素敵な一夜を過ごした中之条に比べたらまだ暖かかったのですが。
朝10時頃まで10分おきに吊掛の電車が新性能車と連なって通勤客を運び、駅員の方達が手際よく切り離して行く様は見ていて飽きません。
すべてが終了した後、遅い朝ご飯を食べに高松の町中へとうどん屋を求めて向かった私の心はもうお腹いっぱいでした。



流れぶった切るけど、ダービッツていつのまにトッテナムに移籍してたの?

雪降る吾妻の山中から...

2006-03-08 | 草子
「待ちに待った時が来たのだ!
吾妻での時間が無駄遣いで無かったことの証の為に!
再び本屋の理想を夢見る為に!本屋の星成就のために!
マエバシよ!私は帰ってきたぁ!」

などと臭いセリフを言いたくなる今日この頃。
突然の異動命令はウチの会社の悪しき伝統なので驚きはしなかったが、実質3日ほどの引っ越し時間しか与えられなかったのは想定外。夜逃げ同然のスケジュールに思わず福井へ旅立ってしまったのは1年半前の9月末。
以来、吾妻の荒い言葉や無茶な人員運用等々に

堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ

ついに前橋に帰って参りました。
今回は時間に余裕が会ったので、最終引き払い日の夜は雪降る吾妻で毛布もなく400wの電気ストーブのみで一夜を過ごす事になった他は前回ほど大騒ぎをせずに済みました。「つかれたよパトラッシュ」という有名なセリフの気持ちが危険なほど共感できた素敵な夜でした。
そして時間をひねり出して気分転換に高松へ。
夜が明けきらない瓦町駅から吊掛の電車に揺られる事30分弱。房前の駅から歩いて3分。どんよりとした雲間から時折朝陽が差す瀬戸内海の夜明けは忘れないでしょう。
そう、

「あた~らしい朝が来た~きぼ~のあ~さ~だ♪」

と歌ってしまいたくなるほどに心に染みた朝でした。

今にして思えば1年半前逃げた福井の三国港駅って、東尋坊が目と鼻の先立ったんだねえ...