家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

施主の心構え

2005年01月01日 | 家について思ったことなど
 口幅ったいが、私は「施主のあり方」のようなものを意識している。
 特に注文住宅で、「お客さん」のような姿勢でいると、家づくりの楽しさは半減するし、被害者意識も芽生えやすくなるのではないかと私は思っている。

 家づくりというのはン千万円を投下したプロジェクトだ。そのプロジェクトの最高意思決定者は誰あろう施主である。会社で言えば創業社長かCEO(最高経営責任者)に相当する権限を持つ。赤瀬川原平氏は著書「我輩は施主である」で、施主を「国王」に例えていた。プロジェクトがうまくいかなかった場合、施主にだって責任があるのだ。うまくいったなら、施主の功績でもあるのだ。
 私は、社長が会社を経営するのと同じような心構えで、施主は家づくりに臨むべきだと考える。ダメな社長の会社がダメになるリスクが高いように、いい施主でないといい家にならないリスクが高まると思っているからだ。

 施主のHPなどで、施工途中の細かなミスや行き違いを被害者然として語っている例を見かけることがある。欠陥住宅がこれだけ騒がれている時代なので気持ちはわかるが、そういうのを見ると、もうちょっと別の書き方をした方がいいのではないかと思うことがある。
 なぜなら、施工者は施主が選んだプロジェクトのスタッフなのである。途中でうまくいってないことを世間に吹聴するということは、社長がプロジェクトメンバーの社員を公衆の面前で、さらしものにしているのに近い行為のように見えるのだ。
 記録的な意味合いでHPに出すのなら、「チェックを入れた部分」として紹介し、「次回、修正・対処するよう指摘した」などと、淡々とした説明文で十分ではなかろうか。それをいきなり、「ショック。信頼していたのに・・・」などと書かれたら、悪気のない施工者は相当滅入ると思う。
自分の仕事を公衆の面前で社長にそんなふうに評価されたらどのように思うだろうか? 部下を信頼していないのに加え、おろおろしている印象を与え、二重の意味でよろしくない。プロジェクトが終了していない段階でこれをやったら、さらに事態を悪くする。
 
 家づくりで、施主が施工者のダメさ加減を嘆いていたって事態はいっこうによくはならない。 もし施工者の腕が未熟、という現実があったとして、その原因を探ると、施主が施工費を大幅に値切ったことにあったとしたら、それは人ごとではない。施主側に、資金と人材の配分をミスした事業者としての責任部分もあるはずだ。

 もっとも最近は、ハウスメーカーという巨大な住宅の供給者がシステマチックな家づくりを提供するようになったので、施主サイドは自然にお客さん的視点に馴染まされてしまっている。
だから、いい家にしようと意識すると、事業統括者としてではなく、厳しい消費者のような対応になってしまうのかもしれない。

 幸いにして私は、設計事務所と工務店と、手作り感のある家づくりを進める形式を選択できた。当事者としての施主の立場を満喫しない手はないように思っている。
自分の事業である、と考えているからこそ面白いということはあるはずだ。「国王」赤瀬川氏は家づくりを思い切り楽しんでいた。

 我が家は竣工にだんだんと近づいている。
引き続き、楽しく前向きに家づくりに臨みたい。


謹賀新年

2005年01月01日 | その他
あけましておめでとうございます。

 家づくりとは、相当にひとりよがりな作業でもあると思うこのごろです。
 弊ブログの「あーだこーだ」に耳を傾けていただいた方、ご意見をお寄せしていただいた方に感謝しております。

 家の竣工まであと少し(?)。本年もよろしくおねがいいたします。